過去と真実・2
朝、ディアナが学園へと向かっていると、後ろからロックが声をかけてきた。
「おはよ、ディアナ。いい天気だね」
「そうねぇ。ちょっと、暑いくらいだけどね」
夏にはまだ少し早いのだが、日差しは結構強くなっている。ここタリス国は、年間の寒暖の差が激しい。夏は非常に熱いし、冬は凍えるように寒いのだ。
ディアナとロックはいつものように会話をしながら歩いた。もうじき学園が見えてくるというところで、何か騒がしい音がする。ディアナは眉を寄せて騒動の元を探した。
「何かしら」
「あれ、……ねぇディアナ。あれ、ブレイドじゃない?」
「え?」
校門の近くで、男二人が取っ組み合いの喧嘩をしている。良く見れば、それはブレイドと、昨日武道大会で対戦したスティル先輩だ。
「うわ大変だよ。止めないと」
青くなって言うロックを尻目に、ディアナは腕をまくって二人の間に入った。
「ちょっとブレイド、やめなさいよ」
強引に二人を引き離すと、ブレイドはそのまま不貞腐れたように座り込んだ。
「どうしたんですか、スティル先輩」
ディアナが顔を覗き込むと、スティルは気まずそうに目をそらした。
「こいつが突っかかってきたんだぜ。……確かに昨日は悪かったよ。でも、結局はお前の方が勝ったんだ。もういいだろ」
「昨日の事で? 分かりました。もう私は気にしてません。ロック、ごめん。スティル先輩を治療室につれて行ってあげてよ」
「うんいいよ。ディアナは?」
「ブレイドを治す」
「わかったよ。先輩、大丈夫ですか。僕につかまってください」
ロックがスティルに肩を貸し、学園の中へ消えていった。結構ひどくやられたのか、足を引きずっている。本当なら回復魔法が使えるのだから、先輩も自分で治してやればいいんだろうが、そんな気にはなれなかった。
ディアナはうつむいたまま顎をさすっているブレイドの腕を掴むと引っ張り上げた。
「何してんのよ、ブレイド。ほら、こっち来て見せてよ」
通りから外れた一角にブレイドを座らせて、ディアナは回復呪文を唱えた。手のひらから穏やかな熱が広がり、傷痕をみるみるうちに癒していく。
苦い顔をしていたブレイドが、感心したような声を出した。
「……お前、本当にうまいな。学校の治療師より上手じゃん」
「まあね。ほら、こういうの天才っていうのよ!」
「言ってろよ」
ブレイドが、顔をゆがめて笑う。その見慣れない表情が、ディアナには気になった。
「ブレイド、なんかあった?」
「なんで?」
「だって、あんたなんか変じゃない?」
「変かぁ……」
ブレイドが、再びうつむく。あからさまに様子はおかしいが、あまりにも問い詰めるのも悪いような気がする。ディアナは治療をしながら、ブレイドが口を開くのをひたすらに待った。
「……俺、両親の本当の子供じゃないんだと」
「え?」
「ずっと、本当の両親だと思ってた。一度も疑ったことなんかなかったのに」
「それで、こんなに荒れてんの?」
「なんて言っていいかわかんなくて、家を飛び出してきちまった。そんで、色んなもんに八つ当たりしてた。先輩もまあ、半分は八つ当たりだな」
「ブレイド」
かける言葉が思いつかずに、ディアナは治療に意識を集中した。癒しの光だけが温かく広がる。ブレイドはぼんやりとその光を見つめていた。
やがて、ブレイドの傷がすべて癒えるとディアナはゆっくりと口を開いた。
「……それでも、やっぱりあんたは両親に感謝するべきなんじゃない?」
「は?」
「15年間一度も疑いを持たないほど、愛してもらったんでしょう?」
ブレイドが、怒りをたたえた瞳でディアナを見る。ディアナは一瞬たじろいだが、それで食い下がるような女ではない。
「……お前に何がわかるんだよ」
「わからないわよ、何も。私はあんたじゃないし」
「だったら! 適当なこと言うな!」
「適当なことじゃないわ。私は、それでも、あんたが羨ましい」
「……は?」
ディアナは、胸が苦しくなってブレイドから目をそらした。言うつもりの無かった言葉が、勝手に口からあふれだす。
「……実の父親の愛情さえ信じられない私には、あんたが羨ましい」
「ディアナ?」
「私のせいで、母とおなかにいた弟が死んだのよ。きっと父さんは、私を恨んでる」
「そんな事……ないだろ。優しそうな人だったじゃないか」
突然聞かされたディアナの過去に衝撃を感じつつ、目の前の彼女があまりにも弱々しく見えたことに驚いて、ブレイドは彼女の肩をつかんだ。それでも、ディアナは目を合わせようとはしなかった。
「私、忘れられないのよ。……お前のせいだって、そう言った父さんの声が。今も、ずっと」
ディアナは両手で耳をふさいだ。そんな訳が無いと、言い聞かせても言い聞かせても消えない過去の言葉。
葬儀の日以降、父親はずっと優しい。けれどもディアナはあの言葉が忘れられなかった。あれが一番の本音だったんだと分かっているから。
「父さんが優しいのは、あの言葉の償いをしてるだけかも知れない。本当はずっと、きっと私のこと、恨んでる」
「……ディアナ」
怯えたように目をつぶるディアナを、ブレイドは初めて見た。
信じられなかった。いつもあんなに気が強くて、堂々としているのに。本当はずっと、怯えているっていうのか。今も、頭の中では、自分を責める言葉と戦っているっていうのか。
助けてやりたいと、ブレイドの心の奥底が騒ぎたてる。しかし、何をどうしたらいいのか分からない。どんな言葉をかけれやればいいのかさえ、ブレイドには分からなかった。
「……ごめん。遅刻してるわね。行こうか、ブレイド」
「あ、ああ」
しばらくの沈黙の後、ディアナは気を取り直したように顔をあげてそう言った。何も言うことのできなかったブレイドは、その言葉に従うしかなかった。