迷い・1
翌朝、ディアナは外から聞こえる剣を打ちつけるような音で目を覚ました。まだ開ききらないまぶたをこすりながら起き上がり、窓から外を見る。セリカがハーブを育てているという温室と、畑、そして少し視界をずらすと樹齢100年にもなりそうな大木があった。
その大きな枝に木の板をぶら下げて、ブレイドが何度も木刀で打ち付けている。命中した板は一度宙に上がりまた戻ってきては、ブレイドによって同じ軌道を辿らせられる。
ディアナは頭をかいて時計を見た。現在六時。いったい何時から練習していたのか。太陽の光を浴びて時折ブレイドを輝かせているのは汗だろう。ブレイドは授業の後だって必ず練習している。一体一日何時間剣を握っているのか。その努力には恐れ入る。
ディアナは急いで着替えをして、書斎から出た。台所からは、セリカの鼻歌が響く。どうやら朝食を作っているようだ。
昨日、泣いたところを見られてしまった事が気恥ずかしさを生む。しかし、だからと言って逃げ出すのはあまりにも子供だ。ディアナはできるだけ明るい顔で挨拶をした。
「おはようございます」
「あら、おはよう。ディアナちゃん。こっちで顔洗ったり、学校にいく準備をしててね」
セリカの方は、何もなかったような様子である。そのさりげなさにディアナの心は軽くなった。
顔を洗って居間へ行くと、アイクが新聞を読んでいた。
「おはようございます」
「やあ、おはよう。うるさくなかったかい? ブレイドのやつ、なんだか今日は張り切って5時半くらいから稽古してるんだ」
「そんな早くから?」
「ああ、いつもはまだ寝てるんだよ。なんか、大会でもあるのかな。私は、武芸の方はとんとわからなくてね」
「……何もなかったと、思いますけどね」
学園では試合なんか無いし、近くの村でも大会なんか無かったはずだ。一体どうしたというのだろう。
ディアナが首を傾げたその時、外からものすごく固い音が響いた。と同時に、「いてぇっ」というブレイドの声もする。
「セリカ、ブレイドがまた怪我をしたようだよ」
アイクが苦笑いをしながら、慣れた調子で言う。
「あら、また?」
セリカも手慣れた様子で、救急箱を取り出した。
「おじさん、おばさん、大丈夫。私が治します」
ディアナがそう言ったのとほぼ同時に、ブレイドが入ってきた。ずかずかとディアナの前まで歩み寄ると、ぶっきらぼうに左腕を突き出す。
「ディアナ、頼む」
「どれどれ」
差し出された左腕は、肘から手首の中間辺りで赤くはれていた。打撲だ。
「何したのよ」
「ちょっと手が滑って、自分の腕をうっちまった」
「ばっかねー」
ディアナは笑って、素早く回復呪文を唱える。右手から湧き出る癒しの光が、ブレイドの傷をあっという間に治していく。それを横から見ていたアイクが感心したように声をあげた。
「……すごいな。君はもう、これだけの呪文を使いこなせるのか」
会話している間に、ブレイドの腕はもう元通りになっていた。
「君は、治療師になったらいいんじゃないか? これほどの使い手なら、蘇生呪文を使えるようになるかもしれないぞ」
「蘇生呪文?」
「ああ、聞いたことないかな? 回復呪文では治せないほど、瀕死の状態の怪我も治せる呪文だ。治療師は数多くいるが、この呪文を使いこなせるのは、数えるほどしかいない」
「……そんな呪文が、あるんですか」
そんな呪文があったら。もし、あの時その呪文をつかえてたら。母を、弟を助けられたかもしれない。
ディアナの脳裏をそんな考えがよぎる。しかしうつむいて首を振った。そんなこと今更すぎる。
「でもそんな呪文が使えたら凄い……」
治療師の魔法でも、寿命や絶望的な怪我は治せない。ディアナの母がそうであったように。もしその呪文の使い手が多くいれば、より多くの人が救われるだろう。
「でも、……私は」
『剣士になるんです』
この言葉を、ディアナは初めて飲み込んだ。五歳のあの日から、剣士になるんだと決めていた。自分のせいで死んだ弟の代わりに、父親の望む跡継ぎになるために。そうすることで、父親に謝罪できると思ったし自分だって救われるだろうと思っていた。
その為に、あの日からどれほど練習したことか知れない。手に豆が出来ても諦めずに、毎日毎日剣を握り続けたのは、いつか捨てられるかも知れないという恐怖から逃れるためだ。
「ディアナ?」
ブレイドに名前を呼ばれて、ディアナははっとして顔をあげた。漆黒の瞳に、見透かされたような気分になってディアナは頭を振る。
「なんでもない!」
「……ねぇ、その回復魔法って、植物にも効き目あるのかしら」
セリカが、呑気な声を出した。
「さあ、どうかな。これまで、人体にしかやったことはないと思うけど」
アイクが興味深そうに頷く。
「もし、できるんなら、試してみたいわ。わたし仕事でハーブ栽培をしてるんだけどね、今、枯れそうな花があるのよね」
二人が話しているのを眺めながら、ディアナは頭の中から治療師の事を追い出そうとしていた。その呪文を、凄いと思ってしまったことを。自分に出来たら、と一瞬でも考えてしまったことを。
「ね!ディアナちゃん」
「はい?」
いきなり声をかけられて、ディアナは我に返った。
「だから、また来て試してみてくれないかしら」
「は、え? 何を?」
「回復呪文よ。私のハーブに。ね、お願い。まだ、ご家族が帰ってこないんなら、しばらくうちに泊まればいいし」
「はあ……」
良く聞いていなかったので話がいまいちつかめず、ディアナは適当な返事をした。




