プロローグ1 それはいつもの日常
「ほら、いつまで寝てる気? 学校行く気ないわけ?」
ドアが開くと共に威勢のいい声が響いた。そして覇気の無い声が布団の中から。
「行く気はある。ただ後5分寝たい」
そんな彼の願いは瞬時に霧消する。何故なら、目を開けるとそこには修羅がいたから。
「今日がどんな日か分かってる?」
「怒るな。分かった、今起きるよ」
ここは彼、もといルシファ・L・イエルズの部屋。いまその彼を叩き起こしているのはライト・L・イエルズ要するに彼の妹である。
「まったく、肝心なときにいっつもこれなんだから」
ライトの嫌味はいつものことだ。いつもこうして起こしにくるのはいいのだがもう少し起こし方に気を配って欲しいなあ、とは彼の本音。
「肝心っていっても、今日こんなに早く起きる必要は無いだろう?」
家を出るまで後2時間はある。
「馬鹿、こういう日は早く起きて完璧に身支度を整えるの。あんた、主役だっていう自覚あるの?」
「自覚はある。ただ」
続きを言う前に、張り手が飛んできた。
「やる気が無いんでしょ?」
「・・・よく分かるな」
「あんたのことだからね」
彼は苦笑して立ち上がるとぶつぶつ言いながら着替え始める。何を言っても勝てないのは昔からだ。
「フェイトは?」
「とっくの昔に起きて待ってる」
「さすが姉妹」
「あんたも一応同じ血入ってるはずなのにね」
「まったくだな」
身支度を済ませ部屋から出ると少女の元気のいい声が響く。
「おはようお兄ちゃん」
「ああ、おはようフェイト。お前はこいつと違って優しいなああひおhかひうでょい」
「最後なんて言ったの?」
「な、何でも無い」
いくらなんでも急所に蹴りは無いだろう蹴りは。だがこちらの必死の抗議の目線をあっさり無視し、彼女は妹に微笑みかける。
「おはよう、大丈夫? いつもより早く起こしちゃってごめん」
「ううん、大丈夫。なんたって今日は」
と、急にこちらに振り返り満面の笑みで告げた。
「お兄ちゃんの誕生日だもん」
そう、今日は彼の誕生日だった。年齢不詳、両親不詳、出身地不詳、おまけに本名まで不詳な自分をここまで育ててくれた両親に、彼はひたすら頭が下がるばかりだった。
「今日で18歳だね」
フェイトの声に彼は笑顔で頷く。本当の事をまだ彼女たちは知らない。ライトが生まれる前に拾われて、その後ずっと一緒に暮らしてきた。誕生日も名前もその時付けられて今に至っている。
「心は2歳になったんだっけ?」
いつかこいつは完膚なきまでに叩きのめす。今は決して口には出せないが、彼は密かにそう誓った。
「もう、お姉ちゃんいつも意地悪ばっかり、とっても優しいのに」
腕にじゃれついてくる妹はとてもかわいい。ああ、こころまで癒される、いや、この人生全てはきっと今この時を感じるためだけにあったのだと言っても過言ではない。
「聞こえてるけど?」
「あまりの感動に口からつい、しかし妹、と同じ表記をしたとしても聞いてる側はどっちが行動の主体か分かってくれるのは非常にありがたい」
「そりゃ結構なこと」
「今日は町まで出るんだよね?」
フェイトの問いかけに彼は頷く。
「ああ、夕食はレストランで、だそうだ」
自分のためにそこまでしなくても、と彼は一旦は辞退したのだが、
「私たちが祝いたいんだ。それとも、嫌かな?」
と父にそう言われては出席しない理由はどこにも無かった。
「悪いな。あまり街中に出るのは気が進まないだろう?」
「そんなことないよ。今から私すっごく楽しみ。ねえ?」
いきなり話を振られて驚いたのか、ライトはリビングのドアに思い切り頭をぶつけていた。
「おはよう、今日も賑やかね」
キッチンから柔らかな声が響く。
「おはようございます、お母さん」
「おはよう、朝ごはん何?」
「っつ・・・お、おはよ」
三者三様の声に彼女はとても愛おしいものを見るような暖かな目線と共に三人に返事を返す。
「ちゃんと起きれて偉い、今日はルシファの好きなフレンチトーストにしたの、あらあら、さっきのぶつけた音はライト? 気を付けなきゃ」
「別に油断してた訳じゃ・・・」
そういいながら頭を抑える姿は滑稽を通り越して爽快ですらあった。
「父さんは?」
「もう仕事に行きました。でも、いつもより早く帰ってくるって言ってたから、心配しなくても大丈夫」
「別に心配はしてないよ、父さんのことだから」
昔から誕生日には敏感な父のことだ。恐らく、今年もとんでもないプレゼントと共に颯爽と帰ってくるのだろう。
「でも、最近お父さん変だよね? 何かいつもより緊張感が漂ってるっていうか・・・」
フレンチトーストを頬張りながら、フェイトがおもむろに話し出す。
「あんなに忙しそうなの見たこと無い」
ライトの言葉を聴きながら彼も考え込む。父から自分へ、仕事の内容を詳しく聞かされた事は無かった。尋ねた事は何度もあったが、それで分かったのは、どうやら国のとある機関でなにやら研究している、ということだけ。フェイトやライトに聞いても同様の知識しか得られず、母に至っては何も知らなかった。・・・まあ、そういうのを気にせず結婚するのが母らしいし、だからこそ本当の母じゃないと知らされてもこうして今も素直に母さんと呼べるのだろうが。
「きっと、何かあったのよ、ここ最近ずっと遅いし。ほら、貴方たちは学校でしょ」
そう言われて時計を見ると、時空の歪みでも発生したのかもう、登校時間となっていた。
「やばい、母さん弁当」
そう言った瞬間、ライトの雰囲気が変わった。どこかいつものライトのようなそうで無いようなそんな微妙な空気。
「今日は無し、自分で買って食べなさい」
それを振り払おうとするかのような母の声に、再び時間は流れだす。
「はいはい、今日は購買ってことね」
何故かぎこちない笑顔が気になったが、そうそう構っていられる程の余裕は無い。慌てて朝食を腹の中に押し込み、脱兎のごとく家を出る。途中で小学生のフェイトとは分かれ、高校へと急ぐ。
「はい、ギリギリセーフ」
教室に駆け込むようにして入るといきなり後ろから声がかかる。
「うるさい、セーフに余裕もギリギリもあるか」
「野球なら確かにそうだが、ここは学校だ。余裕をもって登校してくる生徒と、いつもいつもギリギリにならないと来ない生徒じゃ先生の印象だって変わるさ」
「それは嫌味か?」
「いや事実だ」
嫌味嫌男、もといエリック。幼いころからの腐れ縁と言うかなんと言うか、小中高一貫性のため嫌でも顔を合わしている内に彼とはいつのまにかこんな仲になっていた。
「お前のせいで学校中の男共がうるさいんだぞ。いつもいつもフェイト様はお前のせいで、遅刻寸、前、だ、とな」
フェイト様、それがこの学校での彼女の立場だった。成績優秀、運動神経抜群、おまけに品行方正、誰に対しても平等で優しく料理も上手い、そして美人。それが彼の聞く彼女のうわさだった。
「知ったことか、全員現実を知らないだけだ」
「お前なあ、兄だからってその言い草はどうかと思うが」
事実だから仕方が無い。大体勉強は毎日深夜まで彼が教えているからで、運動神経は彼女特有、というか家の血の伝統、品行方正、つまり性格がいいのはいざばれても味方を作っておくためであり、料理はいざという時一人でも生きていける様に、といったところでそれは彼女にとって必要不可欠なステータスだった。最後の評価はどうにもコメントの仕様が無いが、少なくとも彼の中の美人の定義に彼女が入らないことだけは確かだった。まあ、彼らの目が節穴なのだろう。
「でも、ルシファだって結構人気あるんだよ」
「俺なんかのどこに人気があるんだ? エミル」
いつもの様に後ろから、というか何故いつも後ろからしか話しかけてこないのか、という疑問を押し込めつつ彼は振り返る。いるのは彼の中の美人の定義に入る数少ない人物の一人。彼は自分に気軽に話しかけてくるその性格と空に映える青色の髪が好きだった。
「成績優秀、運動神経抜群、までは確かに兄妹似てはいるが」
「何が言いたいかは分かる」
彼の評判は一言で言えば孤高、だった。他人とはめったに話さない。特に他者と積極的に混じろうともしなければ、一人でいるのを寂しがっている風でもない。他者から見れば、近寄りがたい雰囲気を醸す彼と気軽に話せる人間は限られていた。
「でも、隠れファンは多いんだよ、今日もラブレターもらってたし」
「偶々だ」
下駄箱に紙の束が押し込まれているのは、彼から見れば滑稽以外の何物でもない。
「そんなこと言ってるから彼女の一人もできないんだよ」
「いらん」
「もう」
「やれやれ」
そんな二人のやり取りに溜息を付くエリック。
「席に着けー」
先生の声と共に始まるHRを聞きながら彼はぼんやり考えていた。一体、あいつは何を考えてる? 実のところ、今日入っていた手紙の中には、いつもと違う名前が一つだけ入っていた。いつもは中身も読まずに捨てる封筒を開けると、そこにはこう書かれていた。
『今日、昼休み裏庭で待ってる ライト』
罰ゲームか? それとも何か学校で言っておくことでもあるのだろうか? というか今日は一緒に登校したのだ。手紙を入れたのは昨日? ループする考えに引き摺られ、今日の彼は珍しく先生から注意を受ける失態を犯していた。
「おーいルシファ、飯食おうぜ」
昼休み、いつもの様に弁当を広げながら誘ってくるエリックに彼は手を合わせて謝罪の意を示した。
「悪い、今日は先約がある」
「へえ、珍しいねえ。私たちの誘いを断ってでも行かなきゃいけない相手?」
「ああ、もう蹴られるのはごめんだからな」
エミルのどこか不機嫌そうな声に笑みを返しながら答え、彼は裏庭への道を急ぐ。あいつのことだ、遅れたらとんでもない不吉な事が待っていそうで・・・。
「・・・・・・あしたは雪か? それとも嵐か? まさか隕石なんてことはいおあhそhふぉあほぱ」
腹に強烈なパンチが飛んできた。
「いいから座って」
目の前にある弁当を未だもって懐疑そうな目で見る彼に対し、彼女は自分の分をそそくさと開ける。
「・・・食べないの?」
「毒は入れて無いよな?」
「入れればよかった?」
「いや、まさか登校時間の二時間前に俺を起こしその前に全て弁当を作り終えなおかつそれを母さんにも俺にもフェイトにも悟らせずに今まで過ごしていたのかと思うとそれはそれで素直に驚くばかりだ」
「母さんには・・・少し手伝ってもらった、フェイトには・・・黙っとくように」
「なるほど、朝のあれはこれか。だったら普通に食堂にでも教室にでもラウンジにでも屋上にでも誘えばいい、何でこんな日当たり悪い所でせっかくの弁当を・・・」
「ほ、他に場所が無い」
「あるだろ、何を恥ずかしがってる」
「うるさい、食べるなら早く」
「はいはい」
意を決して目の前の弁当を開けると―
「まあまあだ」
「はいはいそれはよかった」
中々の見栄えと味、そして彼の予想がそのラインよりもかなり低く設定されていた事も相まって、彼の中の評価は上々だった。エミルの弁当より若干味は落ちるが、それを言ったら今度は冗談抜きで殺されそうなので止めておく。
「今分かった」
「何が?」
「お前がわざわざ裏庭に俺を呼んだわけ」
「えっ」
何故か動揺するライト、それに構わず彼はたった今思いついた事を話してゆく。
「ファンに追っかけまわされるからだな?」
彼女ほどの人気ならばそういう状況も有り得るのだろう。実際彼女は多様な人間と昼食を共にしているという話は聞いているし、ここならば確かに人が来る事はめったに無い。それから多分、他人とあまり干渉しない自分を思っての事だろう、と彼は解釈していた。
「はいはいそうですよ」
彼女の声に込められた感情に気づかず、彼はいつもの様にさっさと昼食をたいらげる。
「おいしかったよ。ありがとう」
「あ・・・」
そろそろ昼休みも終わるため立ち上がろうとした彼に彼女が制するような声を挙げた。
「どうした?」
「また、作ったら―」
「そん時は普通に呼んでくれ。食べるから」
「・・・分かった」
その時は、まだ信じていた。いや、明日起こることなど誰が想像できただろう。だから、この時彼は、明日も同じようにやってきて同じように過ぎると信じていた。




