第1話 『通りゃんせ』
行きはヨイヨイ、帰りはコワイ
コワイながらも…
《通りゃんせ》
「っ!!」
耳元で囁かれるような感覚にバッと勢いよく身を起こした。辺りは真っ暗で薄っすらと机や椅子がぼんやり見える。
ここは私の部屋だ。
枕元のスマホで時間を確認すると時刻は午前3時を回っていた。
バクバクと早鐘を打つ心臓を深呼吸する事でどうにか落ち着かせてから、ベッドの淵に腰掛けたまま再び瞼を閉じた。
なんだったんだ、あの歌は。
…夢にしてはやけにハッキリと聞こえた。
鈴を転がすような高い声。まるで、子供が遊びながら歌っているかのように楽しげだった。
なんにせよ、このまま気にせず再び眠りにつけるような気もしないし、ここは一度起きて、顔でも洗ってくるのが一番だよね…。
ベッドから抜け出した私は、リビングのソファーで気持ち良さそうに居眠りしている母を起こさないようにそっと洗面所へと移動した。
冷たい水を両手で掬って顔へかけた。
だいたい、19歳にもなって変な歌が聞こえて怖くて眠れないなんて、友達に言ったら馬鹿にされるわ。
よし、もう大丈夫、早く布団に入って寝よ。
そう思いながら、顔を上げた。
刹那、目の前の三面鏡に映し出された真っ赤な目玉が二つ。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!?」
な、なにあれ!?目玉!?
い、いや落ち着け私、そんな訳ない。
一度瞼を閉じた後、再び正面の三面鏡にゆっくりと視線を戻す。
いつも使い慣れた鏡面にパジャマ姿のまま顔を顔を強張らせた私と、まるで私を嘲笑うかの如くふよふよと空中を遊泳する二つの赤い目玉。
見間違えなんかじゃない。
確かに目玉が私の背面に…。
「お母さんっっっ!!!」
私は多分自分史上最大の声でリビングの母を呼んだ。
…筈なのに何故か叫んだ自分の声が聞こえない。
違う、声が、声が出ない。
声が出ないどころか、体も、顔も、髪の毛一本ですらも、まるで石化してしまったように動かす事が出来ない。力を入れて動かそうとしてもビクともしない。
尋常じゃないこの状況に恐怖と焦りが内心を支配し始めた時だった。
《通りゃんせ、通りゃんせ》
また、あの歌だ。
今度は夢じゃない、鮮明に聴こえる。
《行きはヨイヨイ、帰りはコワイ
コワイながらも通りゃんせ》
「あ…」
通りゃんせ。と聴こえるが早いか、それとも同時だったか。ともかく、その言葉が聞こえると共に私の体は糸の切れた人形の様に地面に叩きつけられ、重たい瞼を閉じた。
《ここはどこの細道じゃ》
どこだろう、ここ。
どこを見ても真っ暗な世界が広がるだけで、何も無いみたいだ。
それになんだかぬるま湯に浸かってるみたいな、不思議な浮遊感がする。
《_____様の細道じゃ》
漂うように真っ暗な世界を進むと、一際輝きを放つ立派な鳥居が一本佇んでいた。
「…この鳥居の先に進めば、何かあるのかな」
《行きはヨイヨイ、帰りは…》
吸い込まれるように、私はその鳥居を潜り抜けた。