プロポーズ・5
ブレイドが夕闇のガルデアを出発してから、もう二日が経過している。前を行く男と、荷物を乗せた馬との二人と一頭と旅だ。当初馬で来たのはそれが何かと便利だからだろうと思ってのことだった。
けれど徐々に考えは変わってきた。まだ数ヶ月とはいえ初めての自分の馬には愛着がある。変なことに巻き込むくらいなら自由にしてやった方がいい。
「なぁ、この馬を放しても構わないか?」
「ああ? 乗せてくれないんじゃ対して役にも立たないしな。勝手にすればどうだ」
男は興味が無いと言った冷たい調子だ。この男は愛想が無い。話し出せば流暢に話すのだから、決して話し下手ではないのだろうという予測は出来るのだが。自分から探しに来たくせに、関わりあいたくなさそうにしている、……そんな印象だ。
ブレイドも別段それを気にしてはいない。男から告げられた過去はブレイドには衝撃だった。男を許す気にはなれない。ましてわざわざ仲良くなろうなんてことは露ほども思わない。
「誰だって、死にに行く旅を急ごうとは思わないだろ。……それに、あんたと二人乗りするなんて、絶対に嫌だね」
ブレイドは手早く馬に乗せていた荷物をおろし、背中に担いだ。
昨晩、宿屋で両親にあてて手紙を書いた。自分がこの男から聞いた内容を、自分なりに噛み砕いてまとめたつもりだ。そしていざ書き終えてみると、この内容が知らせた方がいいものなのか知らせない方がいいのか、判断がつかなかった。
ブレイドは、馬の鞍のところに、その手紙を落ちないようにしっかりとはさみこんだ。そもそも馬に帰巣本能があるのか、あったとしてもどれだけ当てになるかはわからないが、出すか出すまいか迷っているような手紙だ。
もし届かなかったとしても問題ないだろう。ここは天の配剤に任せるとしよう。
ブレイドは、もう一度馬の背をなで、ディアナの髪色と同じ栗色のたてがみに頬をつける。
「お前とも、……お別れだな」
「ヒーン」
馬が、弱く鳴いた。いざ別れると思うと無性に愛情がこみ上げてくる。
「親父と母さんのところに戻るんだ。……分かるか?」
迷っているような馬の尻を強くたたくと、大きく鳴いて走り出した。
「ちゃんと、帰るんだぞー」
ブレイドの声に、振り向くことなく走る馬。その栗色のたてがみを、見えなくなるまで見送った。
優しい思い出。
掛け値なしの愛情で育ててくれた両親。
静かに強くある、自分の知らない強さを常に見せてくれた親友・ロック。
迷いを切り開く力をくれたじいさん。
そして、男として強くありたいと思わせてくれた、ディアナ。
大切な人々が、順にブレイドの頭の中を通り過ぎていく。最後に残って消えてくれないのは、いつだって強いまなざしで笑うディアナだ。鼻の奥がツーンとして、柄にも無く泣けてきそうだった。
ディアナ。お前に会って初めて、枯れることなく湧き出るような愛情を知った。真っ直ぐ前を向いて生きる生き方を、教えてくれた。
「……愛してる、本気で」
それは今も。捨てなきゃいけないと分かっていても言葉にしてしまうほどに。
――行け。
馬の姿が消えた赤茶けた道を睨みつける。
皆は幸せにならなきゃ駄目だ。思い出は全部馬と共に遠ざける。後ろ髪を惹かれてしまわないように。
「……さよなら」
強く吹いた風が、土ぼこりを巻き上げ、更にブレイドの黒髪をなびかせる。フードの男は、一部始終を見終えた後、冷やかすように口笛をふいた。この男の前では泣きたくない。ブレイドは、涙をこらえて前を見据えた。
大切な人がたくさんいて良かった。でなければ、死にに行く旅など到底耐えられなかっただろう。
自分一人が犠牲になることでこの人たちを守れる、そう思えるだけでも少しはマシだ。
「ほら、行くぞ」
空気を読まない男が、足早に歩きだす。
「……分かってるよ」
一歩一歩、まとわりつく思い出を振り払うように強い歩調でブレイドは歩き出した。