告白・4
ガルデアの南のはずれにバジルが到着したのは、陽が傾いて徐々に色を朱に染めていこうとする頃だった。
木立の陰に、昨日剣士連合に姿を見せた男が座っているのを見つけ、バジルは馬を止めた。男は怪訝そうに顔をあげると、首をかしげた。
「どこかで、……お会いしましたかな?」
「もうお忘れかね。昨日、ガルデアの剣士連合本部でお会いしたと思うが」
バジルがそう言うや否や、男は顔を引き締めて身構えた。
「そうでしたね。して、私に何か?」
「ブレイドを、知りませんかな? 昨日あなたがお尋ねになった黒髪の英雄です」
探るような視線で、バジルは男を見詰める。
「さあ……」
男の薄笑いに、直観で知っていると感じた。さて、どうやって聞き出そうか。バジルが頭の中で考えているうちに、馬の蹄の音が聞こえた。どうやら結果の方が先にやってきたようだ。栗毛の馬にのってやってきたのはブレイドだ。
「……じいさん」
ブレイドは、馬を止めて食い入るようにバジルを見返した。驚きを隠せないといった顔つきだ。
「なんで、ここにいるんだ」
一方バジルの方は、すらりと馬上で剣を抜くと、ブレイドに向かって打ち込んできた。
「!」
ブレイドは、咄嗟に脇から剣を引き抜き受け止めた。一瞬遅ければ、確実に頬に傷がついていただろう。耳もとの髪の毛がわずかに切れて地面に落ちた。
「……どういうつもりじゃ」
怒りを含んだバジルの顔に、一瞬身を引きながらもブレイドは力を込めて剣をはじく。
「じいさん。……すまない」
「お前の両親は泣いていたぞ。これから一体、どこに行くつもりなんじゃ」
「……それは」
ブレイドが、目を泳がせる。木陰の男が、面倒くさそうに声を出した。
「……随分人間臭い暮らしをしてたんだな。龍のできそこないのくせに」
その言葉に、ブレイドの肩がびくりと揺れる。
「龍?」
訝しげなバジルの声に、即答するものは居ない。徐々に赤くなってくる夕日が、三人を朱色に染めていく。やがて観念したようにブレイドがボソリと呟いた。その大きな体格には似合わない、とても小さな声で。
「……じいさん。俺は、普通の人間じゃなかったんだ」
「何を言っとる」
「俺は、俺や親父は黒龍の子孫なんだそうだ。この黒髪が、その証拠らしい」
「……馬鹿な」
バジルは耳を疑った。龍と人間の間に子が出来るなど聞いたことがない。
「龍は、……龍のところに戻らなければならないんだ。そうでなければ、マドラスの緑龍がこの国を滅ぼすとまで、言っているらしい」
「馬鹿な事を言うな」
「俺だって、ただ大人しく従うつもりはない。でも、龍に敵うとも思えないからな」
そう言って力なく微笑んだブレイドに、バジルはもう一度剣を向けた。
「勝手なことばかり言うな。……ディアナの事はどうするつもりだ。わしは、お前にだからディアナを頼むと言ったんだぞ」
「ディアナには、ロックがいる。あいつなら大丈夫だ。例え時間がかかっても、ちゃんとディアナを幸せにしてくれる」
「ふざけるな!」
バジルが渾身の力で振り下ろした剣を、ブレイドは左腕の小手で受け止めた。軽く震えている腕にはおそらくアザができているだろう。しかし、ブレイドは顔色を変えずに小手で剣を押し返した。
「なんて言われても仕方無い。じいさん、俺は、……もう、言い返す資格さえないんだ」
「この、馬鹿もんが!」
バジルは、そう呟くと剣を脇におさめた。剣を振るったのは確かめたかったからだ。ブレイドの選択に、迷いがあるのかないのか。そして結論は『無い』だ。もう変えられない。この決意を、変えることはできそうにない。
「母さんたちには、ちゃんと手紙を書く。けれどディアナには、行き先を教えないでほしい」
「……勝手なばかり言うな」
吐き捨てるようにそう言って、バジルは馬を歩かせた。ブレイドの横を近い距離で通り過ぎる。そして一度だけ振り向いてブレイドの背中を叩いた。
「龍の弱点は目だ。体は硬いうろこに覆われているからな。……後は、お前の直感を信じるんだ」
「じいさん」
「わしはもう知らん。お前はディアナを傷つけたんだ。……このくそぼうず」
「……ごめん、じいさん」
ブレイドが、馬上で頭を下げた。バジルはそれを見ずに馬を走らせた。今度はもう振り返ることなしに。
バジルは無力感で一杯になる。ディアナにしてやれることがもうない。ブレイドを助けてやれる術が思い当たらない。それは、すでにこと切れた娘を前にした時の感覚に似ていた。
「この年になって、……こんな思いをさせられるなんてな」
胸に湧き上がる感情を振り払うように、バジルは馬を速めた。
*
ディアナが目を開けた時、空はもう白んでいた。横を見るとサラが静かな寝息を立てて、同じ毛布にくるまっている。テーブルの下の床では、掛け布団を下に敷いてロックが横になっていた。
「あのまま、寝ちゃったんだ」
テーブルの上には、昨日つくってくれたのであろう食事が残っている。眠ってしまったディアナを起こさずに居てくれたロックとサラの優しさが嬉しかった。
「……しっかりしなきゃ」
ディアナはこぶしを握りしめた。人に心配をかけてばかり居られない。早くいつもの自分に戻らないと。……でないと、ロックに返す言葉も見つけられないままだ。
ベッドの上から、床に寝転がるロックの顔を見る。自分の事を好きだと言うこの幼馴染を、今までどれだけ傷つけてしまったのだろう。ブレイドはずっと知っていたのかも知れない。だから、最後の最後であんな風に言ったのだろう。『ロックのような男と、一緒になるべきだ』、と。
思い出すたびに滲んでくる涙を、ディアナは腕で一気に拭いた。ブレイドの事を、考えるのはやめよう。せめてもう少し、元気になるまでは。……泣かずに話せるくらいになるまでは。