黒い影・3
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武芸の町・ガルデアの剣士連合本部で、バジルは書類に目を通していた。
武道大会が終わって、一息ついたところだ。次は、武道大会の為にしばらく休んでいた剣士たちに、城から送られてくる仕事を配分する作業が残っている。
キィという鈍い音がして、バジルは視線だけを上げた。
扉が開いている。蝶番がきしんでいるのか。そろそろ油を差さなければならないなと思いながら開いたその向こうを見ると、この暑さの中、長袖の服を着た40代くらいの旅姿の男が立っていた。
「ちょっとお尋ねしたいんですが」
「……なんだね?」
薄汚れた見た目とは対照的に、きれいな言葉遣いで男は続ける。
「黒髪の英雄というのは、この町に住んでおられるのですか?」
ブレイドのことか?
バジルは眉をひそめると、もう一度その男を観察した。
長い間旅をしてきたような、薄汚れた服装。目はうつろで疲れきっているようだ。旅の男である、という以外の要素は感じられない。
「……所属はここですがね、家は隣村ですよ」
「そうですか。隣村とは、どちらの?」
「仕事であれば、こちらで承りますよ。特別彼に頼みたいことでも?」
すると、男は少し慌てたように首を振った。
「いえいえ、個人的に話があるだけで。……ありがとうございました。失礼します」
男の後ろ姿を見送って、バジルは胸が騒ぐのを感じた。長年、剣士として戦ってきた野生の勘ともいえる。
「なんだ? なにか、……厄介な事に巻き込まれるんじゃなかろうな」
バジルは立ちあがると、窓の外を覗き込んだ。先ほどの旅人は、足早に町はずれへと向かって行った。
*
その夜、ディアナが自室でありあわせの夕食を食べていると、馬の蹄の音が近づき止まった。誰かきたのだろうか、とディアナは軽く腰を浮かす。そして扉の前に行く前にノックの音がした。
「誰? 父さん?」
ディアナの下宿先を訪れる人間は限られている。しかも馬を使う人物と言えば大抵は父親のデルタだ。
城にでも用事があってその帰りか。そう思って扉を開けると、そこには立っていたのは予想外にもブレイドだった。
「ブレイド!」
「よう、見ろよ。この間の優勝の賞金で、馬を買ったんだ。しばらく乗る練習してたから、これなくて悪かったな」
口をパクパクさせるディアナに対し、ブレイドはご機嫌だ。肩越しに後ろを見ると、建物の前の大きな木に一頭の馬がつながれている。
「え? 凄い見せてよ」
そのままの格好で外に飛び出し、馬を驚かせないように近づく。たてがみが栗色で凜としたイメージのある馬だ。
「お前の髪と、同じ色だろ」
「ホントだ」
ブレイドが、肩先からディアナの髪をすくう。反射的に髪を押さえると、彼の笑った声が指先に触れた。
「……元気か?」
元気かと問われて、即答できるほど元気ではないが、心配もかけたくないので、ディアナは曖昧に笑った。
「お、飯食ってたのか。俺も腹減ってんだけどなんか残ってるか?」
「いいよ。ちょっと待ってて」
残り物でブレイドの分の食事を作る。一人暮らしをはじめてから、ディアナは週に二日はまともにメニューを考えるが、他の日は残り物料理ばかりしている。一人では食材が使い切れないのだ。
隣にブレイドが立ち、「へぇ」と鼻を鳴らした。
「なによ」
「いや、安心してみてられる手つきになったなぁと思って」
その言い方に引っかかり追求するとからかわれる。膨れてみせると、今度は機嫌を直そうと躍起となって別の話をし始めた。