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第一章 第五節 信仰の『世界』

「甘いですねえ」

「誰に言っている?」

 本部から帰還した彼女を廊下で出迎えたのは、その体には大きすぎるコートと帽子を身に付けた小さな少年だった。セイバーの言葉を受け、字面だけは丁寧な言葉に変える。

「いえ、すみません。ただ殺せ、と命令を出したのは貴方ではありませんでしたか?」

「それがどうした」

「無責任では? 彼女にあんな事をさせて」

「エミルについては処分する気は無い」

「貴方はそれでいいんでしょうけど、彼女はそうもいかないでしょう。ただでさえ、隊内の立場は前々から微妙なものでしたのに」

「それに関しては、ノーコメントだ」

「ふうん、まあいいですけど。頑張ってください、隊長さん」

 言い終わると彼は、霧のように姿を消した。

「気にすんなよ」

「分かっている」

ランスロットが反対側の角から出てくる。全て聞いていた彼は、何でも無い風に彼女に言う。

「昔からの癖だな。ちょっと将来に見込みがありそうな奴に甘いのは」

「貴重な才能はなるべく潰したくは無い。それに」

「それに?」

「・・・何でも無い」

聞いてきた彼の横を通り、彼女は歩き出した。そう、それに、あれが現れる直前まで自分を殺そうとしていた彼女を彼は助けた。生き延びたもの勝ちの風潮が色濃いこの時代に、あんな行動を取る者は稀だった。

「そしてあれか・・・」

あのドラゴン、戦って感じた強さは以前の比ではなかった。そもそもこの世界に来たのは、何がしかの強い力を感知したからだった。最初はルシファのものかと思ったが、どうにも力の質が違うような気がした。

「調べてみるか」

 何かが始まっているのかもしれない。この時の彼女の直感は、いろいろな意味で大当たりしていた。

「すみません」

 彼はサディケルに頭を下げた。結局彼が最初の仕事でできたのは、出会ったばかりの同僚を一人失った事だけ。何もできずに帰ってきた事に罪の意識を感じて、彼は謝らずにはいられなかった。

「セイバー相手に死ななかっただけ上出来。謝る必要なんてどこにもない。そんなことしてる暇があるなら強くなりなさい、もっと」

 リビングでソファに横になっていたサディケルは起き上がりながら彼に告げた。

「・・・」

 俯いて拳を握り締める彼に対し、彼女は続ける。

「いい?これからこんなことは何度でも起こる。当然、貴方も私も何時死ぬかなんてわかったもんじゃない。けれどね、その生きている時間を後悔になんて使うのは止めなさい。そんなもの、死んでからいくらでもできる。行きなさい、話しは以上。次の仕事はまた今度伝えるから」

「・・・はい」

そう言って、部屋へと戻って行く彼を見送り、彼女は溜息をついた。まさか、セイバーがこんなにも早く動いてくるとは。正直、彼から話を聞かされた時は心底驚いたし、帰ってきただけ本当に上出来だった。でも、と彼女はさらに考えを深める。彼に言われるまでも無く、セイバーは強い。その彼女が何故彼を殺さなかったのか、興味があった。

「何かあるのかしら」

笑みを浮かべながら、彼女は決めていた。いや、彼にちょっかいをだそうとした時点で、既に決まっていたのかもしれない。この件に首をつっこむことを。

「久々にあの金髪娘にも会えそうだし」

 あのどこまでも真っ直ぐな瞳を思い出して彼女は噴出しそうになる。全く、どの様な環境で育てられれば、あんなふうになれるのやら。

「かんぱーい」

 月を見ながら、彼女は持ち手のいないグラスに自分のグラスを軽くぶつけた。


「凄い」

「だろう? この国一番の繁華街だからな」

 一ヶ月後、彼はまた別の世界に来ていた。現地で自分を迎えてくれた案内人と共に、彼は両側に並び立つ店を興味深げに見つめる。ある者は家畜を連れ、あるものは白菜の様な野菜を背負い歩いていく。産業の発展度だけを考慮すれば、その国は決して豊かな国では無かったが、他の世界には無い活気に満ち溢れていた。

「あれは?」

 彼が目に止めたのは、御輿の様なものを担いで歩いてくる一団。今まで賑わっていた通りは一瞬にして静まり返り、次々と脇へと移動し、その御輿へ頭を下げた。

「ほら、名にやってるんだ」

 そう言われて彼も周りに習って頭を下げる。目の前を通り過ぎていく御輿の中には、人の気配が確かにあった。

「あれは?」

 謎の一団が通り過ぎてから、彼は今の状況の説明を案内人に求める。

「あれはここら一帯を治めている領主、みたいなもんだな。ちなみに、ああやって領主に敬意を払わなければああなる」

 彼が指差した方向を見れば、裸の老若男女が鞭で打たれている光景が目に入る。時折、悲鳴があがったり、周囲の人間が痛ましげに彼らを見るが、止めるものは誰もいない。

「罪人扱いか・・・」

「そう、あんたもこの世界にいる間は用心した方がいい、ほれ、鍵はこれ。宿はここ」

 彼から鍵を受け取り、彼は今日宿泊する宿を見上げる。会話なら力を使えばどうとでもなるが、『紅葉荘』、と書かれた看板は彼には読めなかった。その宿の周りには、紅い葉っぱが覆いかぶさるようにして、その宿を包み込んでいた。

「何で片付けないんだろう?」

 彼の感想に案内人は思わず噴出す。

「ま、まあこの世界の住人の趣味みたいなもんだ。じゃあ、今日の深夜ここで」

「分かりました」

 彼とは一旦別れ、ルシファは宿への一歩を踏み出した。

「さっきから思っていたんですが、その服は?」

 彼は目の前を歩く女性の後ろに続きながら、疑問を口に出す。そとでもそうだったが

、一枚の布で体を包み込むようにして巻き、それを紐で綴じる―彼が何か言っていた気がするが忘れた―何かが、彼は気になって仕方が無かった。

「ああ、多分和服のことを言われているんでしょうね。お客様のその服は外国の?」

「え、ええそうです」

 今日の彼はまだ制服ではなく、Tシャツにジーパンそしてその上に上着を羽織っただけのラフな格好をしていた。

「この国に昔から、と言いましても今では大分昔とは変わりましたけれど、よろしければ後で着て見てください」

 そう言って彼女は目の前の紙の扉を横に引き、彼を部屋へと招き入れる。

「何これ・・・」

「あら、畳を御存知ない?」

「あ、すいません。無知なものですから」

 正直、世界についてあらかじめ情報が欲しい。この時彼は心底そう思った。

「い草、というものを使って編んであるんです、外国ではふろーりんぐというものだとか」

「はい、フローリングですね」

 どうやらこの世界の国ごとの文化的差異は自分がいた世界よりも大きいらしい、彼のそんな考えを他所に、彼女は部屋を出て行こうとする。

「あ、あのすみません」

「はい?」

 彼は自分にとって死活問題ともなる疑問を口にした。

「お風呂とトイレはどこですか?」

「へえ・・・温泉、ねえ」

 湯船に浸かりながら彼は珍しい体験をしていた。少し早い時間らしく、入っているのは自分ひとりだけだった。外で湯に浸かるという行為そのものが楽しくなり、腕と足を伸ばしてみる。

「はあ・・・」

 この一週間の中、思えば随分働いた気がする。ここよりも危険な世界ばかりで、初めて彼は異世界でリラックスできる時間を得ていた。今日の仕事は単純作業だし、最初に自分で調査した結果、見つけたものはこの世界の中だけで完結するもので、『ハムルス』との繋がりはどこにも無かった。そうと決まれば仕事を片付け、さっさと帰る。干渉する気は無いし、それでこの世界が更に崩れてしまえば元も子もなかった。

「うう・・・」

「どうした?体調が悪そうだが?」

「いえ・・・」

 夕飯時、生の魚を食べてみたのが失敗だったのだろうか、それともちゃわんむしとやらが駄目だったのか、それともあの臭い豆か。無理して食べたが、白飯以外は見たことも無い料理ばかりで、彼の胃は爆発寸前だった。

「ほら、これを打ち合わせどおりに。しっかりしろ」

「はい・・・」

 彼は気を取り直して小包を受け取る。中に何が入っているかは知らないが、相当重要なものなのだろう。でなければ大金を支払ってまで、自分達には頼まない。

「ここに、ですね」

「頼んだ」

 そう言って彼は案内人の役目を終え、裏側へと戻って行く。彼は誰も周りにいないことを確認して自分の周囲に力を展開する。

「・・・」

 静かに自分の周囲を飛び交うサリッサを見て、彼はゆっくりと浮かび上がる。目指すはここから500キロほど北にあるこの国の辺境、そこが今回の目的地だった。2時間ほどで着くだろう、と彼は見積もりを立て、飛び立った。

「星・・・か」

 先ほどいた地上から遥かに高高度を飛んでいた。周囲を巡るサリッサが外からの干渉を防ぐ役割を担い、彼は空の散歩を楽しんでいた、のに。

「はあ・・・」

 彼はあからさまにテンションを落とし、後ろへと注意を向ける。誰かにつけられていた。

「対象はこちらにはまだ気付いていません」

「よし、ならば最後まで背後に着け、渡す相手が分かれば思惑も分かる」

 彼女は彼の遥か下を飛んでいた。黒尽くめの服は周りの闇と相まって、彼女の姿を隠していた。

「大丈夫、大丈夫」

「何がだ」

「ひっ!」

 驚いて落下しかけた彼女を彼が掴む。

「何をしている。返答しだいでは」

「縛るのか!」

「・・・」

「さては、裸にして鞭で打つ気か!」

「いや、これで串刺しにしようかなって」

 何だかどうでもよくなり、彼は周囲に展開するサリッサの一本を握り刃先を突き付ける。

「え、ええっと」

「5」

「え?」

「4」

「ちょ、ちょっと待って」

「3」

「いや、ほら5秒追加」

「2」

「すいませんつけてました」

「・・・」

「何、言ったでしょ。早くどけて」

「1」

「ごめんなさい許して全て吐きます」

「0」

「どうして!?」

 ここでルシファの時計が鳴った。

「時間だ」

「は?」

「奴らがくる」

 ここで彼女も思い当たった。正直この男を尾行するのに必死で肝心な事に頭が回っていなかった。

「戦えるな?」

 戦う必要は無いが万が一という事もある。そう考え尋ねた彼の耳に力強く返答が帰ってくる。

「勿論」

「ならいい」

 そう言って彼は力を更に込める。先ほどから周りを巡るサリッサのスピードがどんどん上がっていく。

「能力者?」

「じゃあ、何で飛べてるんだよ」

 そう言い残して彼は飛来する物達へ体の向きを移動させ、唱えた。

「三式」

 八本のサリッサが凄まじいスピードで回転しながらランダムに移動し、相手に襲い掛かる。

「ギャグルアア!」

「朱雀・・・」

 彼の技が全てかわされるのを見て、彼女は改めて現れた物の強さを思い知る。この世界の神と呼ばれる物の一つ朱雀。その翼は見る者を魅了し、崇める者もいたが、今はこちらが縄張りに入った立場だった。

「やっぱりかわされたか。まあ殺したら罰が当たるな」

 なおもこちらに向かってくる朱雀を見て彼は落ち着き払って態勢を整える。誰であれ何であれ殺したくは無い。どうすればこれをあそこに連れて行き、小包を開放するか、それが問題だった。

「やっぱりあんた!」

「ああ、知ってたのか。こっちもあんたの正体は分かった。申し訳ないがこっちも仕事だ。悪く思うな」

「ちょっと待て!」

彼は全速力で離脱し、朱雀から距離を取る。が、いきなり攻撃をくらった朱雀は彼を上回るスピードで彼に肉薄し、炎を周りに顕現させる。

「ほう」

 自身に肉薄されてなお彼には余裕があった。朱雀と戦え、と言われたときは我が耳を疑ったものだが、詳細を聞けば、それは単純作業だった。

「ほら」

 彼はまたもやさっきと同じようにサリッサを飛ばす、今度は直線的ではなく、朱雀の周りに一旦配置し、そこから逃げるように移動させる。問題は上手く誘導できるかどうかだが、ここまでは上手くいっていた。

「グア?」

 朱雀はサリッサの後を追い掛け回す。絶大な力を持つといっても、何も神の如き知能を持っているわけでもない。適当に後は展開させながら彼はゆっくりと朱雀を誘導していった。

「よし、見えた」

 それから2時間後、予定通り見えてきた物に安堵し、彼は小包を空にばら撒いた。

「ああ・・・」

 後ろから追って来ていた彼女が落胆の声を挙げる。ばら撒かれたのは金銀の小判だった。

「やっぱり」

彼は納得して朱雀の方にサリッサを向ける。するとその炎がみるみる内に膨れ上がり、八本のサリッサばかりか空一帯を赤に染める。

「目的はこれか」

 その影響で小判は液体になり、下で待っている同僚達が回収、担当の物がある程度の形の型に入れ、裏でも通用する通貨にその形を作り変える。これが報酬、そして依頼者の目的は下を見れば一目瞭然だった。

「あーあ、こんなものに使うなら頂いたのに・・・」

「価値なんて人それぞれだ。俺は仕事だったからしたまで。お前はそれを盗もうとしただけ。盗賊か何かか?」

「義賊だ」

「成る程、泥棒ね」

「だから―」

 怒り出すか彼女の言葉を遮り、彼は炎を巻き上がらせる朱雀を見た。

「この世界には4方向にそれぞれ神様が一体ずついるんだろ? 一度くらい他の方角の神様を見たい、なんて可愛い夢だと俺は思うぞ」

 北方地方特有の雪が降る中、彼は下で喝采を挙げる住人達を見た。

「じゃあな、ああそうだ」

「何?」

 彼は隠し持っていた何枚かの小判を彼女に手渡した。

「くれるの?」

「いや、賄賂」

「賄賂? 何のために?」

「それで殿様とやらにあの鞭打ち制度無くすように頼んでみてくれ。何なら、こんなものを見せてもいい」

「げっ!」

彼が手にしていたのは、領主に送られた商人からの手紙。自身の積荷の関税を操作する事を黙認してくれるよう依頼する内容で、そこには女性が5人献上されていることが示されていた。

ちなみに、彼は賄賂と言う概念をこの世界で始めて知った。

「見つけたけど、いらないし」

「どうやって・・・」

 彼はウインクして言った。

「禁則事項だ」


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