修復・1
校門前には青い顔したセリカが、半泣きの状態で立っていた。走ってくるブレイドを見つけて、一瞬嬉しそうに顔をほころばせすぐまた迷ったように目を伏せる。
ブレイドは近づきながら、その姿を食い入るように見て、胸を痛める。自分は愛されてる。そう素直に感じることができた。実の子とか親とかなんて、気にするべきことじゃなかったんだ。
一晩帰らなかった自分を心の底から心配している。たった一晩。なのに、セリカはひどくやつれていた。それだけで、ブレイドにはセリカの愛情の深さを痛いほど感じることができた。
「ブレイド」
「母さん」
怯えを含んだ声で自分の名を呼ぶセリカに、気恥しさが先に立ってつい目をそらしてしまう。しかしディアナの顔がちらついて、ブレイドは首を振った。
本当に愛されているかどうか不安ならば、自分のように飛び出すなんてきっとできない。ディアナのように、相手の機嫌を伺うようになるだろう。感情のままに飛び出して迷惑をかけれるのは、自分がそれほどに愛されているからだ。なのにここで逃げ出したらディアナも顔向けできない。
顔が熱くなるのを感じつつ、ブレイドはセリカの顔を見つめた。
「……昨日のシチュー、まだ残ってる?」
「え? ええ。もちろん。ブレイドが残したから、まだまだ一杯あるわよ」
セリカは少し戸惑いながら答えた。ブレイドは湧き上がる恥ずかしさを押し込めて、母親の手を握った。
「じゃあ、帰って食うよ。俺、腹減った」
「ブレイド」
「俺さ、親父と母さんの子供だと思ってる。今までもだし、これからも。例え本当の親が生きていたとしても」
セリカの瞳に盛り上がってくる涙は見てられなかった。恥ずかしいのと嬉しいの両方の感情でだ。
「それでも、いいかな」
「ブレイド」
セリカの目から、涙がこぼれおちた。ブレイドは、慌てて母親の背中を押す。
「泣くなよ、母さん。ほら、帰ろうぜ」
「そうね。そうよね。ごめんね、ブレイド」
「何謝ってんだよ」
「ずっと黙ってて。本当は怖かったの、いつかブレイドがいなくなったらどうしようかと思って」
涙声で語られる言葉はブレイドの胸をこそばゆくする。
「あんたの父親を、探してもあげなくて」
「いいよ。俺の親父はあの学者。それでいいだろ」
「ありがとね、ブレイド」
泣きながら話すセリカの背中を、ブレイドは押し続けた。止まらないように、振り返らないように。家までの長い道のりは、わずか一日の親子の決裂を修復するのには十分な距離だった。
*
教室の窓から、ブレイド親子の姿を見ていたロックとディアナは、背中を押しながら歩きだした二人の姿を見て安堵のため息をついた。
「帰ろうか」
「そうね。帰ろう」
ロックの言葉に頷きながら、ディアナは窓の外の二人を見やる。羨ましいというのが素直な感想だ。例え逃げ出しても、探しに来てくれる親がいる。ブレイドの母親は当然のようにブレイドを心配していた。
自分だったらどうだろうか。ディアナはロックの後に続いて歩きながら、父の心境を推し量る。もし自分がいなくなったら、父は探すだろうか。
ディアナには自信がもてなかった。心配なんかしないかも知れない。むしろ、心のどこかで喜ぶんじゃないだろうか。母と弟を死なせたのは自分だ。その自分がいれば、嫌でもあの時のことを思い出す。本当はいない方が父も、そして祖父も幸せなんじゃないだろうか。
考えるだけで、体がすくみあがってくる。それを試してみる勇気さえ持てなかった。もし逃げ出してみたとして、探してもらえなかったら? そうしたらもう、どこにも行くところなんてない。
「ディアナ」
「え?」
どんどん嫌な考えにはまっていきそうなところで、ロックの声がディアナを現実にひき戻す。彼はいつもの穏やかな笑顔で、少し先を歩きながら振り向いている。
「ごめん。何?」
「もうすぐ職業調査の1回目あるよね。ディアナはやっぱり剣士?」
「当たり前じゃないの。ロックは道具屋でしょ?」
「うん。まあ、家業だからね。でも、詩人もいいかなって最近思ってるんだ。ほら、この間のテストも1番だったし。僕さ、何かで1番とるの初めてなんだよね」
「そうよね。あんた、歌上手だもんね」
道具屋をやるからっていって、詩人を兼任できないと言うことはない。実際には、冒険に出るのは困難かもしれないけれど、手近の森や林で一日仕事くらいなら出来るだろう。
「僕ら、まだ若いんだからさ。色んな事やったっていいかなって」
ロックが笑う。その言い方がすでにおっさん臭いとは本人には言わないでおく。それにしても意外に色々考えているんだと、ディアナは失礼にも思った。自分ではもう剣士になるんだと決めていたから、迷うことも無かったけれど。
剣士になる。それはすなわち、祖父や父の跡をついでゆくゆくは剣士連合を率いていくということだ。父親の望んでいた跡継ぎになることが、今のディアナの目標だった。
話に夢中になっているうちに、いつの間にかガルデア町まで戻っていた。じきにロックの家である道具屋が見えてくる。
「じゃあね、ロック」
「……ディアナ!」
「え?」
いつものように別れを告げたディアナに、ロックの真剣な声が飛んできた。
「なに?」
「あのさ、……あの」
口を開きかけて、また閉じる。ディアナはまどろっこしくなり、眉をひそめる。
「どうしたのよ。また何かあった? あ、朝、スティル先輩に絡まれたとか?」
「いや、それなりには絡まれたけど、……って、そうじゃなくて」
「じゃあ、何?」
「……いや、ごめん。やっぱり何でもない」
「もう、なんなのよ。じゃあね。ロック」
ロックは手を振って、歩き出すディアナを見送った。心のうちに残ったのは、ブレイドが自分に向けて問いかけきれなかった言葉。
『そこまで分かっててなんで……』
その次に告げられる言葉が、分からない訳じゃない。けれど、自分にはずっと助け出す事が出来なかった。
「……怖いな」
小さな呟きが落ちる。あの黒い男は、まっすぐにディアナの方に向かっていってる。自分たちの関係が少しずつ崩れていく予感に、ロックはただ溜息を落とした。