黒い影・6
*
ブレイドは慣れない馬を動かしながら、朝の七時には自宅へ戻っていた。
「……さっそく朝帰りね。お帰りなさい」
母親のセリカが、ニヤニヤした顔で朝食の準備をしていた。
「ただいま」
セリカの態度が非難めいてはいなかったので、ブレイドはしらばっくれてそのまま朝食の席に着いた。余計な事は言うとぼろが出そうだったので、息もつかない勢いで食べることに集中する。
「今日から、仕事だったか?」
父親のアイクが、眼鏡を直しながら尋ねる。
「ああ。南のタクマ村での魔獣退治だって。この間決勝で戦った剣士さんと一緒に行くんだ」
「南の方は、龍の影響で荒れているものね。魔獣たちもでてきているのね」
「気をつけるんだぞ。いくら優勝したといっても、お前はまだ18歳だからな」
「ああ、分かってる」
いつまでも、自分を子供扱いする両親を、歯がゆくも嬉しくも感じつつ、いそいそと朝食を終え、旅支度を整える。その間に、アイクは仕事に出て行った。
「じゃあ、俺も行ってくる」
「ええ。気をつけるのよ」
いつものように、頬笑みを浮かべたセリカにブレイドは神妙な顔で語りかけた。
「……母さん、今度、ディアナのところに行ってきてくれるか?」
「ええ。いいけど?」
「あいつ、なんかちょっと変だったから」
眉を寄せたブレイドの肩を、セリカが軽くたたいた。
「ディアナちゃんだって年頃だもの。……あんたもあんまり放っておいたらだめよ。好きな人と離れてるってのはね、女にとっては寂しいものよ」
「……それは、分かってっけど。でも、ディアナだぞ?」
「馬鹿ね。ああいう強がってる子ほど内心では堪えてるのよ」
「そっか」
ブレイドは、昨日のディアナを思い浮かべる。あんなに頼りなく見えたのは、いつ以来だろう。離れがたいと思ってしまうほど心細そうで、ついつい一泊してきてしまった訳だが。
「帰ったらすぐに会いに行くって、言っといて」
「わかったわ」
微笑むセリカに手を振って、一歩歩きだしたその時、砂利をこするジャッという足音が響いた。
「……え?」
そこにいたのは、旅人風の男だった。
「あんたが、黒髪の英雄かい?」
「あんたは?」
見覚えのない筈の、その男のどんよりとした目に不快感を感じる。男は皮肉のこもった笑いを浮かべると、あごの不精髭を触った。
「なるほど、父親にそっくりだ」
「……!!」
「名前は、ブレイド。……父親と、同じ名だな?」
「あんたは誰なんだ」
「俺はナナキ村から来た」
『ナナキ村』という言葉に、ブレイドよりも後ろに控えてきたセリカの方が反応した。
「帰ってください」
ブレイドをかばうように、前に進み出る。
「この子は私の子供です」
男は、ブレイドとセリカを比べるように見た。
「子供、……ねぇ。悪いが全く似てないな。ぼうず、ブレイドはお前にそっくりだったぞ。そして目元は、母親譲りだな」
『母親』という言葉に、セリカもブレイドも鋭く反応した。
「俺とくれば、お前の本当の両親の事を教えてやれる」
その言葉に、ブレイドの胸は動いた。ちらりとセリカの方を見れば、泣きそうな顔で目の前の男を睨みつけている。
知りたかった。せめて、母親の名前だけでも。一年前からずっと心に残っていた、実母に対する感情。彼女の無念を、せめて名前だけでも知れれば少しは晴らせるんじゃないかとそう思っていた。
そしてそのチャンスは、今目の前にある。
「母さん」
ブレイドのつぶやきに、セリカが体を震わせた。
「だめよ」
「でも、……知りたいんだ」
「……行かないで」
その言葉に、昨日のディアナが重なった。泣きそうな目で、すがるように言ったあの言葉。ブレイドは、目をつぶってセリカの肩に触れた。
「……母親の名前だけ、教えてはもらえないか?」
男は乾いた笑いを洩らすと、厳しいまなざしを向けた。
「そういう訳にはいかない。……お前には償ってもらわなきゃならないんだ」
「なに?」
「お前が、黒髪な訳を教えてやるよ」
反射的に、ブレイドの足は前に出た。体の奥底から渦を巻いたような激情が湧き出てくる。泣き叫ぶようなセリカの声も、記憶の中のディアナの声も、一瞬にして頭から消えた。まるで別の生き物に動かされているかのように、その男の後に続いた。