黒い影・4
「……てな訳で、武道大会で優勝してから、結構俺当ての仕事の依頼が入ってくるんだと」
「へぇ、一躍有名人じゃない。じゃあ忙しいんだ」
「ああ。だから、本大会までの間、少し仕事をこなそうかと思ってさ。とりあえず、明日から三日間、簡単な仕事からやってくるな」
「うん。頑張ってね」
と、励ましてはみるものの、とディアナは内心で落胆する。
自分はと言えば、明日からは許可が下りるまで自宅謹慎だ。やるべきことも特にはない。もし謹慎が解かれるとすればここに連絡が来るのだから、実家に帰るわけにもいかない。ふてくされていたところに聞かされるには少し辛い話題だった。
ブレイドが活躍するのは嬉しい。だけど、自分の現状とのあまりのギャップが辛い。しかも三日以上は会えないことも確定したわけで、ただ一人で漫然とこんな寂しさと戦うのかと思うと気が重過ぎる。
「お前の方はどうだ?」
「あー、うん。まあまあ」
自宅謹慎になった、と。正直に告げられないのは未だに残るプライドのせいなのか。変化に気づいて欲しいと、説明もしないで願うのはずるいのか。
他愛のない話をしばらくして、ブレイドは立ちあがった。
「じゃあ、準備とかあっから、今日はこれで帰るな」
「……うん」
ブレイドは快活そうに荷物をまとめる背中にしょい上げる。それを緩慢な動作で見つめながら、ディアナの胸のうちは葛藤を続ける。
弱音を吐くのは嫌だ。だけど誰かに聞いてほしい。
あのね。今日、色々あったんだよ。あんたが、どんなふうに私を見ててくれたのかも、よく分かった。自分がどれだけあんたに支えられていたのかも、……よく、分かったんだよ。
視線を感じたのか、ブレイドが振り向いて笑う。扉の方まで一気に歩くと、半開きの状態でディアナの頭を撫でる。
「飯上手かったよ。サンキュな。帰ってきたらまた来るからな」
「うん」
ディアナも出来る限りの笑顔を作る。それは冒険者を見送るものの勤めだ。不在の寂しさは感じさせない、心配は戦うものにとっては枷になる。
「いってらっしゃい」
笑って言って、馬の元に近づくその背中をじっと見る。
「……行かないで」
声にならないほどの小さな声で、ついにディアナは言ってしまった。自分の耳にさえ届くか届かないかの音は、ブレイドには聞こえるはずがない。
けれど、ブレイドは馬の首を優しくなでるとそのままディアナの元に戻ってきた。
「……どうして?」
ディアナは、瞼に涙が浮かんでいるのが自分で分かった。もう押さえられなかった。戻ってくると思わなかった彼が、自分の元へ戻ってきた事で、張ってきた気持ちの糸が切れてしまった。
ブレイドは右手でゆっくりと目尻に触れると、困ったように笑い、それを拭き取る。
「やっぱり、今日はここにいる」
「……どうして、分かるの?」
触れる距離にいるブレイドが、かすんでディアナには見えなくなる。ブレイドが、手のひらをディアナの頭の後ろに移し、ぐいと胸元に引き寄せた。
「俺が寂しいだけかも、な」
「ブレイド」
ついに涙は瞳からあふれ出し、頬を伝って足元に落ちた。もう止め方が分からない。ディアナはそのまま胸元にしがみ付いた。
言葉にだしたらダメだったのに。弱さを口にしたら、もう二度と頑張れなくなってしまいそうだったのに。
ディアナは心の中で、自分を恨む。戻ってきてくれたことは嬉しいが、弱さを武器にしているような今の自分が堪らなく嫌だった。
けれど、弱音は止まらなかった。叱咤する心の中の自分とは正反対に、どんどん口の端からあふれ出してくる。
「……傍にいて」
「ディアナ」
「行かないで」
ブレイドの手が頬に触れて、唇が吸い寄せられるように重なる。そのまま強く抱きしめられて、ディアナは罪の意識を放り投げた。それでブレイドが傍にいてくれるなら、弱い人間になってもいいとさえ思った。