戦い・3
次の瞬間、暴風と共に龍の腕が振り下ろされる。ブレイドは後ろに下がって避けたものの、風圧に体制を崩される。
続けざまに来る龍の攻撃を、森の中に入り込むことで防いだ。先ほどまでは厄介でしかなかった木々の枝葉が多少なり風の勢いを削いでくれている。
龍はその体格のせいなのか年齢のせいなのか、一度攻撃した後次の態勢に入るまでは時間がかかる。ブレイドはその隙を狙って剣を腕につきたてようとするが、硬い金属音と共に跳ね返される。龍の鱗は、金属より強度があるのかと内心で舌打ちした。
そんな攻防が続くこと、一時間。
ブレイドは、激しい息切れに喉を詰まらせながら、必死に龍の弱点を探していた。
今は腕を狙うのはやめ、身の軽さを利用して龍の背中に回り、いつか来るチャンスを待っている。しかし身を震わされれば、バランスを崩して落ちてしまう事も多々あるので、これも有効な手段とはいえない。
落ちた瞬間に、鋭い爪を向けられるといくら避けても無傷という訳にはいかない。動きが鈍るほどではないが、腕にも足にも浅い傷がたくさんつき、少量の出血もある。
「はぁ。はぁ。でも、動きは見える」
ブレイドは、何度目か分からないほどの回数、龍の首筋を登っていた。
狙うのは目。しかし、顔のあたりに登ってしまうと、その鋭いかぎ爪が向かってくる。
「何とか、……気を散らして」
辺りは、徐々に闇に染まってきている。このまま真っ暗になってしまえば、夜目が利かない分不利になるのはブレイドの方だ。
汗だくの体がうっすらと寒さを感じて、ブレイドは気を引き締めようと息を吸った。緑龍が発した風を、龍の肩先にしがみ付いて何とかこらえ、首筋を登る。その時緑龍が体を起こしたため、体制が傾いだ。
「うわっ」
「そこか」
緑龍はすぐさま、その鉤爪をブレイドに向けた。咄嗟に避けたと同時に足を滑らせる。ニメートルほど龍の首筋をすべり落ちたところで、剣を鱗に引っ掛けた。ところどころ飛び出した鱗に足を引っ掛け、何とか振り落とされずには済みそうだったが、龍はブレイドの位置をしっかりと把握していた。ブレイドを狙う次の攻撃を避けれるほどの時間は無かった。
――――ここまでか。
ブレイドは口を真一文字に閉じ、右手で剣をしっかり握り締めた。せめて最後なら、その爪の一欠けらだけでも切り取ってやる。徐々に近づいてくる大きな爪は、感覚的にはスローモーションに見えた。
その時だ。
「……え?」
聞き慣れない呪文をとなえるような声。途端に重さを増す体。咄嗟に辺りを見渡せば、2匹のカナヒヒの姿が木の陰に見える。
「眠りの唄……か?」
ブレイドは、頭を振って流れ込んでくる呪文から意識を飛ばした。剣に集中して呪文から逃れる術は、以前の特訓ですっかり会得している。目の前の敵に、自分が描く剣筋に意識を向け、聴覚を出来る限り遮断する。
そのうちに、緑龍の動きがどんどん鈍くなっていくのが分かった。
もしかして、カナヒヒは緑龍を眠らせようとしているのだろうか? ブレイドは、そのまま顔の方へ登って行った。先ほどまで鋭く自分を傷つけてきた鉤爪も、動きが鈍くよけられる。
<おのれ、この、カナヒヒめが>
龍が、ブレイドには分からない言葉で何かを口走った。視線はカナヒヒの方を向き、頬を駆け上るブレイドには何の攻撃も無い。
チャンスが来た。ブレイドは、渾身の力で緑龍の左目にその剣を突き刺した。
「うりゃぁぁぁっ」
<ぐわぁああああ>
鋭い咆哮と共に、龍が体を起こす。痛がっているのか必死に体を振る龍に振り落とされまいと、ブレイドは必死に突き刺さった剣に捕まった。その時、バジルが別れ間際に発した言葉が頭に浮かんだ。
『……後は、お前の直観を信じるんだ』
そうだ。今だ。もっと致命的な一撃を与えるには。
「炎よ、剣にともれ」
咄嗟に口走ったのは、ブレイドが得意とする火魔法の呪文だ。掌から湧きたった炎は、そのまま龍の目に突き刺さった剣に宿り、瞳を焦がし始めた。
<ぐわぁああああぁあ、いや、だ>
痛みの激しさなのか龍は体を上下に震わせ、ブレイドはついに地面へと振り落とされた。
「ってぇ」
地面に打ち付けられるのと同時に鈍い音が響いた。体に激痛が走り、一瞬視界が真っ暗になる。その後視覚は戻ってくるもゆがんでいて二重にしか見えない。どこか骨が折れたのかも知れない。そんなことを考えながら、ブレイドは体を起こすことさえできずに、苦しむ龍の姿を見詰めた。
<ぐわあぁあぁああああ、こく、りゅううぅうぅ>
雄叫びと共に何かが焼け焦げた異臭がする。龍の目尻からは炎が勢い良く上がり続けていた。痛みに気が狂ったように龍は暴れ、翼が繰り出す突風が、倒れているブレイドの体を傷つけていく。やがて龍の足が崖から滑り落ちた。龍は飛べるはずだが、痛みからか驚きからか緑龍はそのまま滑り落ちていった。
悲鳴なのか咆哮なのか、何にせよ危機迫ったような龍の声が徐々に遠ざかって行く。残された激しい風だけが辺り一帯を巡るように吹き荒れ、木々の枝葉を落していく。
しかしそれも直にピタリと止まった。すると、辺りは先ほどまでとは打って変わって、水を打ったように静かになった。
「……うそ、だろ? ……やったのか?」
掠れた声がブレイドの口から溢れる。少し動くたびに激痛が走り、通常の何倍もの時間を掛けてゆっくりと体を起こした。
ブレイドの視界の範囲には、もう龍の姿は見えなかった。
「死んだのか?」
通じるはずもないと思いつつカナヒヒの方を見ると、2匹のカナヒヒは顔を見合せて森の別方向へと戻ろうとしていた。ブレイドに危害を加える気は無いらしい。
「俺、……生きてる」
上手く動かない体で、こぶしを握りしめた。
「……生きてる」
ブレイドは近くを見渡すと、体を支えられそうな枝を捜した。幸い、枝を切り倒しながら来たため、折れた枝は無数にある。枝を支えにして、震えながら立ち上がった。
一歩歩くごとに激痛が走る。肋骨が折れているのか、それとも他の場所か。痛みの位置を特定できないほど全身が痛み、額に脂汗が浮かぶ。
いつの間にかカナヒヒもすっかり姿を消し、薄暗い深夜の森にはフクロウの声が響き始めた。ブレイドはよたよたと枝を杖にしながら一歩一歩歩きだした。
「……生き残れるなら、手放すんじゃなかったな」
ブレイドは小さく呟いて、「俺も勝手だな」と自嘲するように笑った。あんな風にディアナを傷つけてなお、生き残れた途端にこんなことを思うなんて。
ディアナが好きだった。意地を張った横顔も、たまにみせる頼りない顔も、嬉しそうに笑った顔も、自分だけに見せてくれるはにかんだような顔もなにもかも。
『愛している』でも言いつくせないほど、大切だった。
かすんでいく視界。徐々に感じなくなる痛みと感覚。それでも、何とか足を一歩ずつ踏み進める。
「ロックみたいな、男には、……絶対、なれねぇな」
好きな女が、他の男と幸せになるところを傍で見守るなんて真似、絶対に出来ない。帰ったところで、きっとそんな姿を見てはいられないだろう。
引いていく血の気。だらだらと流れていく脂汗。辺りが一瞬、真っ暗になって、ブレイドはついに膝をついた。
「どっちみち、……村までは、持ちそうにねぇ」
そのまま体は力を失って、ひんやりとした土の上に倒れた。薄れていく意識の中で、ディアナの事を思う。
幸せになってくれ。最後に見たのが泣き顔だったのが、心残りだ。
フクロウの鳴き声を最後に、ブレイドは意識を手放した。