告白・3
カタン、という物音が静かな室内に響いた。どのくらい時間がたったのだろう。戸口で聞こえた音で、急に現実に引き戻されたようにディアナには感じた。
気がつけば陽は随分傾いていて、西側の窓から差し込んでくる夕日が室内を照らしていた。
驚いたロックがディアナから手を離して戸口を見ると、仕事帰りのサラがこわばった顔で立っている。
「……サラ」
「あ、あの。……ディアナ、泣いてるの?」
気まずげな声は、ディアナの頬を伝う涙を見て驚きの色に変わる。ロックはゆっくり戸口に近づくと、サラの耳元で小声で言った。
「……ブレイドが」
「ブレイドくん?」
ディアナは、その間にゆっくりとテーブルの椅子に腰かけた。色んな事が起こりすぎて、自分の許容範囲を超えている。テーブルに頭をつけてうずくまって見ても、頭からブレイドの事が消えない。
何度もこだまする『別れよう』の言葉。耳をふさいでみても、それはずっと頭の中で鳴り響いている。そして同じように、ロックの告白もまた、頭の中でこだまする。
ロックに応えることはできない。だけど、ロックの手を離す勇気もまた、持つことができない。このままじゃダメなのに、どうしたらいいのか何もわからない。はっきりしない自分の気持ちにディアナは苛立ちだけが湧き上がる。
「……そうだったの。実は、王女様からの要請で、明日はディアナを連れてくるように言われたんだけど、これじゃ、無理そうね」
「うん。……多分ね」
二人の視線を感じて、ディアナは目をこすって顔をあげた。
「……大丈夫。行く。明日いつも通り出勤すればいいんでしょ」
「でも、ディアナ」
「クルセア様と、聖堂でお祈りする約束してたの、……思い出した」
顔を洗おうと立ちあがったところで、体がよろけた。慌てて傍に来たロックが、ディアナの腕を掴んで支える。その優しさに甘えるのが嫌で、ディアナは目をそらしてややつっけんどんに言った。
「……ロック。大丈夫だってば」
「ウソだよ。全然大丈夫じゃない。しばらく休んだ方がいいよ」
「平気だから、離して」
「ディアナ!」
駄々をこねたことを怒るような調子でロックが怒鳴る。言われなれない強い口調に、ディアナの瞳からは再び涙がこぼれ出る。
「……だって、じゃあ、どうしたらいいの」
「ディアナ」
「私、他にどこに行けばいいの」
ブレイドは、もう行ってしまった。他に、自分の行くところがディアナには思いつかなかった。だったらせめて、頼ってくれるクレセア王女との約束だけでも果たしたかったのに。
「ディアナ? 無理しなくてもいいのよ。クルセア様には私から伝えておくから」
サラが気を使ったように、ロックの手からディアナを奪い取った。それで安心して、サラの肩に寄りかかる。なんとかしていつもの自分に戻らなければ。
「いいの。……大丈夫。失恋なんて、誰でもしてる」
「ディアナ。でも」
「振られたくらいで何もできないような、情けない女になりたくない」
そんな情けない女でいたら、ブレイドに嫌われる。そう思って、堂々巡りになっている自分に泣けてくる。どうして。何を思ってもブレイドに繋がっていってしまうのだろう。
「顔、……洗ってくる」
「ディアナ、ほら。つかまって」
サラが支えに甘えるようによりかかり、流しに行って顔を洗った。冷たい水が当たるたびに言い聞かせる。情けない、情けない、情けない。いつからこんな弱い人間になったというのか。ブレイドから手を離されたくらいで、一人で立てなくなるなんて。
「私は、……大丈夫だから、二人とももう帰って」
ディアナは自分を叱咤し、必死に強がる。こんなに弱い自分を、人前にさらしているのが辛かった。
その姿を、ロックが強い瞳で見ている。見透かされていそうで、ディアナは目を合わせることができなかった。
「……僕、今日は、ここにいるよ」
再び椅子に腰かけたディアナの肩に、ロックは手を乗せた。今度は優しい、いつものロックの力加減だ。
「ロック」
「さっきは、驚かせてごめん。……心配なんだよ、ディアナの事が。サラももし大丈夫だったら一緒に泊まってくれないかな。今日、一人にさせる訳にはいかないよ」
「うん。……いいわよ。ちょっと、一度家に帰って、両親に伝えてくれば、平気だと思う」
「ありがとう」
ロックがサラに優しい笑顔をみせる。先ほどまでの激情を押さえ込んだいつものロックの表情だ。それにほっとしてしまう自分に、ディアナは胸が痛む。
「じゃあ、私ちょっとだけ行ってくるね。明日一緒に出勤できるように準備してくる」
「……ごめんね。サラ」
「ううん」
サラは微笑んでそういうと扉を開けて出て行った。と同時に、ロックがテーブルの向いに座ってディアナの方を向いた。
「ディアナ」
「……なに?」
「やっぱり僕には、……頼れない?」
問いかけるロックの声は沈んでいた。いたたまれなくなってディアナは黙り込む。するとロックは重ねるように続ける。
「僕じゃ、ブレイドの代わりにはなれない?」
「……代わりなんて」
ディアナは首を振った。代わりなんて言葉を、ロックに言わせちゃダメだ。ロックは、いつだってロックで、それ以外の人には絶対にならない。ディアナの幼馴染は、そういう人間だ。常に自分がキチンとあって、人の言葉では惑わされない。穏やかそうにして意思は強い。それがロックだ。
「ロックは、……ロックだよ」
「ディアナ」
「そうでしょう?」
こればかりは譲れないとまっすぐ瞳を見返すと、ロックの中で何かが揺らいでいるのが見て取れた。ロックは、しばらく黙っていたが、一度俯き息を吐き出してから顔を上げた。今度はいつもの笑顔で。
「うん。……うん、そうだね」
じきにサラが戻ってきて、ロックと二人で夕食を作り始める。ディアナはロックにあんな言葉を言わせてしまったことがショックだった。頼ることで少しでもロックに謝れるならと、意地を張るのはをやめて二人に任せる。
ベッドに横になり、ほのかに残るブレイドの香りを吸い込んで、痛む胸を押さえる。
『俺は、……普通の人間じゃない』
ブレイドが言った言葉が、頭に次々とよみがえってくる。別れの悲しさにばかり気をとられていたが、あの言葉はどういう意味だったのだろう。
何かがあったというのだろうか。それは、誰に聞けば教えてもらえるんだろう。考えても詮無いことを考えながら、ディアナは涙がこぼれないように寝返りを打った。
ロックとサラの会話が聞こえ、一人じゃないことに妙に安心したりもする。そして、気がつけばいつの間にか、ディアナは眠りに落ちていた。