第一章 第三節 『世界』との接触
「逃げられた、な」
「くそっ!」
セイバーは壁を叩き、いつもは決して見せない感情を見せる。
「魔女はともかく、あいつの覚醒は予想外だったなあ」
セイバーたちはとある世界にある本部へと戻り、事後策を協議していた。
「呑気な事を言っている場合か!」
鋭い剣幕を見せるセイバーにランスロットは飄々とした声で答える。
「仕方ないだろ? 予想外だった事は事実だ。現にあいつは今頃魔女と一緒だし。もう、こちらからは手出しできない」
「余計な事を・・・」
「まったくだな」
協議するとはいっても、結局の所彼らにはどうすることもできなかった。
「覚醒するパターンは色々あるが、あれは・・・」
「憤慨」
ボルクの言葉に彼は同意を示すように頷く。
「だろうな。あのライトの事がよほど大事だったらしいな、あの坊やは」
「そんなことは関係ない」
セイバーは素早く命令を下す。
「魔女の所に行ったという事は、恐らく『グリゴリ』に入ったのだろう」
「だろうな、表に出てきたところを待って叩く。それしかないわな」
正直彼はもう無理かもしれない、と諦め始めていた。カイルのあれを初見で完璧に防いだ腕、どう考えても弱くは無い。まさか自分たちより上、ということはありえないだろうが、バックにはあのサディケルがついている。サディケル相手に勝てるのは全世界ひっくるめて僅か数人。ここにその内の一人がいるが、彼女は逃げるのがとにかく上手い。追いかけられる相手ではなかった。
「サディケルか・・・」
その数人の内の一人が口を開く。彼女とは幾度と無く戦ってきたが、明確な勝敗が付く勝負は未だ無かった。
「はあ・・・」
エミルは部屋に本部に戻った後、部屋にそのまま倒れ込んだ。撃ち込んだはずの銃弾は、結果的に当たる事は無かったとはいえ、明らかに狙いからは逸れていた。
「気にすんな、無理も無い」
そう言ってカイルは励ましてくれたが、今はそんな気遣いも彼女には辛かった。撃てなかった、ただその事実だけが彼女に重くのしかかった。
「何故、どうして? 任務なのに、撃たなきゃだめだったのに」
繰り返される自問自答の中、無意識に彼女が求めたのは胸のペンダント。
「あっ」
駄目だ、触ってはいけない。思いは捨てたのに。そんな彼女の心の声は、実際の泣き声で霞んでいった。
「ルシファ・・・」
彼女は一晩中泣き続けた。ありもしない温もりを求めてすすり泣く彼女は、もはやただの『少女』と何ら変わりはしなかった。
「ふむ、逃げられたか」
「なかなかやってくれるな、あの『魔女』は」
本部と世界を同じくする空間のまた別の場所で、彼らは話し合っていた。暗闇の中、誰が誰とも分からぬ部屋の中で、十人程の影がゆっくりと言葉を発していく。
「まあ、問題ありますまい。既に手は打ってあります」
「ほう、まさか」
一人の声に一人が反応する。声だけではそれぞれの個性が全く見えず、まるで同じ人物がひとりで話しているかのような錯覚を聞く者に与える。
「ええ、簡単ですよ。どんなに力があろうと、所詮ひよっこ」
「分かった。任せよう」
こうして、これだけの会話で、彼の運命は決定する。
「精々、今の内に束の間の自由を満喫することだ、ルシファ」
「ここ、か」
彼は新たな世界へと降り立っていた。見渡す限り赤土の台地が広がるそこには、生き物の気配は微塵も感じられなかった。
「どうだ? 初めての異世界は?」
そう隣でこちらに声を掛けてくるのは、カリジュ。今回の仕事のパートナーだった。
「まだ、よく分かりません。魔物の討伐、との事でしたが」
「そ、だけど普通の人間からすれば厄介なだけ、俺達なら楽勝楽勝」
明るく話す彼の声にルシファは幾分か緊張が和らぐ。大きな金色の瞳は、人懐っこそうにこちらを見てくる。ふと、その中に自分が見えて、彼は思わず目を伏せる。
「どうした?」
「いえ・・・」
彼の問いかけにも彼は上手く答えられなかった。ライトに、いやエミルにも助けられて残ったこの命。果たして、彼女の命ほどの価値が自分にあるのか、彼には分からなかった。
「行こうぜ。ちゃっちゃと終わらせちまおう」
「ああ」
カリジュの声に彼は努めて明るい声を出した。笑顔でいよう、せめて自分は彼女の分まで、この世界を生きよう。そう思い、彼は第一歩を踏み出した。
「あれ、おっかしいなあ」
歩き出してから数十分程経った後、カリジュは足を止め、周りを見渡す。
「何か?」
「いや、そろそろ魔物の出現地点なんだけど・・・」
ルシファも同じようにして周りを見渡すが、魔物どころか、草一つ生えてはいなかった。
「何もいませんね」
「な? だからおかし―」
「!」
彼の言葉は最後まで言い終わる前に、地面が揺れた。
「これは!」
「来るぞ!」
いい終わるやいなや彼の手には見たことも無い武器が握られていた。近い物でそれを表現するならそれは銃だったが、銃口が無く、変わりにそこには剣が付いている。まさに剣銃だった。
「これか? カリジュスペシャル」
不思議そうに見つめる彼にカリジュは自慢気に手にしている物を掲げて見せた。
「・・・」
「何だよ?」
「いえ・・・」
ネーミングセンスに同調はできなかったが、それなりの実力者なのだろう。そう彼は勝手に判断して、自身も力の展開を開始する。
「ほう、すげえな」
展開が終わると同時にカリジュの賞賛の声が響く。その間にも揺れは激しさを増し、とうとうその正体が目の前に現れた。
「おいおい」
「へえ、これがドラゴン」
馬鹿でかい雄たけびと共に現れたのは、カマスドラゴン。
「馬鹿、逃げろ! 勝ち目あるか!」
「え?」
振り向くとそこには既に逃亡している同僚の姿。
「え、でも任務が」
「命捨てたいのか!」
言っているうちにドラゴンは口から大量の土砂を吐き出してくる。
「80式」
彼はそう言うやいなやサリッサを展開してその土砂を反射、されに対象の右へと回り込み、今度は3本を展開させて唱える。
「32式」
目潰しされる形となったドラゴンはようやく彼を視界に納めるが、その時既に頭上に矢印状に展開されたサリッサが、頭から体までを引き裂いていた。
「・・・ごめん」
でかい音をたてて倒れるドラゴンを目にして彼は小さく謝罪の言葉を告げる。
「強い・・・」
カリジュは目の前の光景が未だに信じられないでいた。お互いほとんどひよっこ同士だから、と彼は簡単な任務が与えられるとばかり思っていたのだ。ところが現れたのは滅多に現れないドラゴン、今のはその中では弱い部類に入るものだったが、一人で倒すにはそれなりの技量が必要とされていた。
「これ、どうします?」
気付けばルシファはこちらに戻ってきていた。逃げたのを咎める訳でもなくさらっと告げる彼にカリジュは多少の後ろめたさを感じながらも先輩として、彼に命じた。
「依頼者を探せ」
「あ・・・」
ルシファも思い当たった、そうだ、倒したところで褒章が出なければ意味が無い。
「どこ・・・いるんですかね」
「知らん」
ただ、彼らの周りには乾いた風が吹くだけだった。
「いました、あそこ!」
「よくやった!」
結局彼らが取った方法は、ルシファの能力をフルに生かすこと。つまり、縦横無尽に当たりを飛び回ることだった。10分ほど辺りを飛び回った結果、彼は小さな集落を見つけたいた。
「やっと来てくださいましたか」
「探すのにこっちも一苦労だったが」
何もしていない彼が、目の前の初老の男性に皮肉たっぷりに答える。
「すみません、どうやら連絡ミスがあったようで」
申し訳なさそうに話す彼にカリジュはさっさと本題にはいる。
「それで褒章だが」
ここで依頼者は驚いたような顔を見せた。
「え? これからでは?」
「え、さっきのドラゴンでは?」
「は? ドラゴン? そんなものここにはいませんけれど」
「・・・」
「・・・」
結局その後、
「あー、もう! 何なんだよ!」
「・・・」
彼らはその集落から数キロ離れた高台に立っていた。カリジュがいらついている理由は至極明快だ。何せ、倒さなくてもいい物を勝手に倒していたから。
「あのドラゴン、縄張り荒らされて怒っただけかよ」
ルシファは先ほどから落ち込んでいた。まさか降り立ったあそこが巣のど真ん中だったとは、彼は知る由も無かった。
「気配隠すのだけは上手かったな」
「はい、全く気付きませんでした」
だからこそ、彼らは勘違いしたのだ。結局カマスドラゴンでも何でも無かったドラゴンみたいな何かは、ただの馬鹿でかいトカゲだった。
「逃げた自分が恥ずかしい」
「私でも倒せたものでしたし」
慰めるように声を掛けたルシファに彼は不満げな声で言う。
「なあ、おい」
「? はい?」
「その言葉遣い止めろ。気持ち悪い」
「いえ、でも先輩ですし・・・」
なおも躊躇する彼にカリジュはとどめの言葉を告げた。
「こんな命の張ってる所で俺を萎えさせたいのか?」
「あ、じゃあ、はい、分かった」
「よろしい」
ようやく納得した様子の彼を満足げに見つめた矢先、誤算は起こった。
「それにして―」
突如として彼の体がルシファの目の前から消える。
「カリジュ!」
叫んだときには彼の体は真っ二つに引きちぎられ、鮮血が彼の周りを舞った。




