幸せに続く物語
死にネタです。病気の描写があります。人によっては読後感が悪いかもしれません。そういうお話が苦手な方はバックすることをお勧めします。
20まで生きられない。
生まれてからずっと病院暮らしの私に、お医者様が初めて言った13歳の私への死刑宣告だった。お医者様の話では脳にできた悪いものが、徐々に長い時間をかけて体の神経侵していきそのうち体の自由が利かなくなるといっていた。
お医者様は苦しい顔をしていたけれど、この白い建物から出たことの無い私にとって、動かなくなるということは見る場所が少し狭くなるというだけのことだ。
実際検査の数が増えたくらいで、それ以外は病室とトイレ、たまに庭を散策するくらいでお医者様に言われる前と後で私の生活がかわることはなかった。
そんなある時、一人の青年が隣の病室に入った。
交通事故で意識が戻らない。ずっと寝たままの人生になるかもしれないと医者はお兄さんのお母さんに言っていた。
お母さんや恋人、友達が泣きながら声をかけてもお兄さんは動かない。
生きているのに生きている事がわからない。
いつか私もあんな風になってしまうのだろうか?
私はその様子を、扉の隙間から見ていた。
それから私は何度か部屋の外に出た帰りに、お兄さんの部屋を覗くようになった。
お兄さんのお母さんは毎日来ていて、動かないお兄さんにいつも話しかけていたので不思議に思い近くの看護士さんに聞くと意識が戻らない人でも声をかけることで生きる元気をもらえるのだと教えてくれた。
私は部屋に戻ると一冊の本を持ってお兄さんの部屋に入った。
いつか動かなくなることがわかっている私には弁護士さんしか訪ねてこないので、話し相手はいつも本だった。
お兄さんが、本と「お話し」すればお兄さんはいつか動くのかもしれない。
そう思った。
それから私は度々お兄さんの所へ来て「お話し」をするようになった。
私は14歳になった。私はまだ生きていた。
お兄さんは目覚めない。本は15冊目になった。
私は15歳になった。薬の影響で髪を編む事ができなくなった。
お兄さんの友達が来なくなった。本は28冊目になった。
私は16歳になった。具合が悪くて少しの間眠っていた。
お兄さんの事故の“カガイシャ”が一度だけ訪れた。本は33冊目になった。
私は17歳になった。車いすを使うようになった。
お兄さんの恋人が来なくなった。本は41冊目になった。
私は18歳になった。目がかすんできて本を読むのが遅くなった。
お兄さんの恋人が別の人と結婚した。本は45冊目になった。
私は19歳になった。ベットから起き上がることができなくなった。
お兄さんのお母さんがやってきた。ありがとうと泣いていた。本は46冊目の途中で終ってしまった。
私は20歳になった。真っ暗な闇の中お医者様とは違う骨ばった大きな手が私の手を握るのを感じた。
お兄さんはどうなったのだろう?と思ったのを最後に私は深い眠りについた。
先ほどまで庭で遊んでいた娘の姿が見えなくなったことに気付いた父親は車いすを動かした。
昔事故で動かなくなった足の代わりとなったそれを自在に動かし、家の中を探すと娘は父親のアトリエで最近描きあげたの前にいた。
「おとーさん。これなにー?、フワフワ、キラキラ、キレーなえ」
その絵の中では木漏れ日さす大きな木の下で青いワンピースを着たが長い三つ編みを揺らしながら踊っていた。少女の近くには森の動物や同い年の少年少女がそんな彼女の様子を楽しく眺めており、明るい雰囲気がつたわってくる。
「これすきー」
「そうか。これが気に入ったか。これは『物語』を描いたものだ」
「モノガタリー?」
「そう。どんなお話だと思う?」
父親の質問に、娘はにっこりと笑って答える。
「んー。たのしいはなし! 」
「正解。これは幸せな女の子の物語だ。友達に囲まれて、太陽の下で楽しく遊んでいる女の子の話だ」
「あたちいつもしてるよー」
無邪気な娘の頭を父親はいとおしげになでた。
「そうだね。いつもしてるね。君が女の子より成長したら幸せな物語の続きを聞かせて欲しいな」
最後につぶやくように言われた台詞が聞き取れず、娘は父親に顔を近づける。
「なにー?もういっかいいって」
「なんでもないさ」
父親は笑う。それに応えて娘も笑う。笑い声を聞きつけた母親がやってきて夕飯ができたと声をかける。
二人は返事をして部屋を出て行った。
部屋に残された一枚の絵が物語の続きを待っていた。
10/30 1年抜けてたので追加しました。