プロローグ
「たぁあああああああ!」
振り下ろした剣先は一直線に伸びていく。
本赤樫でできている木刀はしなりを持ちながら速度をあげる。
カンッと乾いた音が道場全体に響く。音の原因はもう一本の木刀と打ち合ったからである。
「スバル…。なかなか腕を上げたな。だがッ!まだ兄弟子として負けるわけにはいかないんだよ!」
力ずくで鍔迫り合いを振りほどこうとした男は、反動で態勢を崩す。
これこそスバルの狙っていたものでもあった。振りほどかれた反動を腰を落とすことによって自分の足に力を貯める事に利用し、爆発するかの如く相手へと再び迫る。
先ほどとは異なり相手は態勢を崩しており、存分に打ちうことはできないだろう。低い態勢から繰り出される木刀によって男の木刀は宙に舞った。
「これでまだ中3だからなぁ…恐れ入ったぜ。スバルお前この間の全国大会も優勝したのか?」
「・・・ん?うん。一年の時以外は全部優勝したよ。でも最近同世代じゃ相手にならないからあんまり面白くないんだよね。アキくんにも最近は勝率抜きつつあるしね」
「ぐぬぬ…確かに。体格で優っているから今まで勝ててきたものだったがスバルも大分体が大きくなってたから鍔迫り合いも有効的じゃなくなってきてる気がする。このままでは…ブツブツ」
スバルと試合をしていたのはこの道場主、千場明宏。大学を卒業したばかりの社会人である。
スバルとは兄弟子、弟弟子という関係になっている。先代道場主千場秋彦が亡くなって早1年、休日のみという事でなんとかこの道場を切り盛りしている。
忙しいながらも頑張っているというのがスバルの印象だ。
週に一度、稽古があるレベルだが長年この道場に通っていて、さらに家も近所のスバルはほぼ毎日この道場の手入れや練習を行っていた。
寧ろ最近ではスバルの方が道場主と言っても過言ではないのだろうか。
「なぁ、スバル。お前高校はどうするんだよ?剣道の推薦もいくつか来てるんだろう?」
道場から中庭が覗ける場所に隣に座りながら聞いてくる明宏。
「高校か・・・。別に高校で剣道部に入らなくても良いかな」
「ナッ!なんだって!お前から剣道とったら何になるんだよ!」
「アキくんよりは勉強もできてると思うし、運動もできると思うんだけど・・・」
「ぐっ…。にしてもだ、お前の剣道の才能を生かさないのはもったいなくないか」
「剣道自体は結局同世代が一緒に上がってくるだけだからね。あまり戦いに魅力がないというか…もっと強い人と戦いたいんだ」
「強い人ねぇ、あっ!そういえばお前が中一の時に負けたやつと高校に行けば試合できるんじゃないのか。名前なんっったかな?かざ…かざき・・・」
「風間」
「そうそう風間だ!インターハイで連覇したらしいじゃないかそいつ」
「…その人ならこの間試合しに行って勝ってきた」
「はっ!?」
さもなんでもなさそうに応えるスバル。
「この間、中学の全国大会に行ったときに見に来てて是非とも試合がしたいって言うから。こっちも断る理由無いし寧ろ願ったり叶ったりだったからね」
「それでお前、インターハイ王者に勝っちゃったのか?」
「二年前の時点で腕前としては大きく差はなかったからね。体格差はもっとついちゃったけど技術としては僕の方が伸びてたってことなのかな」
脇に置いていたお茶を飲み込むとスバルは立ち上がり、道場へ向かう。
道場に一礼をすると素振りを始める。
スバルは黙々と木刀を振り続ける。
木刀が空を切る音は既に中学生がさせるものではなかった。
「まったく―――お前は確実に生まれる時代か世界を間違えたんじゃないのか?」
そう明宏が零すのも当然だった。
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日が沈めば、陽は昇る。
あっという間に休日が終わり、残り半年程となった中学生活をスバルは満喫していた。
3限の数学が終わり丁度休み時間に入ったところだ。
「n・・・むにゃむにゃZZZ。もう食べれない」
「なに寝てるのよ!」
スバルのそばに立つ女生徒の一人が丸めたノートを手に机で寝ているスバルに対してノートを振り下ろす。
パシ、スバルは瞬時に目を見開くと女生徒の手首を掴む。
さらに机の上にあるペンケースを左手で掴むと彼女の胴に寸止めをする。
「ふ、一本とったり」
「一本とったりじゃない!」
さらっと持っていたノートを逆の手で持つとスバルの頭をポカリと叩く。
いてっと罰が悪そうな顔で顔をあげるスバル。
彼の前に立っているのは、今河遙。おせっかい的な同級生であり、剣道部所属の剣道少女である。
「四葉スバルあんた進路表まだ先生に出してないでしょ!早く推薦校どこに絞るのか決めろって顧問が怒ってたわよ」
目の前で腕を組み、肩をいからせる。今川がそこまで憤る必要はないのではないかと思わざるおえない。しかしながら、中3にしてこの胸の大きさ、胸囲に当たる。じゃなくて驚異か。
一体今後の成長期でどこまで成長していくのか検討もつかない。がその感想を表情には僅かにも出さない。相手に安易に考えが読まれてしまっては剣士としていけないからだ。
「―――スバル氏、すけべな顔してる」
「なっ!」
今川遙のすぐ脇から、小柄な女が顔を覗かせていた。クラスメイトの吉乃瑠美だ。スレンダーでショートカットの髪型。メガネを鼻に引っ掛け一見して文学少女っぽいが性格はその真逆である。人をからかい、嗤うことが彼女の生きがいなのだろうと推測している。
「どうやら図星のようですねぇ。いくら剣の道を極めたといってもまだまだこういったことには疎いですのう。うぷぷぷ」
相変わらず気色悪い笑い方をする奴だ。
どうにもスバルに絡んでくることが多いが、これも精神修行の一貫かと思い諦めている。
「それでどこにするの、推薦校。星光?東院?あんたならどこでも行けるでしょ」
「西高校かな?」
ぱっと言った答えはスバルの中で特に意図して言ったわけでもなかったが、自然としっくりきた。
ここ最近悩んでいたが、剣道部という形にとらわれることもないかという考えに落ち着いた。
自分が本当に目指しているのは師匠がよく言っていた―――「最強」―――
剣道が上手いことではない。
しかし「最強」とはどういう風になれば「最強」なのだろうか?
最も強いというのはどうなることなのだろうか?まずはソコを考えていかなくてはならないだろう。
その為に勉強をする為に進学校に進むのも悪くはないのではないかと思えた。
「ぇ・・・」
「おっほー、スバル氏私と同じ志望校じゃないですかー!」
今河、吉乃両者で正反対な反応をした。
吉乃は派手なボディーランゲージで喜びっぷりを表現している。というか志望校同じなのかよ…。やはり他の進学校にしておこうか…。
今河の方は、驚きというかありえないというような顔をしている。
「どゆことよ…。なんでよ・・・」
「なんでっていわれても」
「――――――あんたみたいな実力もあって才能もある奴がどうしてそれをいかさないのよ…。あんたのせいで諦めた人達がどれだけいたと思うのよ…。憧れだったんだから、私たちの期待はどこにやればいいのよ!」
いきなり堤防の水が堰を切ったように今河の言葉が流れ出す。短的に言うとヒステリー。
吉乃も突然のことにあたふたしている。スバルも同様だ。
そこに救いの手を出すものがいた。
「まぁまぁ、今河さん落ち着いてって。それはスバルを責めても仕方ないことだろ。それこそ本人の進路ってものだよ」
さっそうと現れたのは黒崎正典。短く揃えられた髪の毛は健康的で、表情は常に柔らかい。クラス一…いや学校一のイケメンだ。悪い噂も全く聞こえず、誰に対しても優しく手を差し伸べる。
こういった人間がもてるのだろうなとスバルは思う。
スバルとしては助け船が来てとても助かったのだが、今河の怒り、憤りは未だ冷めない。
若干の涙を浮かべつつもスバルをまっすぐと視線で射抜く。
「でも、俺もスバルがどうして推薦を蹴るのか聞きたいところだな。お前ぐらいの腕があれば私学だろうが推薦で入れるんだから金銭もさして掛からないだろう?」
「金額じゃないよ」
じゃぁ何故?という視線がスバルへと向かう。
それを説明できるほどスバルの中でも納得しているわけではないのですぐには言葉にできなかった。
それでも自分の考えを伝えようと口を開こうとしたとき、
――――――空から黒い影が襲ってきた。
それはなんだったのかスバルにはわからなかった。
黒い影が教室の窓を覆い、教室中が真っ暗になる。
黒い物体から黒崎の足元に何かが当たり模様みたいなものを残した。
模様は一瞬で半径5m程の大きさになり暗くなった教室内を明るくする。
白い文様が教室の中にいる生徒を照らす。
なんだこれは?と思っている間に文様が光、その瞬間に吉乃が消えた。
「ルミッ!」
吉乃がいるところに今河が近寄るがそこには誰もいない。
…は?人が消えた。
それも一瞬で。スバルは全身に鳥肌が立つのを感じた。
これは危険なものだ。逃げなくては。しかしクラスメイト誰もが目の前の出来事に理解が及ばずに動けない。どうすればいいのか、どこに行けばいいのか。
直ぐさま危険を感じた黒崎はクラス中に外に出るように伝える。
クラスメイトは黒崎の声を聞くと弾かれるように外へと我先に出て行く。
スバルたちも教室を離れようとする。
しかし黒崎一人だけ一歩動いたのみで、走るのをやめてしまった。
「黒崎!」
何故だという気持ちで声を掛けると、今河がまだ吉乃が消えた場所に座り込んでいた。
完全に器が抜けてしまったかのような表情をしている今河。
誰かが連れて行かないと動かないだろう。
「今河さんを連れていってくれ!!」
「お前は!?」
「―――この文様はどうも僕を狙っているみたいなんだ。僕が動くと一緒に動いちゃうみたいでね…。スグわかったよ。だから先に行っ―――――スb―――i―a―」
黒崎の声が途切れ途切れに聞こえてくる。
足元の文様が怪しく輝く。
最後に見たのは抱えている今河が消えていく姿とこちらに必死に手を伸ばそうとする黒崎の顔だった。
俺は中学三年の秋。この世界から姿を消した。