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第1夜

変わらぬ日常。そしてネーミング。

「かぁーくごぉー!」


 少年の甲高い声が森に響きわたった。

 上段に振り上げられた武器は、どうやら大振りの枝っきれのようだ。武器として格好がつくように余計な枝は落としてあるものの、子供のおもちゃにしか見えない。

 少年の視線の先には銀髪の青年が背中を向けた状態でいる。食べられる野草を左手のかごに入れているようだ。


「今日こそ、その首……」


 言いかけた少年の口は何故か閉じられたが、それでも青年の頭をねらった枝の速度は落ちない。迷いを断ち切るかのように、一気にそれが振り下ろされる!


「はいはい」


 気の抜けた声をあげつつも、素早く振り返ったその青年は、右手で軽くその枝を受け止めた……ように見えたが、枝はパキリという乾いた音をたてて、真っ二つに折れてしまった。


「無理ですよ、と再三忠告したじゃありませんか。ミギワ」


 やれやれ、といった調子で青年はたしなめる。


「ちぇっ、なんだよ。人がせっかくいい感じの枝を見つけたって言うのに」


 ミギワと呼ばれた少年は、悪態をつきながら地べたに座り込んだ。反省したのかと思いきや、彼にとって『いい感じ』の枝を探しているようだ。

 短く切りそろえられた黒髪と、くりくりとよく動く黒檀のような瞳。この地方に住む人間の典型とも言うべき容貌を持った少年は、はらはらと舞う落ち葉をかき回していたが、ふと、その手を止めた。


「そういえば……いや、いいや。なんでもない」

「? まぁ、いいですが。それにしても、いい加減に諦めたらどうですか?」


 諦める、という単語が耳に入ったとたん、少年はくるりと鬼方に振り向いた。


「うるさいなぁ、僕はお前を絶対に泣かしてやるんだから!」


 たった今見つけた、先端が二股に分かれた枝をびしっと突きつけて、ミギワが高らかに宣言する。


「鬼の涙からできる特効薬は僕のものだからな! ……って聞いてるのか、鬼!」

「聞いてますよ。、耳にタコができるくらい。夏からずっとそのセリフを聞き続けてますからね」

「鬼! 僕は本気だからな! 後で泣いたって許さないぞ、鬼!」


 鬼と連呼された男は、ふぅっと大きくため息をついた。年は二十代くらいに見えるが、なるほど、確かに透けるような銀色の髪から、天に向けて伸びる白い角が頭を出している。パンチパーマでもなく、虎縞の腰巻きを身につけていなくとも、鬼のようだ。枯れ草色の麻の服が、いかにもその地方の人間のそれと同じなのだが……。


「そう鬼、鬼、と連呼しなくても……」

「あぁ、そういえば、僕が名前教えただけで、お前の名前、聞ーてなかったな。何つーんだ?」


 二股に分かれた枝のうち、片方を切り落とすか否かを悩みながら、ミギワがそう尋ねた。


「……」

「何だ。鬼には名前ないのか?」


 何故か返事をしない鬼に向かって、再び問う少年。さらに返事がないので、「僕が付けてやろーか?」とまで続けて口にした。


「いや、ありますよ。結構です。あなたの考える名前なんて、ろくなモノじゃないでしょう」


 鬼のその言葉に、「ちぇっ、田吾作にしてやろうと思ったのに」とミギワは悪態をついた。


「エン、といいます」

「エン? 縁か? それとも鬼っぽく怨とか?」


 この地方の名前は、音と寓意で成り立つ。例えばミギワの寓意が『汀』となるように。


「さぁ、意味までは……。なにぶん、音でしか名前をもらっていませんから」


 音と寓意、その片方がないということは、その性質が不完全にしか定められていない、ということにもなる。


「……それは、困るんじゃないのか?」

「人間ではないので、困ることはないんですよ」


 執着もなく答え、鬼――エンは見つけたキノコをぽいっと背中のかごに入れた。

 会話が途切れ、ざわざわと葉ずれの音だけが存在する。時折、冬ごもりの支度を始めた動物達の鳴く声がそれに加わるのを除いて。


「……ホムラっつーのはどーだ?」


 沈黙を打ち破ったのは少年の方だった。


「炎って書いてホムラ。いい名前だろ? エンって音にも通じるし、そんな片手落ちの名前よりかはずっとマシだよな? よし、これからお前はホムラだ。僕はそう呼ぶことに決めた!」

「……おいおい」


 呆れた声を出しながらも、新たに名付けられた鬼、ホムラはまんざらでもなさそうだ。


「水の属な『汀』の僕とは相反する者同士って訳だ。合ってるだろ?」


(それでしたら、こんな風に話しませんて)


 エン改めホムラは声に出さずに心の中で小さなつっこみを入れる。


「じゃーな、ホムラ! 次会うときまで首洗って待ってろよ!」


 言いたいことだけ言って、ミギワは二股のままの枝を手に、ホムラの前から走り去っていった。


「いつもながら、変な子供ですね……」


 ホムラは走り去るミギワを見送りながら、ほほえむ自分を抑えられなかった。


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