再会・3
城の治療団の団長を務めるのは、カタリナという40代半ばの女性だ。彼女は本日の診察カードに目を通しながら、あまり抑揚のない声で言った。
「じゃあ、新人さん達はもう上がっていいわよ」
その言葉にディアナを含む新人10人は「ハイ」と返事をし、自分の荷物をまとめ始める。そして退出しようと立ち上がった時、カタリナが思い出したように言った。
「ああそうだ、ディアナさん。王子様からきいたけど、薬草治療に誰を追加したいんですって?」
「サラです。彼女もそう言う仕事をしたいと言っていたものですから」
「ふうん。分かったわ」
カタリナが鋭い視線をディアナに向けた。少ししわがあるものの、細身でとても若々しく見える。自分の母親も、生きていればこのぐらいだったのかと思うと、ディアナは少し寂しいような気がした。
「……あなたは、リリアの娘なのよね」
不意に、カタリナが目を柔らかくして言った。
「あ、母を、ご存じなんですか?」
「ええ。同期だったの。彼女がここで働いていたの、知ってるわよね? リリアは才能あったわよ。あなたも、多分それを受け継いでいるのね」
「そうですか」
母の事を褒められて、ディアナは嬉しくなる。けれど、カタリナは困ったように眼を伏せた。
「……あなたに実力があるのはわかっているわ。でもね、他の治療師たちの手前もあるし、あんまり特別扱いするわけにはいかないのよ。王子殿下にもせっつかれているけど、そんなすぐに女王様にお会いさせる訳にはいかないわ。……それに、女王様の病気は、誰にも治せないような気がするのよ」
「それは、どういう意味ですか?」
「まあ、まだあなたは知らなくてもいい話」
カタリナは、微笑んで言葉を濁した。
「さあ、もうお帰りなさい。治療師は健康が基本よ。自分が病気にならないように、健康管理はしっかりね」
「はい」
一礼をして、部屋をでる。無意識に緊張していたのか、扉が閉まるのと同時に溜息がでた。
城の門を抜けると、城下町のにぎわいに包まれる。城門からまっすぐ進むんだ大通りは、いわゆる繁華街に続いている。市場があり、娯楽用の施設があり、更に東の方に行けば、道場などの訓練施設が続く。
ディアナの借りている部屋は、市場を抜けて途中西に曲がったところにある集合住宅の一室だ。市場のざわめきを中を通ると、不意に寂しさに捕らわれる。こんなに賑やかなのに、自分を呼び止める人間は誰も居ないからだ。
ガルデアの町では、バジルが剣士連合の会長をしていることもあり、ディアナを知らない人は殆どいなかった。
いつだって、町を歩けば誰かと話ができたし、ちょっとしたことで笑いあえた。
けれど、ここでは違う。こんなに笑顔が行き交っているのに、それはディアナを捕えない。歩きながら、自分の顔が足元を向いているのに気づく。昔ならこんな風に、うつむいて歩くこともなかった。孤独が及ぼす影響とはこれほどまでなのか、と思い知る。
「……ディアナ!」
その時耳に届いた懐かしい声に、ディアナは心臓を掴まれたような気がした。振り向くより早く、返事をする。
「ブレ……イド?」
人ごみの中に、頭一つ分高い艶やかな黒髪が見えた。茶系統の髪色が多いこの国で、ひと際目立つブレイドの黒。
「どうして?」
戻るのは明日だったはずだ。驚きを隠せずに立ちすくんでいると、ブレイドが持っていた紙袋からオレンジを落とした。
「悪ぃ、ディアナ拾って」
「うん」
鮮やかなオレンジ色のそれを拾って、握り締める。爽やかなにおいが鼻をツンと刺激した。
やがて、ブレイドがすぐディアナの傍までやってきた。触れられるぐらい、近い距離に。
「ただいま」
差し出されたその手に、オレンジを乗せた。
「……お帰りなさい」
「驚いたろ。一日早く終わったんだ」
笑うブレイドの、柔らかい眼差しが胸をつく。たった7日なのに、なんだかずいぶん久しぶりにブレイドに会ったような気がして、笑顔さえ上手く作れない。ディアナは手をのばして、その腕を触った。
「本物?」
その言葉に、ブレイドが笑う。
「失礼だな。本物だよ。一日早く戻ってきただけで、幽霊扱いすんな」
「だって……びっくりして」
ブレイドの腕から、体温が伝わる。手を離したくなくて、強く握りしめた。
「どっかで、一緒に夕食でも食べようぜ。お前も、今仕事終わったところだろ?」
「う、うん。でも、ねぇ、このオレンジは?」
「ああ、母さんに途中で会ってもらったんだ。食うか? どっかで座ろうぜ」
ブレイドが、腕を触っていた手を逆の手で掴んで歩きだした。ディアナは小さな違和感を感じて彼の横顔を見る。
掌の皮が硬くなっている気がする。たった7日なのに、マメができて固くなるほど、剣を握っていたんだろうか。




