プロローグ2 崩れ始める『日常』
「はい、あげる。昼休みどこかギリギリまで帰ってこなかったし、それにこれから私部活だし、渡す暇今しかなさそうだから」
放課後、どこかたどたどしい口調でエミルがこちらに差し出してきたのは小さな小箱だった。
「ああ、ありがとう」
周囲の男からの視線を敢えて全て無視し、彼はそれを受け取った。
「はあ、まったく。お前は今どんなものを受け取っているのか自覚が無いのか」
エリックが彼の手の中のものをまじまじと見ながら溜息を付く。
「あるよ、『エミル様』だっけか?」
「違う、それは周りが勝手に」
「大事にするよ、罰があたらないように」
そう言って、彼が帰宅しようとすると、出口には人だかりができていた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
沈黙する三人。
「・・・何、あれ?」
ルシファには何がなんだか分からない。
「まさかルシファへの誕生日プレゼント?」
「このやろう・・・」
「いや、それはありえない。大体俺にここまでおおっぴらに来るやつなんて今まで・・・」
言っているうちに気づいた。
「ライト!」
そう言うとドアの陰から出てくる人影が一つ。
「やっぱりな・・・」
「あ、あはははは」
「あははじゃない」
照れくさそうにして笑う彼女を横目に帰って行く観衆。
「ああ、なるほどね・・・」
横でエミルが納得したように頷く。いくらライトとはいえ、さすがにいつもここまでの取り巻きを引き連れているわけではない。なら何故こんなにも人が集まったのか、推測される理由はそんなに多くは無かった。
「へえ、お前の妹がこんなところに来るの初めて見た」
エリックがこんな感想を抱くのも無理は無い。何故なら彼女が自分から誰かに会いに行く、なんてことは今まで無かったからだ。そんな彼女が授業終了後、わざわざ上級生のクラスに向かう。それだけで興味をそそられる学生も多かっただろう・・・相手は残念ながら兄だったという落ちが付くわけだが。
「・・・全く」
彼はそのまま出口へと向かう。とある事情から彼は部活には入っていなかったし、どういうわけかライト、フェイトもそれは同様だった、となると彼女がこんな時間にここに来る理由は一つしかなかった。
「帰るぞ」
こちらに寄り添ってこようとした彼女に構わず彼は歩き出した。
「・・・うん」
教室から出て並んで歩き始める二人、それはそれで結構な絵になっていたが、二人の間に流れる空気は微妙なもの。
「・・・怒ってる?」
「当然だ」
その理由は全て彼に帰結していた。そもそも、学校で自分にはあまり関わらない様に前々から言っていたのだ。それが今日の昼休みにこの放課後である。いくら今日が彼の誕生日であろうがなかろうがそんな事は関係なかった。
「別に、二人でいたって何も・・・」
「そう言っていられる日がいつまでも続くと思っていたら大間違いだ」
帰り道、二人で歩くこの時間が一方にとってはとても嬉しく、一方にとっては苛立たしく。端から見ればカップルか、はたまた仲のよい兄妹かというほほえましい光景ではあった。
「・・・」
「・・・」
帰り道に一切会話が無いことを除けば。
「現在、我が国と交戦中のイレリ帝国との戦線はフリクムニから東へ53キロ、北に7キロの地点で・・・」
街頭に流れるニュースは、今も続く戦争の現状を映し出していた。
「終わんないね、戦争」
「・・・ああ」
2年前から始まったこの戦争は未だ拮抗状態を保ったまま、激しさを増していた。報告される死者の数は日に日に増え、壊滅した町の数ももう数えるのは止めにした。その影響で決して良好とは言えなかった国内でのイリアに対する感情は日に日に悪化し、もうそれは歯止めが利かなくなっていた。
「何で、こんな・・・」
燃やされる国旗を見ながらライトは寂しげに漏らす。
「嫌なら見なくていい」
いくら暮らしていた当時の記憶が無くても、祖国の旗が燃やされているのを見るのは誰だって嫌だろう。
「ごめん」
こちらに寄り添ってくる彼女を今度は受け止めた。祖国、というものを知らない彼には分からない感情が、今の彼女にはある。何となくその事実が腹立たしくて、彼はいつもより優しく告げた。
「大丈夫、いつか誰かに知られたって、俺はお前の味方でいてやる」
「本当?」
「ああ、もちろん」
「・・・ありがと」
無論、本当に彼女と気持ちを分かりあえるわけではない。母さんや父さん、ライト、それにまだ事実を知らされていないフェイトと自分には見えない壁がある。もしかしたら自分はこの国の人間で明日からは敵同士、ということにもなりかねないのだ。両国の民族的な特徴に明確な差異はまだ認められていないものの、ライトとフェイトの様な金髪はどちらかというとイリア側に多く、この国の人間は彼と同じように黒髪の人間が半分ほどを占めていた。エミルのような青い髪は例外中の例外である。
「それでも、支えられるなら、支えたい」
彼は彼女にも聞こえないようにぼそりと呟いた。それだけが、今の彼の生きる理由だった。例え、その結果何を失おうとも。
「・・・お父さん、遅いね」
家に帰ってから数時間、フェイトが思い出したように読んでいた本から頭をあげた。
「確かに、これ以上遅くなるとレストランがね・・・」
「どうするお母さん? 何ならもう家で適当に済ましてもいいよ」
彼は心配そうに時計を見る彼女にそう告げる。実際、誕生日など毎年来るのだ。別に今年くらいどうなったって構わない・・・と、そこで彼の考えは中断される。
「駄目! そんなの」
ライトだ、宿題、及び勉強中は決まって彼の隣に座る彼女が珍しく大声を出していた。
「ライト?」
「駄目、折角の誕生日なのに・・・」
どこか必死さを感じさせる彼女の視線に気づいたのはさすが母親、といったところか
「待ってて、お父さんに電話してくるから」
そう言って席を立った。戦時中であることから、一般人の携帯電話の使用は全面的に禁止されていたが、どういうわけか、彼らの父親は所持を許可されていた。
「どうしたのかな・・・お父さん」
「何、偶々道が混んでるとか、そんなんだよ。多分」
彼はフェイトを元気付けようとする一方、自分の言葉をまるで信じていない自分に気づいて、慌ててその考えを振り払う。それに・・・、と彼は隣に座る彼女を見る。様子がおかしいと言えば彼女もまた同様だった。どうにも今日の昼休み、いや朝から様子がおかしい。どこかいつもと違って、変に空回りしていた。
「ルシファ、今日はお父さん抜きでごめんなさいね」
「いいよ、忙しいんでしょ?」
「急に仕事が舞い込んで終わりそうに無い、ねえ」
「折角家族揃って食べられると思ったのになあ」
三者三様の感想は少しの寂しさを伴って発せられる。
「仕方ない仕方ない、電話の向こうですまなそうにしてたし、今回は大目に見てあげて」
そう言われては、何も言い返せない。運ばれてくる料理を食べながら、それでも何となくここにいない存在がひどく気になって、普通に談笑している家族と笑いあう一方、彼はどこか釈然としない思いを抱き続けていた。そして、一つ目の異変は簡単に彼の前に現れる事になる。
「お母さん、どこまで行くの?」
とうとうフェイトが疑問の声を挙げた。レストランを出てから30分、本来の帰り道とは逆方向に歩き続け、辿り着いたのは周りに木が鬱蒼と生い茂る田舎道。フェイトでなくとも疑問の声をあげたくなる。
「もう少しだから、ね?」
しかし行けども行けども見えるのは先へと続く道ばかり、森の中ということもあって、湧き上がる気持ちは不安一色。不安がる彼らを横目に彼が目にしたのは一軒の古びた小屋だった。
「何、これ?」
フェイトの疑問に同調するように彼らは目の前で止まっている母に目線をやる。
「今日はね、ここでお泊まり」
「はあ?」
素っ頓狂な声はライト、だが無理も無い。一晩ここで眠れと言われて、はいそうしますと答える人間は中々見つかりそうに無い。
「ごめんなさいね、どうしても今日はここにいて欲しいの」
「それは、絶対僕らに必要なこと?」
「ええルシファ。その通り」
数瞬の目線の邂逅を通して、彼は結論付けた。
「分かった、言われた通りにする」
「って、あんた何言って―」
「母さんは本当に真面目に言ってる。だったら、俺たちがとやかく言う権利は無いよ」
「何でそんなにいい子なのよ・・・」
ライトの言葉を無視して彼はフェイトに向き直る。
「ごめんな、狭そうだけど我慢しよう」
「うん、4人一緒に寝るなんて久しぶり」
だがそんな彼女の言葉は次の一言で吹き飛んだ。
「それなんだけど・・・私はここにはいられないの」
「えっ!?」
「ごめんなさい、でも必ず明日の朝、会いに来るから」
「母さん・・・」
向かい合う母の眼の中にあるのは申し訳なさと、後悔と、愛情と、寂しさそして―。それらを総合するともう、明日訪れる現実は容易に想像できた。
「その袋は?」
彼は努めて冷静に声を絞り出した。さっきから気になっていた、ただ外食するだけなら不必要な、袋。
「貴方に渡しておく、いや、貴方だから渡せる。中身は明日開けて」
「・・・分かった」
「それじゃ、行くから」
少しの間を置いて、彼女は振り返り歩き出す。
「お母さん!! 明日また会えるんだよね?」
歩き出した彼女に、フェイトが今にも泣き出しそうな声で叫んだ。その声にどこか震えながら、それでも彼女は振り返り、母として暖かな声で告げた。
「ええ、もちろん」
「お母さん・・・」
ライトの声に彼はもう何の反応も返せなかった。ただそこにあるのは、先ほど渡された袋と、彼等三人。それだけだった。
「へえ、まあまあか?」
虎の穴へ飛び込む覚悟で入った小屋の中は虎の穴ほど危険に満ちてもいなければ、不潔でも無かった。これなら少しは寛げそうだ。
「ちょっと、ベッドが一つしかない。どうすんのよこれ?」
「お姉ちゃんが床で寝る」
「そういうあんたが下で寝なさい」
「やだ、お兄ちゃんと二人で寝るもん」
「何言ってんの!」
「お兄ちゃんと寝たいの?」
「そんなわけあるか!」
「じゃあ私とお兄ちゃんがベッド、お姉ちゃんはそこのソファでどうぞ」
「言わしておけば―」
少しは・・・寛げそうだ。
「分かった、俺がソファで寝るから、お前らベッドで―」
「絶対嫌!」
「・・・」
彼の提案は即時却下された。と、ここで一つ名案が浮かんだ。
「フェイト、お前俺と寝たいのか?」
「うん!」
と元気な返事。
「ライト、お前ベッドがいいんだろ?」
「当たり前じゃない!」
ならば答えはもう一つしかない。
「フェイト一緒にソファで寝よう、毛布もあるし、ちと狭いがくっついて寝りゃ寒くも無いし、丁度いい。ライトはベッド独占していいぞ」
「なっ」
何故か動揺を見せるライトと勝ち誇ったような笑みを浮かべ、そしてどこか意味深な視線を姉に送るフェイト。
「どうかしたか?」
「ううん、じゃあ、そうし―」
「待った!」
乗りかけたフェイトを何故か制止するライト。
「おいおい、何が不満なんだ?」
「そ、その今日は誕生日なんだから、ソファで寝かすって言うのもどうかと思う」
ほう、たまには兄思いな事を言う。
「それで?」
「だからベッド枠は一つはもう確定で、後の一つを―」
ここで意外な声が横から響いた。
「じゃあお兄ちゃんとお姉ちゃんベッドで寝ていいよ」
「えっ」
「いいのか?」
「うん、私小さいからソファでも全然平気」
何故か勝ち誇った笑みは益々増大し、今やその笑みは気味の悪いものとなっていた。一体、何がそんなに嬉しいのか。そして隣で固まっている馬鹿一名。
「まあ、そりゃ有難いが・・・」
「ね? これが私からの誕生日プレゼント。お姉ちゃんもいいよね」
「そこまでいわれると、仕様が無いな」
「ま、まあ別にい、いけど」
だから何故お前はそこで俯くんだ、ライト。と思いつつ、彼は寝るための準備に取り掛かる。
「あんまり動くなよ、そんなに広いわけでもない」
「わ、分かってる」
風呂も無かったので適当にタオルで体を拭く程度にして、彼等は早々と就寝していた。
「耳栓して置くから何があってもきこえないきこえなーい」
何故か高らかにそう宣言してから眠りについたフェイトと固まるライト。頼むから今の状況を冷静に考えてくれ、冷静に。
「こんなの、久しぶり」
「ああ、まだ小さい頃はよく寝たもんだが」
ベッドに入り、間もなく聞こえてきた背中越しに響いてくる声は少し寂しげな声。もしかしたら、彼女にも、いやフェイトすら分かっているのかもしれない。だから、殊更あんな元気な声を出す。素直に不安をこちらに向けてくれればいいのに、と彼女たちの思いやりを嬉しく思う一方で、どこか寂しくもあったり。
「どうしたの?」
「いや、そういえば、なんでお前、俺の事兄さんって呼ばないんだ?」
気分をほぐす為、何気なく発した質問は、何故か彼女を凍りつかせていた。
「おーい?」
「な、別に理由なんて」
「でも物心付いてからずっとだぞ。おかしくないか?」
「おかしくない!」
「そんなものなのか」
「そう、そんなもの」
そこから舞い落ちるのは沈黙。穏やかな空気の中、もう寝ようとした彼に彼女はそっと体の向きを変えた。
「いつでも、味方、なんだよね?」
彼の体を包み込むようにしてきた彼女の腕を取り、彼は答えた。
「ああ、もちろん」
「だよね、いつも私の、味方」
そのままこちらに顔を埋める彼女の腕を取り、彼等は眠りについた。




