帰路
光の中を女児が駆け降りていった。芝生の斜面、水玉模様のバケット・ハット、バッファロー・プレイドの半袖ドレスの淡い青、柔らかな髪の透き通る輪郭。女児はすれ違いざまに俺を見上げてにっこりと笑った。それは傾いていく陽射しの中を一瞬で通り過ぎた、ひとつの美しい光景だった。観覧車はゆっくりと回っていた。児童たちの喚き声がしていた。自転車のハンドルバーは充分に汗ばんでいた。海は近づいていた。
池の前で待つ同じ服装の女児とともに、女児は遊歩道をゆっくりと降りてくる白髪交じりの男を待ち、それからどこかへ駆けていった。俺は頷き、振り返り、再び自転車を押しながら斜面を上がり、下り、曲がり、また上がった。垣間見えるバーベキュー広場から匂いがしてきたのかはよくわからなかったが、俺の脳内には焼ける肉の匂いと煙とタレの味が広がった。やがて木々と芝の向こうに茶色いなにかが見えた。なんだろう、と目を細めながら俺は思い、理解した。東京湾だ。
なだらかな坂を海沿いに向けて降りていった。眩しかった。とにかく眩しかった。海面にもヘルメットにもなにかの施設のキャノピーの屋根にも白い光が反射して目を突き刺した。眩しすぎる光の中に、人間たちのシルエットがあった。俺は目を細めながら辺りを眺めた。小さい汽車のような青いなにかがやかましく通り過ぎた。水上バスが入ってきた。ゲートブリッジが見えた。東京は白く霞んでいた。
俺は納得し、それから休むべき場所を探して動いた。納得してしまえば特に面白いことはなく、日陰がどうと考えるつもりもなかった。だらっとできればそれでよかった。しばらく歩き、ベンチないしピクニックテーブルとして機能すべき石のまとまりがあったから、そこで休むことにした。自転車を停め、バックパックを置き、妥当な石に腰を下ろし、ジョギング・シューズと靴下を脱ぎ、バックパックから2Lのアクエリアスのペットボトルを取り出して、十三口、一気に飲んだ。息をつき、すぐにゼリーに移り、それも一気に飲んだ。渇きすぎていた。出発から六時間半、俺は一度も尿をしていなかった。補給したすべての水分は汗に変わっていた。胃が驚くぞと思いながら、一本満足バーもがつがつと貪った。これで350kcal、と俺は思った。ハンガーノックは起こらない。もう死にはしない。
もう少しゆっくり食べるべきだった、と思いながらソイジョイも齧り終え、俺はフィエスタ・メヒカーナのことを考えた。お台場ウエストプロムナード公園で十九時まで。今は十六時。このあとの予定を考えれば、結論はこうなった。間に合わない。メヒコには申し訳ないが、仕方がない。ギジェルモ・オチョワ、CMLL、ガエル・ガルシア・ベルナル、オクタビオ・パス、ゴールデン・ホースシュー、アレブリヘ、ウン・ポコ・ロコ、タコスとライムとコロナ・エクストラ。メヒコに関するいくらかのイメージはあったが、仕方がない。結局のところフィエスタは目的ではなく、きっかけに過ぎなかった。今日どこにも行かないのは寂しかった。埼玉にはろくなイベントがなかった。お台場にはあった。この道程を自転車で移動してみたいというイメージは以前からあった。実行するのは今日だ。フィエスタだ。
俺は意図通りに東京湾に辿り着いた。感慨や満足感はなかった。経路に従って走り続ければ辿り着く。それだけの話だった。そして、辿り着いたらあとは帰るだけだった。帰りの道のりにはダルさしか感じなかったが、今日は帰ることに意味があった。空間を肉体で繋ぐこと。それが春以来のテーマだった。空間を繋ぐことは、結局は時間を繋ぐことでもあった。俺はひたすら両脚を上下させ続け、ハーフパンツを汗で濡らしてここにいた。そして、同じように帰るだろう。
辿り着くこと。俺は宗谷岬を思った。あの頃は違った。辿り着くことに意味があった。稚内駅からレンタカーを走らせて辿り着いた雪の中の宗谷岬は、静かで美しかったはずだ。三角形のモニュメント、いるかの時計、モノクロの風景、最北端の地。あの旅の道程のすべてを愛している。かつてはそう思っていた。東上線、武蔵野線、埼京線、快速ラビット、東北本線、田沢湖線、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道、特急白鳥、函館本線、室蘭本線、宗谷本線、そして帰路のはまなす。経路に銀色の線が引かれた二〇〇六年十二月のJR時刻表は、今は黄ばんで部屋のどこかに眠っていた。
未来は現在になり、現在は過去になり、過去はすべて消える。坂の上のボラードの向こうの屋根に立っていた陽炎も、、乾いた砂の土手の斜面で転倒したときのずきずきとした指の骨の痛みも、幸魂大橋の主塔をゆっくりと横切っていく青く霞んだスカイツリーも、右下に見えた牛舎と飼料タンクと腐敗したような肥の匂いも、第一硝子の古風な煙突も、ひらひらと欄干から上がってきて岩淵水門の向こうに消えていった蝶も、ビルの向こうに見えたあらかわ遊園ののどかな観覧車も、縁に向けて白くなっていく広く青い空も、砂煙を撒きながら向かい風の中に上がったサッカーボールの横回転も、背の高い草の向こうに見えた均整のとれた美しい斜張橋も、総武線の暴力的な轟音も、その下で光を受けて佇んでいた自転車も、ざわめきながらきらきらと打ち寄せていた川波と汗に濡れたシャツを気持ちよく揺らし続ける風も、荒川ロックゲートの屋上まで上がれたことの驚きも、清洲橋の姉妹のような葛西橋とその下でトランペットを吹いていた女児たちも、殺伐とした新砂の風景の中に飛んでいた黄色いヘリコプターも、清砂大橋を渡りながら感じた耐え難い空腹と息苦しさと血の気が引く感覚も、今は過去になっていた。
そして、と思いながら、俺は靴下を履き直した。十五分ほどの休憩でも足と靴下はそれなりに快適な状態に戻っていた。問題はこれからだ。一時頃までには帰れるだろうか。
◆
信号を無視して無茶苦茶なUターンをする神戸ナンバーに轢かれそうになりながら、舞浜を後にした。西日本では交通ルールが違うのかもしれないし、あるいはルール自体が存在しないのかもしれなかった。ネズミの国は外観だけを眺めて楽しいものではなかったし、階段や歩道のあり方にも不満はあったが、現実感丸出しでママチャリで走っている自分の姿にいくらかの愉快さは感じた。ともあれ千葉ではあった。俺は心を無にして、西陽に向かって自転車を走らせた。京葉線のトラスは金色の光の中にあった。遮音壁の向こうの安っぽいヴィクトリア朝風のホテルは、セピア色に照らされながら左後ろに遠ざかっていった。
高層型団地のような建物群を右に、橋を降りて走った。視界は少しずつ明るさを失い、暖色、そして濁色へと変わっていった。そろそろライトを点けないとな、と俺は苦々しく思った。先月の南越谷からの帰りにハブダイナモ方式のライトが完全に故障して以来外付けのライトを使っていたが、取りつけ場所が定まっていなかったし、電池のもちにも譜穴があった。お台場を去るあたりで点けたいんだが――。
だが、道のりは快適ではなかった。埋立地の大造りさは距離を長く、単調で不毛に感じさせ、車を優先した横断歩道や歩道橋にはしばしば長大な迂回を強いられた。さっき通ったときに見ていなければ気づかなかったであろう、草に半分隠れた色褪せた看板の記述を頼りに、俺はようやく新木場方面に行ける歩道橋に乗り、橋に上がって荒川を渡った。
長く、高く、ダルい橋だった。俺は頂上までこぎ切ることを早々に諦めて、重い自転車を押した。夕雲から車が現れた。スカイツリーと鉄塔が重なって、僅かの間東京タワーに見えた。下りの傾斜もまた長いものだった。それは上りの長さを改めて思い出させた。その長さは、荒川の広さを意味するものだった。
橋を降りて最初の信号で高速道路の下を潜って渡り、高架鉄道沿いに湾岸道路を走った。とにかく新木場駅に辿り着くことだった。駅に着けば跡地の場所もわかるだろう。そういう考えだった。駅はなかなか現れなかった。錆びた金網、くすんだコンクリートの橋脚、そうした風景が殺伐と続いた。こんなところに若い男女が集っていたんだから、とんでもない時代だった。やがて案内標識が見え、「明治通り」の表記に少し驚き、見覚えのある交差点に辿り着き、自転車を降りて押しながら潜り覚えのある高架下を抜けて、反対口に回った。
駅前はだいぶ変わったような気もしたが、そもそも駅前でなにか活動や待ち合わせをしたり、印象や思い出がある類の駅ではなかった。バス停はこんなにあっただろうか。コンビニエンスストアは改札前にはなかったはずだ。あればそこで酒を買った記憶があるはずだからだ。少し離れたどこかの角にデイリーヤマザキだかローソンだかがあり、買うならばそこでジーマかスミノフアイス、場合によりレッドブルでも買って飲んだのだろう。トイレはあったかもしれない。そこで嘔吐はしていないはずだが。喫煙所はなかった。そんなことを確認しながら歩き、交差点を渡った。ああ、確かにこういう交差点だったかもしれない。いくらか面倒臭い造りなのだ――。
傾斜があり、橋が現れた。あると言われれば、確かにこんな橋があったかもしれない。ベンチがあったかもしれないし、落書きがあったかもしれないし、葛西臨海公園の観覧車が見えていたかもしれないし、ぱしゃぱしゃと水の音がしていたかもしれないし、逆L字型の照明も、あったというならばあったのだろう。そんなことを思いながら橋を渡った。
橋の先にあったのはごく普通の倉庫街だった。それはそうだろう、としか思いようがなかった。歴史的・地理的に考え、外観を眺め、実質を知ればここは名称通り木材を中心に扱う物流拠点の地であり、なくなってしまえばどうしてこんなところにクラブがあったのかがわからない。ないことが自然であり、感傷の持ちようがなかった。なにを思えばいいのかわからないままシミズオクトの先まで自転車をこぎ、それ以上行っても仕方がないので、来た道を戻った。
橋の手前で自転車を降りて押し歩いた。暗くなってきた風景を改めて眺めても、ageHaは痕跡さえなくなっていたし、痕跡があるべき場所がどこなのかもわからなかった。プールはどこにあったのだろうか? 我々はIDチェックのためにどこからどこにどう並んでいたのだろうか? わからなかった。我々がここでどんな夢を見ていたのかはもうわからなかった。そして、夢の消滅と忘却に関しても、生じる感傷は特になかった。
狐に摘ままれたような気分のまま橋を降り、信号を渡って喫煙所に向かい、自転車を停めて煙草に火を点けた。煙を吹き、首を傾げながら、思った。本当に、手品のように消えてしまったな。手品のように現れて、手品のように消えてしまった。それから、一夜城、という言葉が浮かんだ。一夜にして現れて、一夜にして消えてしまった。二十年。ちょっとした長さの一夜だが、一夜は一夜だろう。知らない人間にこのクラブの話をしても、おそらくは冗談としか思うまい。芝浦GOLDやジュリアナ東京もそういう性質の箱だったのかもしれない。赤坂MUGENがどうだかはわからない。
記録と記憶があり、語りがあるから「あったよなあ」と言えるだけであり、なければないで「それはそうだ」としか言いようがない。ageHaに思い出がないわけではないが、その思い出は感傷を伴わない「そんな箱があり、そういうことがあったかもしれない」という事実の確認に過ぎず、「そんな箱はなかった。そういうことはなかった」と言われれば、「じゃあ、なかったのかもしれない」と譲歩できる程度のものでしかない。ageHaがなくなったことを知ったときはいくらかなにか感じるものがあったはずだが、実際に現地に来てみて生じたのは、そういう感覚だった。そもそもがフィクショナルな箱であり、消えてしまえばそういうものとしか思いようがないという、奇妙な感覚だった。俺は煙草を消して、再び自転車を押し始めた。ライトを点けるべき暗さになっていた。
◆
上りがあり、下りがあった。空は蒼くなり、それからくすんだ黒に変わってきた。橙色の照明が点る短いトンネルを抜けた。湾岸道路は少しずつ見覚えのある景観になってきた。車は上がり、右に曲がって消えていった。ゆりかもめが見えてくれば、胸が高鳴った。三脚を持ってきたい、と俺は思った。絵になる風景が続いていた。どこでどう曲がるかは考えていなかった。357、真っ直ぐは台場、羽田空港。484、右は晴海、日比谷、左は東京ビッグサイト、鉄鋼ふ頭――。
武蔵野大学の角で左に曲がり、しばらく走って橋に上がった。左の対岸にビッグサイトが現れた。この時間帯にこう見ると、ビッグサイトも落ち着いた建物だった。自転車ならではの景観だった。俺はさらに走った。山田倉庫、富士港運有明紙倉庫、王子物流、都営5号上屋、関係車両以外進入禁止――。失敗だった。こちらからは観光地としての「お台場」には行けないし、無関係者がうろうろすべき場所でもない。戻るよりなかった。戻りながら、かつてここに来たような記憶がフラッシュバックしたが、違う。品川埠頭か大井埠頭だろう。そのときは警備員に写真撮影を咎められた。港がセンシティヴさのあるエリアであることを、俺は知った。そんなことを思っている間にも、よく繁った木の枝がべしべしと頭に当たっていた。去り際に、自分が渡ってきた橋が有明埠頭橋であったことを知った。橋の上からの眺めもやはりきれいだった。
通りに戻り、ゆりかもめに沿って走った。照明が道と軌道を金色に照らしていた。タイルの上にはボラードとチェインの影が波打ちながら規則正しく並んで落ちていた。時おりバスとトラックが通り過ぎた。左には埠頭があり、海があった。右には煌めくお台場の夜が、ゆっくりと角度を変えながら流れていった。ゆりかもめが右上を過ぎ、小さくなっていった。傾斜の先に落ちて消える高欄に信号の光が赤く長く映り、青に変わった。彼方には低く、細く、明晰な月が、空の底に沈んでいた。
橋は終わり、やがて駅に着いた。青海駅だった。観覧車はもうなかった。俺は公園に寄っていくことにした。船が見えたし、人の気配もなく、煙草も吸いたかったからだ。自転車を押して公園に入り、左に向かい、適当なところに自転車を停めて階段を降りた。静かだった。虫の声がしていた。枯れた紫陽花がまだ残っていた。
遊歩道に降りて少し歩き、バックパックを地面に置いて、高さ一メートルほどのパラペットをぴょんと降りた。海際に近づき、ステインレスのレイリングに顎を載せて、黒い海に浮かぶ白い泡を眺めた。顎の下はひんやりとして気持ちがよかった。パラペットに戻り、壁にもたれてアクエリアスを飲み、煙草に火を点けた。
公園灯の優しい光が遊歩道を照らしていた。その向こうにビッグサイトが厳かにそびえていた。倉庫があり、上屋があり、コンテナがあった。貨物船の光が暗い水面に滲みながら揺れていた。潮の匂いがしていた。埠頭の低く静かなざわめきがあった。前にはぱちゃぱちゃと護岸に当たる波の音がしていた。後ろには秋の澄んだ虫の声が広がり、風が葉を揺らす音がしていた。風は涼しく穏やかに、肌に吹いていた。自分の影が濡れた路面に落ちていた。向こうを低く静かに飛行機が過ぎていった。林の向こうにゆりかもめが消えていった。見上げれば、夏の大三角形があった。
辿り着いた、と俺は思った。
壁で煙草を揉み消した。自転車は後ろに見えていた。残っていた最後のゼリーを飲み、温くなった水筒の湯でべたべたする手を洗った。また腹を考えなければいけなくなっていた。よし、と俺は呟いた。また行きますか。
壁を上がり、階段を上がり、自転車を出した。振り返れば倉庫の橙色の光が桟橋越しに揺れていた。五人連れの中国人とすれ違った。道は相変わらず快適で、ゆりかもめの曲線は相変わらず美しかった。どこでどう曲がるか考えながら、真っ直ぐに走った。右の木々の向こうに紫やピンクに色を変えながら輝くなにかがあった。ガンダムの類のようだ。俺は苦笑した。また騒がしい方に戻ってきちまった。ガラス張りのきれいな建物があった。東京国際交流館だという。どんな目的の建物なのか、俺にはわからなかった。交差点の手前にデイリーヤマザキがあった。ここで食べ物を買う方が安全だろう、と考えて入ったが、サンドウィッチは高すぎたし、BGMのJ-POPが気持ち悪すぎた。きらきらだとかひらひらだとかオノマトペを安易に多用した偽善的で中身のない歌詞を、偽善的な曲に載せて偽善的な声の女が歌っていた。これはねえわ。さすがにねえ。苦笑しながら首を振り、なにも買わずに外に出た。交差点の高架の向こうに船が見えた。船の科学館だった。
スロープを降りれば潮の匂いが気持ちよかった。フェニックスの葉が風に鳴っていた。科学館を右に見上げながら走った。公園の先まで辿り着き、驚きの声が出た。対岸にライトアップされて立ち並ぶ、ガントリークレーンたちの佇まいが美しかったからだ。ガンダムよりこっちだ、と俺は思った。本当に美しい風景は、こちら側にあった。
波をすぐ左に感じながらゆっくりと走った。煉瓦のようなタイルが敷かれた走りやすい道だった。巡視船が低く唸っていた。彼方に雷が光っていた。見たことがない橋の先に、いつの間にか東京タワーが見えていたことに気がついた。自転車を停め、ふう、と息をつき、よきよき、と呟き、トイレに向かった。ようやく、尿をした。
トイレから出て、橋に向かった。カーブとアーチと照明が美しい、お洒落な橋だった。潮風橋というのだそうだ。橋を渡り始めてついに、ピンク色のレインボーブリッジが見えた。レインボーブリッジはいつどこから見ても美しかった。そして、この橋からの眺め、この橋との眺めも、新たなひとつの風景だった。よい橋だった。
潮風橋を過ぎたあとは、どこがどうとも考えずに走った。現実的な空間に近づいてきていることはわかっていた。騒がしく、下品で、愚かで、俗悪で、人間どもが蠢く空間だ。台場駅を過ぎて海浜公園に降りた。こちら側は蛇足のおまけだとわかっていた。屋形船がうろうろし、人間によく似た猿どもがキーキーと喚く空間を、強いて観光する気はなかった。喫煙所で一服だけはし、アクエリアスを飲み終えた。
残ったのは帰路だった。出発時には隅田川を上って帰るつもりだったが、もはや暗い川沿いを走る気もしなかったし、最短距離で帰りたかった。銀座に出ればいい、というイメージはできたが、まずはお台場を抜ける必要があった。レインボーブリッジはもう通れない時間だろうと思って却下し、感覚で走れば有明方面への道があった。橋の前の信号で止まり、馬鹿馬鹿しいマリオカートの群れを眺め、右後ろを見返り双子のタワーを見上げ、ふうっと息をついて走り始めた。
晴海通り、左が豊洲。東雲に行くよりはよいだろうと左に曲がり、電動キックボードの男女のあとを追うように、橋に向かって上がった。左にレインボーブリッジが現れた。東京タワーもスカイツリーも見え隠れしていた。名前はわからなかったが、明るくきれいな橋だった。東京の道は概ね快適だ。よく整備され、整然としており、明るく、安全で、美観に富んでいる。
橋を降り、豊洲市場を右にして走った。トラックが増え、魚の匂いがしてきた。真っ直ぐが木場、左が晴海、そして汐留。左に曲がった。汐留――銀座、有楽町、そして東京駅までの道のりが見えた。橋に上がった。豊洲大橋。もう一度レインボーブリッジが左に現れた。晴海埠頭、芝浦埠頭、豊洲ぐるり公園。橋の先にはまた知らないビルディングが増えていた。勝鬨橋はどこだっただろうか、と俺は考えた。
50号。長い橋を降りて少し走ればまた橋があり、さらに橋が現れた。築地大橋。来るのは初めてだった。紫系のグラデーションでライトアップされた、未来的なデザインのお洒落なよい橋だった。長い坂を下った。汐留のビル群が近づいてきた。
ジャンクションの下で渡り方に迷ったあと、海岸通りを行き、歩道橋を渡って昭和通りに入った。車道は自転車用レーンへの路上駐車で塞がれ、歩道は田舎者が道いっぱいに広がって歩き、一ブロックごとに信号で止められた。銀座だ。ブルガリ、カルティエ、世田谷ナンバーのメルセデス、恵比寿だ代官山だと気持ち悪い声で喋りながら歩くばばあども。ママチャリで走ると銀座が馬鹿馬鹿しく滑稽に思えることを、俺は知っていた。そんなに頑張らなくていいよ、気楽にいこうぜ、田舎者ども。ヤオコーでもベルクでも変わらねえよ。埼玉育ちのママチャリ野郎がこの俺だ。
日本橋に行くつもりはなかったから、鍛冶橋通りを左に入った。東京駅前では自転車を降りて押し歩いた。三宮、水戸、八戸、境町。田舎者どもがそれぞれの絶望的なド田舎に帰っていくようだった。あばよ、田舎者ども。東京は楽しいか? プラダの前でサドルに跨り、俺はまた自転車をこぎ始めた。
結局は飯田橋に出るしかないのだろうか。そんなことを思いながら外堀通りを首都高と平行しながら走った。前に違法な放尿行為をした公園はどこだっただろうか、と思った。あった。しかし今日は放尿をするつもりはなかった。尿意がなかった。なさすぎた。水分はすべて汗になったのだろう。
九段下には向かわず、本郷通りに折れてお茶の水に向かった。靖国通りに入って俎板橋を渡って飯田橋に向かうルートも考えたが、このまま本郷通りを行くことにした。新御茶ノ水駅を過ぎ、御茶ノ水駅を過ぎた。坂がだるく、荷物が重くなっていた。空腹の限界も近づいていたが、マクドナルドは重すぎた。
聖橋で神田川を渡り、湯島聖堂を過ぎて本郷通りは左に折れた。17号か、と俺は少し驚いた。このまま行けば浦和であり、大宮であり、熊谷であるはずだった。繋がった。本郷三丁目で春日通りに入った。254――繋がった。
「まいばすけっと」の文字に、それだ、と止まった。自転車を停め、ライトを消して外し、店内に入った。冷房で汗を冷えた。わさビーフとスナックサンドが気になったが、食べる面倒臭さから前者を却下し、スナックサンドをふたつ買うことにした。飲酒運転云々は関係なく、酒を飲む気はしなかった。選ぶべき飲み物はすぐに決まった。身体が求めているのは、濃厚なアサイードリンクだった。
ライトを籠の下に取りつけて、俺は再び坂を下り始めた。坂は右にカーブを始め、傾斜が強くなった。長い坂だった。下りながら、どこで飯を喰おうかと俺は考えた。路上で食べる気はしなかったし、多少の休憩がしたかった。帰路の真ん中で息を入れたかったし、池袋まで走るには充分に腹が減っていた。
カーブが左に戻り、坂が底に着く頃、正面に見覚えのある建物が現れた。デック付きの三十階ほどのビルディング。文京区役所か、と俺は少し意外に思った。シビックセンター、そんな名称だったはずだ。展望台には何度か来たことがあったし、向かいの公園の喫煙所を使ったこともあった。少し考えれば、まったく意外ではなかった。それはそうだ、と俺は思った。文京区役所はそこにそのようにあるべきだったし、あるよりなかった。交差点に辿り着いて左を見れば、そこにもやはりあるべきものがあった。ビッグ・オー。サンダードルフィン。東京ドームシティだ。
区役所の角で左に曲がった。丸ノ内線が高架ですれ違った。その向こうに東京ドームが見えた。自転車で上に上がれただろうか。俺は走りながら記憶とイメージを探った。答えはノーだった。高架下を抜け、Y字の歩道橋を潜り、東京ドームを右に眺めながらラクーアに沿って走った。観覧車とドーム前を繋ぐ空中歩道。渡りたいのはそれだった。せっかくだからいいところで飯を喰いたかった。観覧車の真下、三角形の区画の頂点に、ちょうどよい駐輪場があった。俺は自転車をラックに押し上げ、バックパックを右肩に背負って空中歩道への階段を上がっていった。
平和で静かだった。それが夜のこの場所だった。ドームも木々もライトアップされていて、きれいだった。俺は最良の視界を得られる場所を探しながら歩いたが、すぐに考えるのをやめた。ピラミッドの辺りでいいだろ。これ以上考える必要はなかったし、考える気力もなかった。低いベンチに腰を下ろし、バックパックを傍らに置いて、ジッパーを開けた。まずはアサイーだ。キャップを回し開けて口に運んだ。半分一気に飲んだ。疲れと渇きに甘く濃厚な果実味が沁みた。幸福だった。それから一袋目のスナックサンドを開けた。テリヤキチキン&タルタル。胃が驚かないように、ちゃんと噛んでゆっくり食べるように心がけた。
一袋目を食べ終わり、俺はぐったりと俯いた。考え始めたのは、九段下で働いていた頃の後輩のことだった。千葉県出身、明治の文学部卒業の、賢く善良な女子だった。いくつ年下だったかは忘れた。四つ、五つ、そんなところだろう。俺が辞めるから彼女が入ってきた。彼女もとっくに辞めているだろう。そういう職場だった。今でも変わっていないはずだ。共に働いたのは半年ほどだった。ニルヴァーナ、ロメオ、ムーン・パレス、カンボジアのクラブ、チーバくん、そんな平和な会話をときどき思い出す。十一年前。もう結婚はしているだろう。よい相手だといい。それから二袋目を開けた。ツナ&マヨ。膝に肘をついてもぐもぐと頬張りながら、いくらかある人通りを、ぼんやりと眺めた。
思ったより、と、俺はふと顔を上げた。思ったより、よい締めだ。疲れていたがそれなりに充実感はあったし、こうした「旅」が充分に可能であることを再確認した。訪れるべき場所を訪れ、辿り着くべき場所に辿り着いた。ここはよい場所だ。きれいだし、ほどよい。おし、行きますか。そう思って立ち上がった。そろそろ二十二時半になろうとしていた。
観覧車に向かいながら、もう一度彼女のことを考え、ふと左下を見た。そこにいるわけがないことはわかっていた。一度ぐらい仕事帰りに展望台にでも連れていってやればよかったのかもしれない。そんなこともぼんやりと考えたが、問いは結局こういうことになる。幸福なんだろうか。
階段を降り、形式だけの清算を済ませて自転車を回収した。回り込みながらHUBの店内を見上げれば、女たちがなにかを喋りながらメニューを眺めていた。店からはアヴリル・ラヴィーンが聴こえてきていた。旅の終わりにふさわしい曲だった。アイム・ウィズ・ユー。
通りに出た。254。このまま行けば川越か、すげえな、と俺は思った。254も繋いじまったぜ。ここから先はもう、迷う心配はなかった。俺は地形の先の池袋に向けて、ペダルを踏み込んだ。




