第一章 第八節 二度目の『世界』 二度目の邂逅
「と、いうことなんですが」
彼は不安そうに彼女を見た。というのも話が進み本題に入った途端、サディケルの顔が急速に不機嫌になっていったからだ。
「あなた、どれだけの女性とそんな事してきたの?」
「してません」
「本当?」
「はい」
「さあて、どうしましょうかねえ」
彼女は考え込む振りをする。不安そうにこちらを見ている彼に、恩を売っておくのも悪くは無いし、あそこの世界の仕事を無くすのは痛い。
「やってあげてもいいけど」
「本当ですか?」
彼は心の中で歓喜した。実際問題こんな事を頼めるのは彼女くらいしかいなかった。他の女性にしようかとも思ったのだが、それはケルーゾに、
「しゃれにならないから止めておけ」
と言われたので誰なら大丈夫そうか、と聞いたところ彼は彼女の名前を挙げたのだ。
「ただし」
彼女はここでまったをかける。そう、ただお願いを聞くだけではつまらない。
「私のお願いを一つ聞く事」
「う・・・」
サディケルのお願い。どんなものか考えたくは無かったが、彼はもうそれを飲むしかなかった。
「分かりました」
うなだれる彼の肩を叩き、彼女は立ち上がった。
「泣くな少年、人生とは辛いものだ」
一週間後、彼は彼女と共に、再びかの地に舞い降りた。
「それで、例の彼女はどこ?」
まず彼女はそう言って、辺りを見渡す。
「多分施設でしょう、打ち合わせ通りにお願いします」
ここで彼女はやれやれ、といった顔をして彼の顔を覗き込む。
「今、私達の関係は?」
「あ・・・」
「何?」
「恋人、です」
「だったら?」
「は、はい?」
本気で戸惑っている彼を見て、彼女は心底落胆した。どうにもこうにもこの男はこういう問題に弱すぎる。一気に押し切るか引くかすればいいのに、変に優しくするからこうなるのだ。と、彼女は彼の性格を分析していた。実際、裏でも彼は評判だった。容姿の面での評価はさすがに割れたが、その強さと性格に多くの女性が魅かれていたのだ。ケルーゾ達がつけた『一級フラグ建築士』のあだ名は彼女も大いに賛同するところだった。
ま、本人はそれどころじゃないんでしょうし、と彼女は納得して彼の手を取った。
「丁寧語は止めなさい。それから名前はサディケルでいいから」
「あ、は、はい。あ、いや分かった。そうだった・・・タメ口か」
そうして不安な彼の一日は始まる事になった。
「それでですね」
「・・・」
「あ、あのですから」
「・・・」
「二人っきりの時にもこの口調でいくのか?」
「慣れておかないとぼろが出るわよ」
ここは例の小屋、彼らは結局ここで一泊する事になっていた。実の所、他の者が今は仕事にあたっており、彼らは彼女に会う事だけを目的としていた。彼女は忙しい身分であったし、彼は次の仕事が控えている。にもかかわらずこんな事態になったのは、彼女が今日は休暇を取っていたからだった。
「連絡しておいたのに・・・」
彼は窓の外を見ながら一人ぼやく。会えるのは明日。つまり彼女と一晩、二人っきり。拷問だろうか、試練だろうか、それともこれは神が与えた罰か。
「失礼な事考えてない?」
椅子に座って、雑誌を眺めていた彼女が急にこちらに声を掛けてきて、彼はどう返答したものか迷う。実際、と彼は彼女について自分が集めた情報を整理する。
『グリゴリ』というのは本来こんなどこかに拠点を置くような組織ではなかった。どこかにある受付所である者が依頼を出し、出された依頼はすぐに裏に公表される。その中から気が向いたものが仕事を選び、報酬を受け取る。これがサディケルが取り仕切るまでの仕組みだった。
ただ、このシステムには大きな問題点があった。それは、依頼内容が公表される事、この一点に尽きた。非合法な依頼は勿論対象外だが、どこそこへ何かを運んで欲しいだのある重要な会談の警備だの頼めば、そこと対立している集団がその仕事を請けて、潰しに回るからだ。それに、裏に存在できるほどの実力者であれば、適当に世界を回って金品を奪い取っていれば事は足りた。だから実際、『グリゴリ』はあって無い様なものだった。
そこに現れたのがサディケルだった。彼女は依頼が来るとまず、それを自らの元に全て集め、それを担当の者に合法非合法を選別させる。そしてその中から仕事を、『グリゴリ』に登録しているメンバーにそれぞれ割り振り、報酬を得て、利益を分配する。
公表もされず、また彼女はどの組織に対しても中立の立場を崩さなかったため、概ね彼女の手法は裏にも表にも受け入られて、今に至る。そして、と彼は思う。彼女はそれ故に絶大な人気を誇っていた。光のセイバー、黄昏のシュトラウス、そして闇のサディケル。
三皇、と呼ばれる彼らはそれぞれが力、知性、人気を誇る、表裏含めた中で、三大勢力となっていた。
「やっぱり凄い人だ」
そんなサディケルの右腕、と評され始めている事など知らず、彼は目の前の人物に尊敬の念を抱く。・・・ただどうしても苦手な感は拭えなかったが。
「さて、今日はどうする? 特に予定も無いし」
ルシファは彼女の向かいに座り、内心びくびくしながら話を振る。
「そうねえ、じゃあ」
彼女は読んでいた雑誌から目を離し、その今読んでいた雑誌の中からある単語を取り出した。
「映画見に行きましょうか」
やっぱり、と彼は思った。今目の前に置かれた雑誌のタイトルが『HORROR』、という名の映画雑誌。言い出すのも時間の問題だった。
「調べてるな、この世界の事」
「映画館があるかどうか、はね」
彼女は立ち上がり、黒のロングコートを羽織る。ちなみにこの世界の今の季節は夏だ。一体どんな体をしているのだろう、と思いながら彼は立ち上がり、彼女の前に立ち手を差し伸べた。
「行こうか、サディケル」
「ふん、生意気」
そう言って二人は歩き出した。
「ん?」
時を同じくして、セイバーは不思議な状況に置かれていた。
「ほう」
隣でランスロットが感心したような声をあげ、ボルクは相変わらずの沈黙。
ここはLIGHTS本部の司令室。目の前に広がるモニターは主な能力者が今どこにいるか、を表示している。忙しそうに作業する数十人の作業員の一人が、セイバーにとある報告をしてきたのだ。 強力な能力者が二人一緒に行動している、と。
強力な力を持つものは誰かとつるむ事を嫌う傾向にある。現にシュトラウスもサディケルも今まで誰かと行動を共にする、と言う事は無く、その行動のほとんどはスタンドプレーだった。しかし、稀に例外も存在し、そのような者達は特にマークを受ける。現に今、この存在をキャッチできたのは、かなり探索の範囲を限定し、しつこくサーチをかけた結果やっと得た情報だった。
「誰だ? あいつらか?いや、あの変態共は追い払ったし、あの外道は今は大人しいはずだし・・・」
ランスロットが考えをまとめ始める中、彼女は一つの結論を出していた。
「あいつだろう」
「え? ルシファ?」
彼の活躍は彼らも既に把握していた。『グリゴリ』内での仕事の達成率は九割を超え、今やサディケルの右腕、と評する声も出てくるほどだ。
「ってことは、一緒にいるのは・・・」
「魔女だろうな」
「うげ・・・」
何故かサディケルは彼を重用していた。仕事は大概が彼の元へ送られていたし、中には本当に過酷なものまであった。鍛えられているのか、使い捨てる気か、相変わらず彼女の真意は読めなかった。
失敗だったかもしれない。セイバーは後悔し始めていた。あの時殺しておけば良かったかもしれない、と彼女はここで気持ちを切り替える。悩んでも仕方が無い。
「この世界へ向かう」
「分かった。誰か空いてる奴を―」
「私が行く」
直ぐに出す、というランスロットの言葉は驚きと共に飲み込まれる。
「だから、何であいつのことそんなに気にするんだよ。どうせ、爺さん連中のおもちゃだろ?」
「私が見逃したのだ。責任はある」
「はあ、もう」
ここまで来るともうこの隊長は意思を曲げない。彼は諦め受話器を取った。
「隊長がご出陣だ。用意を」
セイバーは部屋を出て廊下歩き始める。
「何を考えているか知らんが」
セイバーは決意を固める。腰から提げる剣に力を込め、彼女は外への扉を開いた。
「次は切る」
「さて、どれ見る?」
「貴方さっきまで私の何を見てたの?」
「冗談だよ・・・」
彼らはこの国の首都の中心部にいた。自然公園から車で三十分程度の距離だが、彼らは密かに力を使い五分で着いていた。勿論、真っ先に向かったのはこの国最大の映画館。総スクリーン数78、総座席数は2万を超える超大型映画館である。上映されている映画も多岐に渡り、ファンタジー、アクション、スリラーにサスペンス。そして当然の様に、ホラーもあった。
「これか」
おどろおどろしいポスターには目もくれず彼は受付へと向かう。こういう時は男が出すのがセオリーだろう、という考えの下での行動だったが、前にサディケルが立つ。
「どうした?」
「そこまで気を使われる筋合いはないわ」
「いや、ここは俺が」
「お金あるの?」
正直な話し、彼は金欠だった。原因は浪費では無く、報酬の安さにある。『グレゴリ』は仕事は誰彼構わず回すが、肝心の報酬は年棒制だった。それも支払いは年に一回一括で。おかしいだろう、と彼は思ったが、理由を聞くと、
「ここんとこ死ぬ奴が多くてな、大体一年くらい持ってくれる奴じゃないとこっちも困る。どこで死んだかなんて調べようが無いし、その時持ってる金が無駄だ」
と、財政担当に言われて引き下がっていた。結果、彼の生活資金はほぼゼロ。同僚から少しづつ恵んでもらいながらその日暮らしを続けていた。
「助かる・・・」
男としての悔しさをかみ締める彼をその場に置き、彼女は受付へと向かい彼が驚くような行動を取った。
「カップルシート一枚」
カップルシート、その名の通りカップルのためにあるシートで、その特徴は席がソファタイプになっており、密着して座れる事にある。特にホラー系はよからなぬ事をたくらむ男共によって、集客率は膨大に増えていた。
「そこまでする必要があるのか?」
彼はいい加減気味が悪くなっていた。一般シートもあれば座り心地の良いプレミアムシートも設定されているのだ。
「お金を払ったのは?」
彼女がチケットをひらひらさせる。
「・・・何でも無い」
嬉しそうな女性とその後に続くどこか困惑気味な表情で後ろを歩く男性。この世界では大して目立つ容姿ではなかった事もあって、彼らはこの国の中に見事に溶け込んでいた。
「ひっ」
上映中、彼は怯えていた。こんな芸術があるのかと感心する一方で、目を逸らしたくなる映像がどんどん流れていく。元々ホラーは得意ではなかったが、この映画は彼にとっては刺激が強すぎた。
「ふふっ」
時折、彼女はそんな彼を見て笑みを漏らす。今流れているのはミミックが人を食いちぎるシーン。実際にこの世界で見られる光景だったが、今は対策がきちんと取られている為、もう実際に怯える必要は無く、観衆達は純粋にエンターテイメントとして楽しめるだけの心の余裕を持つに至っていた。・・・一人を除いては。
何故だ、何故。タイトルは『妖精ガルファーの可憐な世界』だったはず。いくらホラーと銘打たれているとは言え、子供用ではないのか。ああ、今また一人の少女が猪の化け物に突き殺された、ガルファーの攻撃でその化け物は滅んだが、どこが可憐なんだ? ああ、そうかきっと俺が馬鹿なんだ、そう、俺は強い、来ても倒せる、そうだ次はどこへ行こうああ何かそういえば、アイスクリームの店があったようなそうだそうし―。
彼はずっと、自分の頭の中に逃げ込む事で現実からの逃避に成功していた。
「ふう・・・」
映画を出てから彼らは本当にアイスクリーム店に来ていた。家族連れやカップル、友達同士で来ている者など、多岐に渡る客層の中で、今回は見事に彼らは浮いていた。
「そのロングコート、暑くないのか?」
映画館の中ならまだ奇異には思われていなかった。館内は暗かったし、冷房も効いていたため、少し厚着をしている者もいたため、浮く事はなかった。ただ、ここはアイスクリーム店、涼しさを求めてやってくる客達の中で、彼女一人浮いている。勿論同席している彼も、である。
「何? もしかして脱がしたい?」
彼は持っているソフトクリームを落としそうになった。
「何でそうなる?」
「事実じゃない?」
「あのなあ」
「ほら、落ちるわよ」
と、彼女は彼のを指差す。今にも溶けだしそうなそれを慌てて口の中に放り込み、頭を抑えるルシファ。
「馬鹿」
「くっ・・・」
何も言い返せないまま苦痛が過ぎるのを待つ。これはデートではない。ただのいじめだ。彼はこの時初めてこんなことになった事を後悔した。
「さて、と」
店を出て彼女は立ち止まり空を見上げた。晴れている事もあり日差しは厳しかったが、その眩しさが彼女は気にいった。
「次は?」
彼が立ち止まった彼女に追いついて同じように空を見上げる。彼女は空を見つめたまま彼の腕を取った。
「貴方が決めなさい」
「俺が?」
彼女より頭一つ高い彼が見下ろす格好となり、彼は隣の女性に聞き返す。
「何、エスコートしてくれないの?」
「では」
彼は行き場所を決めた。向かう場所は、ただ一つ。
「本が好きなの?」
「まあね」
図書館で彼は気になる本を適当に見繕っていく。貸し出しと同時に廃棄する本を無料で引き取る事も出来たため、彼はそのコーナーに真っ先に赴き、読める事を確認してから、これもただで貰った専用の手提げ袋に入れていく。
「昔、親に連れられてよく来たんだ、ライトやフェイトも一緒に。エミルと来た時は参っちゃったけど」
「そう・・・」
「本にはさ、色んな世界があるんだ。楽しい世界や、悲しい世界。今は本当に色んな世界に行ってるけど、あの頃の俺はここから覗ける世界が全てだったから、色んな世界を覗けるのが楽しくてしょうがなかった」
「今は、どう?」
彼女は楽しそうに話す彼を前にして不安になった。もしかして自分は、彼に間違った選択肢を選ばせたのかもしれない。あのままあの世界にいる方が、幸せだったのではないか。
例えそこが偽りでも、LIGHTSの所にいた方が、よっぽど良かったのではないか。
LIGHTSの処分を知らない彼女からしてみれば、彼を救ったとは思っていない。
確かに銃は向けられていたが、彼女に彼が殺せない事は一目で分かったし、てっきり勧誘か何かしているものだと判断して、あんな冗談を言ったのだ。その後セイバーと戦い殺されなかった事から見て、どうやらLIGHTSは彼に対して方針を変えたのか、と思い安心してもいた。
そんな彼女を見て彼は読んでいた本を綴じ、彼女に渡す。
「え?」
「読んでみたらいい、きっと気にいる」
タイトルは『明日への希望』。
「希望?」
タイトルを見て彼女は彼を見る。その顔は、笑顔だった。
「そう、いつでも希望を捨てない。いつか必ず心から笑えると信じて、俺は前を見続けたい。だから、今もこうして何とかしようと頑張ってる」
「それで、今はどう?」
「希望は持ってるよ、明日への。こうした今日があるのはサディケルのお陰だ。ありがとう」
彼は黙って手を差し出す。彼は彼女に感謝していた。今の自分を与えてくれた事を。彼女が自分を連れ出してくれなければ、自分は殺されていただろう。彼女は気付いていないようだったが、エミルと共にいた男のあれ。くらえばおそらく死んでいたほどの威力を向けられて、彼はとっさに防ごうとした。それが力の解放に繋がったのだろう、と彼は振り返る。
「どういたしまして」
彼女はそっと彼の手を取り、握手を交わす。笑顔で。そんな彼らを遠くから見ている視線に彼らが気付くのはそのすぐ後だった。




