過去と真実・1
ブレイドはガルデアの闘技場から隣町にある家までの距離を30分走り続けた。父親から馬車を借りれば、10分ちょっとで着く距離なのだが、トレーニングがてらいつも走る事にしている。
やがて見えてきた自宅はこじんまりとした家だが、裏には母親が薬草栽培をする温室があったりと敷地は広い。家族3人がひそやかに暮らすのには丁度いい大きさの家だ。
「ただいま」
「お帰り、ブレイド」
ブレイドが家の扉を開けると、シチューのいい匂いが鼻をかすめる。母親であるセリカの得意料理だ。自家製のハーブが一緒に入っていて、他の誰にも真似できない。
新聞を呼んでいた父親のアイクが、眼鏡をかけなおしてブレイドに笑顔を向ける。
「どうだった?大会は」
「そうだ。俺、飛び入り参加の部で優勝したんだぜ」
「へぇ、すごいじゃないの、ブレイド」
セリカは、疲れて帰ってきたであろう息子の為に、温かいシチューを皿に入れて持ってきた。
「ほら、お腹すかせて帰ってくるだろうと思ってたのよ。食べなさい」
「うん。サンキュ」
皿から湧きあがる湯気が一層食欲をそそる。ブレイドは、息もつかせずに食べ始めた。そして皿が空になりそうな頃、デルタが言った言葉をふいに思い出した。
「ああ、そうだ。親父、俺と似た名前の剣士って知ってる?」
「え?」
アイクは、驚いた顔でブレイドを見た。
「大会で友達の親に会って、なんか俺と似た人を見たことがあるんだって。名前も似たような感じだったって」
世の中って狭いよな。そんな世間話をして、笑うつもりだった。なのに、アイクとセリカが深刻な表情で顔を見合わせたので、ブレイドは急に背筋が冷えてきた。
「な、なんだよ」
「ブレイド。その人が言ってた人は、生きてるの?」
「さあ、知らないけど、……なんだよ」
胸の奥がざわついてきて、ブレイドは焦りからうまく言葉を出せなかった。自分の発言が、思いも寄らない方向に向かって行くことに苛立ちさえ感じ始める。
セリカとアイクは顔を見合せた後、アイクの方が頷いてブレイドに向きなおる。ブレイドは咄嗟に椅子を引いた。自分には珍しい逃げ腰だ。でも直感が聞くのを躊躇わせる。
ずっと考えないようにしていた、両親との外見の違い。それが頭を駆け巡って、ブレイドは持っていたスプーンから思わず手を離す。
カタリ、皿の上に落ちたスプーンはその場を取り持ってもくれない。
「ブレイド。実は、お前に隠していたことがある」
「なん……何なんだよ」
近づいてきて後ろに立ち、肩にそっと手をのせたセリカ。仰ぎ見たその顔があまりに神妙で、目をそらしてしまいたかった。
「よく聞いて。まず最初に、私たちはあんたを愛している。何があっても」
「……」
「でも、それでも、私たちの間に血の繋がりはないの」
「な!」
「私たちにもわからないの。あんたの親が誰なのか」
「……なんだって?」
その言葉は、ブレイドの頭の中を突き刺すように通って行った。止まった思考に、セリカの言葉が重ねて落ちてくる。
「今から15年前よ。その8年前に結婚した私たちには、ずっと子供が出来なかったの」
「そうだ。あの頃、私たちはマドラスの森の近くにあるサンド村というところで暮らしていた。あの辺りは、龍の活動期の間村から出ずに殆ど家の中で暮らしているんだが」
アイクが、落ち着いた声で話に加わる。
ブレイドは椅子から立ち上がろうとした。冗談にしてごまかしてしまいたかった。けれど出来なかった。二人の表情はあまりにも真剣で、話を止めるのは不可能に思えた。
「まだ寒い冬のある日、気が付いたら赤ん坊の泣き声がしたのよ。慌てて外に出ると、近くに赤ん坊を抱いた女性が倒れていたの」
セリカもアイクも、ブレイドの傍に立ってその肩に触れている。肩先に伝わってくるぬくもりはとても温かいのに。いとおしんでくれる眼差しも変わらないのに。ブレイドはどこか遠い場所に来てしまった気がした。
「女性は綺麗な栗色の髪の毛で、体中怪我をしていて息も絶え絶えとしていた。赤ん坊の方は大きな声で泣いていて、多少衰弱していたけど元気だったわ。黒髪で黒目の赤ん坊。……それがあなたよ」
「……」
言葉を返さないブレイドに視線だけを送り、セリカは続けた。
「すぐさま看病したけれど、その女性は意識が戻らないまま亡くなったの。それまでの間に、彼女がうわごとでつぶやいた言葉は二つ。『ブレイド』と、『ディール』」
「……どちらかが子供の、そしてもう片方が彼女の夫の名前だろうと思ったんだ。だからお前に、『ブレイド』と名づけた。いつか、父親を探す手掛かりになるかもしれないと思って」
アイクがセリカの言葉に続けた。突然に告げられた事実に、ブレイドは頭がついていかなかった。
「でもね、私たちは本当に、あなたの事を自分たちの子供だと思って育ててきたのよ」
両親は、ゆっくり諭すように言った。けれど、ブレイドには重すぎる話だった。誰よりも両親に愛されていると感じていた。姿も髪の色も、何一つ似ていなくても。それでも、実の親じゃないなんて一度も疑ったことなんかなかった。それなのに。
急に手を放されたような気がして、ブレイドは言いようのない寂しさを感じた。
「俺は、ここの子供じゃなかったのかよ」
そんな事を両親に言っても仕方ないとは分かっていた。だからといって突然に何が変わる訳でもないことも。だけど聞いたのと聞かないのは違う。少なくともブレイドの中では、何も知らなかった頃には戻れない。
「俺が他人の子なら、俺の面倒見る必要なんか、親父たちにはないじゃないか」
「ブレイド、待って」
頭に血が上って何も考えられない。両親の制止も振り切って、ブレイドはそのまま家を飛び出した。