手合わせと侮辱・2
ディアナは放課後の道場で剣の練習をしていた。素振りと、構えからの動き。それをパターン化して、何度も繰り返す。
心は焦りで満たされていた。自分より強い男が、すぐ近くにいる。でも負けるわけにはいかない。激情が、ディアナをものすごい勢いで駆り立てていた。
汗が体中に滲んでくる頃、背後から突然扉の開く音がした。構えを崩さずに振りむくと、こんな練習にいそしんでいる原因にもなった黒い男の姿が目に飛び込んでくる。
「ブレイド」
「え? ディアナ? お前なんでここに?」
ブレイドは驚いた顔をする。どうやらディアナがここにいるのを知っていた訳ではないらしい。
「あんたこそ」
「俺は、いつも練習してる。家の周りは練習場所が少なくてさ。初等学校でもそうしてたし」
それを聞いて、ディアナは少しだけ勢いをそがれた。この威圧的な男がコツコツ練習してるなんてのは意外だけれど、その強さにそれなりに理由があったことにホッとする。
少しだけ見直して彼に目をやると、なぜだか気まずそうに腕を振り上げてディアナを見返した。
「……ちょっと、相手にならないか?」
「え? いいけど」
授業の時とは違うしおらしい調子に、ディアナは気味悪さを覚える。
「なんか覇気が足りないわよ、アンタ」
「うるせーな。なんでお前ってそう口悪いんだよ」
「人のこと言えないでしょ!」
口喧嘩にも似た言い合いをしながら、ディアナは奥の倉庫から木刀を持ってきて、ブレイドに渡した。
「まあいいわ。やりましょ」
二人は、向かい合うように立ち木刀を構える。号令がわりに、ディアナが掛声をかけた。それと同時に、ディアナはブレイドの腕をめがけて打ち込む。しかし、ブレイドは素早い反応でその剣をはじいた。そんな打ち合いを、二度三度繰り返す。
「お前さ」
剣をはじきあいながら、ブレイドが話しかけてきた。
「何よ」
「回復魔法、……いつから使えるんだ?」
「え? ああ、5歳ごろから」
「そんなに前から?」
ブレイドとディアナ、二人の動きの速さを比べれば、少しだけブレイドが早いだろう。実際、会話する余裕はディアナの方には本当はない。しかし、持ち前の負けん気の強さで、何とか話しながら木刀をさばく。
黒い男は、少し考え込んだような眼をした。その途端、ディアナは急に腕が楽になった。木刀を通じて伝わってくる力が弱まっている。不審に思って対峙する男を見た。すると、先ほどまでは追うのがやっとだったブレイドの動きが、今はきちんと見てとれる。明らかに、彼が授業の時に見せたあの素早さは今は無い。
それに気付いて、ディアナはカーッと頭に血が上ってきた。手を抜かれている。それは、コテンパンに負かされることより屈辱的なことだ。
ブレイドからうちこまれた一撃を渾身の力ではじき飛ばし、木刀の先を男の目の前に突き付けた。ブレイドは、予想外に手から離れた木刀に驚いて、思わず声をあげた。
「あ」
「ふざけないでよ!」
ディアナの一喝が道場内に響き渡る。怒りのあまり手先が震えて、木刀までが細かく揺れていた。それを驚いた表情のまま、ブレイドは凝視している。
「冗談じゃないわ。手を抜かれるなんて、侮辱されてんのと同じよ」
きっぱりと言い放ったディアナに、ブレイドは二の句も告げなかった。その顔を見て、ディアナは唇を噛み締めた。
ますます悔しさがこみ上げてくる。剣士になるために、ずっと必死に頑張ってきたのだ。なのに、戦う相手に手加減されるなんて侮辱も甚だしい。
「いや、あのさ」
「もううるさい! もう帰る!」
もはや半ギレである。ディアナは、急いで荷物をまとめると入口へ向かった。
「ディアナ!」
呼びとめたブレイドの声には、強い力があった。歌の授業の時に聞いたような、聞く者をひきつけるあの低い声。無視することも出来ず振り返ると、彼は強いまなざしでこっちを見ている。ディアナは一瞬ひるんで、おずおずと口を開いた。
「……な、なによ」
「……」
ブレイドの瞳が、こっちを見据える。体が固まってしまったように動けない。まるで変な眼力でもあるみたいだ。自分の体に震えを感じて、変な焦りと共にディアナが唾を飲み込んだ時、ブレイドがやわらかく笑った。
「悪かった。ちょっと考え事してた」
それと同時に、硬直していた体が動き出した。安堵の息と共に、憎まれ口が飛び出してくる。
「今度手ぇ抜いたら、そのままトドメをさしてやるわよ」
「分かった、分かった」
苦笑するブレイドを見て、ディアナはふうと息を吐き出した。
「じゃあね。また明日」
ブレイドの視線を背中に感じながら、道場の扉を閉めてディアナは呼吸を整えた。
自分の動揺が信じられない。しかも相手は、あんなむかつく男だ。それなのに、自然に頬が熱くなるのを自分でも止められない。あの男の事をこんなに気にすること自体が屈辱だ。
「あのゴリラ男……!!」
溢した一言は悔し紛れとしか言いようがない。家までの長い道のりを、ディアナは焦りを隠すように走った。
*
ディアナが去った道場では、ブレイドが一人素振りを始めていた。頭の中は、先ほどまでにそろった情報がぐるぐる回っている。
回復魔法を使えるようになったのが5歳。回復魔法を使えるようになったのは、母親と生まれてもいない弟を失った時。すなわち、ディアナが母親と弟を亡くしたのが5歳の時だということだ。
ブレイドの両親は健在だ。学者で穏やかな父と、薬草栽培を生業とする厳しくも優しい母。どちらかと言えば大人しいタイプの2人から生まれたにしては、ブレイドはあまりにも乱暴者だが、両親は愛情深くブレイドを育ててくれていた。
「5歳なんて。まだガキだよなぁ」
なのに母親がいない。それはきっと寂しいだろう。驚くほど気が強いディアナでも、やはり悲しいと泣いたりするんだろうか。
ディアナの泣く姿が想像できず、居心地の悪さを感じる。
「あー、なんか、集中できねぇなぁ」
ブレイドは、八つ当たり気味に木刀を壁に強く当てた。するとパラパラと壁のかけらが落ちてくる。これが学園の教師にばれたら、長い時間怒られて罰でも与えられそうだ。
「やべぇ、もう帰ろう」
早々に木刀を片づけて、何も無かったかのように道場を後にした。小走りになりながら家までの長い道を進む。その間中ずっと、頭の奥底からディアナが消えない。
「なんでこんなに気になるんだ」
突っかかってくるからだろうか。今までに出会ったことがないような性格の悪い女だからだろうか。
「あのサル女め……」
悔しさまぎれに一言こぼす。同じようなことをディアナもやっていたなんて、ブレイドには知る由もなかった。