プロポーズ・6
それから一週間ほどが経った。
「サラ、お客さまよ」
城の治療室にこもっていたサラは、呼び出されて廊下に出た。すると普段穏やかな彼が、真剣な顔をして立っていた。いつもよりも精悍で、酷く大人びて見えてサラは自分の鼓動が激しくなるのを感じていた。
「ロック君」
「今、ちょっといいかな」
笑うといつもの彼に見える。それにほっとしてサラは頷いた。
ロックは「あっちで話そう」と、中庭の方に歩きだした。サラは他の治療師にしばらく抜けることを告げて、ロックの後に続いた。
「ロック君、ディアナに会いに来たの?」
「うん。ああ、許可証の事、ありがとう。ついでに仕事まで回してもらえてすごく助かったよ」
王子は、それまで直接行っていた二二カ村からの薬草の受け渡しに、隣町にあるロックの道具屋を経由するように指定したのだ。
二二カ村は村の規模が小さく乗合馬車なども通らないため、色々な事がガルデア町経由で行われることが多い。
だから、大した違和感もなくロックの入城はすぐに認可された。
「……良かったね」
自分でそうして欲しいと願い出たのに、サラの胸は苦しくなる。以前のサラなら、自分にとって不利になることなど絶対にしなかった。
優しそうだと人からは言われるし、他人のことを大事にするのは重要だと考えてはいる。けれど、サラにとって一番は常に自分自身だった。
そうじゃなくなったのは、前を歩く男のせいだ。サラは、ロックの柔らかそうな髪とその後姿を見つめる。以前よりも体格が良くなったのかもしれない。後姿はとても頼もしく見える。
ディアナがブレイドに別れを告げられたと聞いて、サラは目の前が真っ暗になった。このままでは、ロックは再びディアナを好きになるに違いない。今まで頑なにブレイドを想っていたディアナだって、心が揺るがない訳がないだろう。あれだけ傷ついている時なら、なおさら。ロックに対する恋心を隠し持っているサラにとって、それは受け入れがたい事実だ。
だけど、もし自分がロックだったらと思ったら動かずにはいられなかった。彼ならば、好きな人の為に迷わず行動するだろう。彼が出来ることをどうして自分が出来ない? サラは、ロックに認められる人間になりたかった。
自分の気持ちと葛藤しながら、サラが見つけ出した真実がそれだ。ロックの眼をまっすぐに見返せる人間になりたい。正直意外だった。自分は利己的な人間だと思っていたのに、好きな人の幸せを願えるような人になれるなんて。
「ロック君」
――――あなたが、好きです。
言葉に出してはもう言えない。サラは一年前に試すような事をしてしまったことを後悔している。寂しいなら自分と……なんて言った時点で、サラはロックに軽蔑されているはずだ。そんな事を言う人間を、彼が好きになるはずがない。
「ディアナは、どう?」
ロックの背中が一瞬身じろぎする。立ち止まって振り向く動作が、やけに緩慢に見えた。
「それなんだけど、サラに頼みがあるんだ」
「……私に?」
続けられた言葉に、サラは本当に息が止まるんじゃないかと思った。
*
聖堂の中はもうため息で一杯なのではないだろうか。そう思いつつ、ディアナは更にため息を追加した。
回復魔法を使えなくなって、一週間。ディアナの生活は割と規則的だった。午前中はクルセア王女と勉強、昼には聖堂でお祈り、その後は雑務を請け負う、というもので暇では無いけれど別段楽しくは無い。
同僚の治療師の大半は、ディアナが謹慎終了後も治療業務につかないことを訝しがっている。城にいても好奇の視線に晒されるので居心地は悪く、結果、聖堂へ逃げ込んでいることが多いのだ。
精神状態は、時と共にすこしずつ回復してはいる。ディアナがところかまわず泣くような事はもうなくなっていた。その代わり、体も心も空っぽになってしまったように力が入らない。
ディアナは、神を模したと思われる白い彫像を見上げながらもう何度目かわからないため息をついた。どうしたらいいんだろう。視線で彫像に問いかける。どうすればいいですか。
こんな生活をずっと続けていても仕方ないことくらいはディアナも分かっている。クルセア王女の話では、女王陛下は治療に積極的になり、以前より魔法も薬も効き目が良いそうだ。であれば、この城にディアナが呼ばれた理由はもう無いと言える。
じゃあなぜここに留まってる?
自分への問いかけで視界が歪む。そんなの単純だ。ブレイドがいないから。……帰るところがないから、動けずにいるだけだ。
その時、聖堂の扉が開く重たい音がした。
「ディアナ。ここだったの」
入ってきたのはサラだ。ディアナは反射で笑顔を作る。サラはあれ以来ディアナを心配して、暇を見つけては話しかけにきてくれる。それは嬉しいが、サラにはサラの仕事がある。ディアナとしてはいつまでも甘えているわけにはいかないという意識があった。
そう言えばロックも、と幼馴染のことを思い出す。どうやって通行証を手に入れたのかはわからないが、ロックも連日のように城に顔を見せる。他愛のない話をして帰って行くだけだけれども、心が休まるのは正直助かる。
長年一緒にいる幼馴染はやはり他の人間とは違う安心感がある。
「サラ」
「何してたの? お祈り?」
「うん」
サラはディアナの瞳の潤みには気づかない振りをして彼女の後ろに回った。
「ねぇ、ちょっと座ってて。髪、結ってあげるから」
「え? なんで」
「いいじゃない。今私暇なの」
サラは強引にディアナを座らせると、結んであった髪をほどいて、手早く編みこみ始めた。
「サラ、いいよ。どうしたの、急に」
「いいから黙って」
サラの言葉には威圧の響きがあり、ディアナはそれ以上何もいえなくなった。5分もすると結び終えたのか、木彫りの髪留めを取り出した。
「これ、覚えてる?」
「え?」
木彫りの髪留め。似たようなのが家にある。昔ロックがくれたものだ。サラはパチンと音をたてて髪留めを止めた。触ってみると、髪が頭頂部から綺麗に編みこまれている。
「……なんか、らしくないね。ディアナ」
「え?」
サラは笑っている。だけど瞳は真剣で何かを諭そうとしているようだ。
「黙って私にさせてくれるなんて」
「サラ?」
「前言ったよね、ディアナ。自分でやりたいって。あの時の気持ち、どこに行ったの?」
ディアナの胸の中で、何かがはじけたような気がした。自分の力で。……そうだ、今までは、何でも自分の力で切り開いてきた。
ブレイドが好きだと言ってくれた頃。ずっと一緒にいた頃。ディアナの中には強い力が溢れていた。たとえ遠回りでも、自分らしくあろうと毎日を一生懸命生きてた。
サラは、ディアナの表情を観察した後、静かに横を向いて言った。
「……私、もう行くね。ディアナしばらくここにいてよ」
「どうして?」
「内緒。でもここにいて?」
なぜか寂しそうな表情で、サラが出て行く。サラは一体何をどうしたかったのか。分からないまま、ディアナはもう一度彫像に向き直った。
「……らしくない、かぁ」
組んだ自分の手を見詰める。お祈りこそ、自分らしくない。
ディアナは思わず苦笑を漏らした。そうだ。こんな風にただ祈るだけの自分なんて、数年前には想像もできなかった。