本当の本当に(後編)
* * * *
家に着いた真音は、真っ直ぐに自分の部屋へと向かい、ベットの上に座り込むとそのまま体を倒して天井を見上げた。体が深く沈んでいく。普段から平坦な日常を送る真音にとって、今日の出来事はあまりにもイレギュラーだったのだ。
――部活…。
そもそも真音が部活に入らないのに、あからさまな理由はない。遥斗に聞かれてはぐらかしたのも聞かれたくなかったから、というよりかは、真音自身もはっきり理由が言えなかったからだ。しかし、理由がないわけでは決してない。それは遥斗が察していた内容と、概ね相違ない。真音は別に仲良しごっこが嫌いなわけではないが、確かに真音が部活に入らない理由は中学時代と密接に関係する。
真音の家は父親が地元を中心に活動するプロのギタリスト、母親は元歌手という音楽一家だった。だからそこの一人息子である真音も、自然と音楽の道を進んでいた。当たり前と言えば当たり前だが、そんな真音に対して両親も協力的で、いつでも音楽に触れられる環境を真音に与え、真音はドラムに興味を示すようになった。それから暇さえあればドラムを叩くようになり、少年天才ドラマーなどと周りからはやし立てられる事もあった。そんな真音が中学に入って選んだ部活は吹奏楽部だった。真音のタイプからすれば軽音楽部のようなロック系の音楽の方が合ってはいたが、それ以上にこれまでとは違うジャンルと大人数で作り上げる音楽に対する興味があったのだ。
始めのうちはこれまでとは違う音楽が新鮮で純粋に楽しむことができた。それに揺らぎが生じ始めたのは、真音が三年生になった頃だった。真音は部内の人間関係の微妙な変化に気付いた。真音や同じ部活にいた遥斗には関係はなかったが、それは次第に、部全体に大きな亀裂を生み出した。そんな状態でありながら、傍目にはわからないように振舞う部員達は真音から見れば、大層気持ちが悪かった。仲良しごっこが嫌いなのかと遥斗に指摘されたのはそれが原因だ。しかし、言ってしまえばそれだけのことだ、もとより人間関係に関心の薄い真音とってしてみればどうでもいい。真音が一番気に入らなかったのは、部内の人間関係のこじれがそのまま演奏に影響が出たことだ。個々が独立し、演奏からまとまりが無くなっていた。そんな状態では音楽が楽しめるはずがなかった。それは多くの部員が気づいているところではあったが、それを改善しようとする者は真音も含めいなかった。行動が裏目に出るのを恐れたのだ。こうして問題を棚上げにしたまま、真音たち三年生は引退を迎えた。
そして高校受験を迎え、地元から一番近い陸崎高校に真音は入学した。しかし、部活必須の高校だというのは真音にとって大きな誤算だった。中学でのようなことが起こるとは限らないし、吹奏楽部以外にも部活はあるわけだから、適当に決めれば良かったのだろうが、音楽一筋に生きてきた真音にとって、他に興味のあることなどあるはずもなく、もし中学の頃のようなことが起こるのであれば、ひとりで音楽を楽しんだ方が楽だという考えもあり、部活必須の高校にいながらにして、部活に入部しないままこの二ヶ月間を過ごしていたというわけである。
――そしたら今日のこれだもんな…
真音が今日出会ったばかりの、自分と同級生の少女の顔をぼんやりと思い出しながら、心中で苦笑を浮かべていると、コンコンとテンポの速い軽めのドアをノックする音が聞こえてきた。
「真音?はいるわよー」
耳慣れた声が聞こえ、ドアが開く。真音の母親の響子だった。
「なんだよ、母さん。」
真音はゆっくりと体を起こしながら、静かに訊ねる。
「だって今日は金曜日だっていうのに珍しく帰ってくるの早かったじゃない。おじさんのところには行かなかったの?」
響子の言うおじさんとは叔父でも伯父でもなく、父親の奏一郎の昔のバンド仲間で、真音がドラムを叩くときはそのおじさんが経営しているスタジオを使わせてもらっているのだ。
「今日はちょっと疲れたから、真っ直ぐ帰ってきた。あと金曜日に行くことが多いってだけで別に必ずしも毎週金曜日に通ってるわけじゃない。」
「あら、そうだったかしら。それにしても、部活もやってないのにあんたが学校で疲れてくるなんて珍しいわね。何かあった?」
「その部活のことでちょっと。」
特に理由はないが、詳しく話そうという気に真音はならなかった。
「ふーん…まあ察するに、何か迷ってるって感じね。」
「母さんまで…何を根拠にそんなこと言うんだよ。」
「やあねぇ、私が何年あんたの母親やってる思ってんの?そんなの見たら一発よ。でも母さんまでってことは他にも言われたのね。あ!わかった、遥斗くんでしょ。中学校から一緒だしあの子そういうの敏感そうだものねえ。遥斗くん高校入ってから全然見ないけど元気なのかしら…」
真音はげんなりした。こうなるとなかなか止まらないのだ。
「はいはい分かったから、そこまで言うんだったらアドバイスくれよ、迷った時にどうすればいいのか。」
「アドバイス?んー、そうねぇ、あんたがどういうことで迷ってるのか分からないから何とも言い難いのだけれど、もし、何かをやるやらないで迷ってるのだとしたら答えは簡単よ?」
「簡単?」
「そう、迷ってるならやっちゃえばいいのよ、やらないで後悔するよりは、ってやつね。やればなんとかなるんだから。ま、結局のところあんた次第だけどね。じゃ、母さん買い物行ってくるから。今夜はビーフシチューよー。」
バタンとドアが閉まり、部屋に静寂が訪れる。
――そういえば遥斗も同じこと言ってたな。
帰り際の遥斗との会話を真音は思い出していた。真音は迷っていることを指摘され、それを否定した。しかし最後に遥斗が問いかけてきた内容は、真音の頭に焼き付いて離れなかった。
――本当の本当に、か。
真音は自分をバンドに誘った吉野桜の事…正確には、あの時見た吉野桜の歌う姿を思い出していた。弾き語りには慣れていないのか、ギターの方にばかり気を取られていたような、そんな演奏だった。ドラムを専門とする真音に歌の善し悪しなどわからないが、それでも、それほど大したこともない、とても良い演奏だとは言えないような気がした。しかし、
――本当の本当に、あの時足を止めたのは、年の近い彼女の弾き語りが珍しいと思ったからだったのか?本当の本当に、彼女の歌は大したこともないものだったのか?…………本当の本当に、俺は彼女とバンドをする気はないのか?
自分自身への問いかけは、真音に迷いを確信させた。そして、迷っているとわかった以上、わざわざ考えてまで、自分の好きな音楽をする部活動への入部を断る理由はない。
――答えが決まってるなら、次にやるべきことは…
真音はベッドから重たい腰を持ち上げると、部屋の隅に放り投げていたカバンから、担任教師にもらった入部届けと、自分のペンを取り出し、机に向かって黙々と記入していく。やがてすべての記入を終え、ペンを置き、入部届けを改めて眺めながら小さく呟く。
「バンド部って…センス悪すぎだろ。」