ロリだからママなのか、ママだからロリなのか
ロリだからママなのか、ママだからロリなのか。
誰もが知り、誰もが考え、誰もが思うこの言葉は人類の永遠の課題。
卵が先なのか、鶏が先なのかの疑問が解決しないように、この問題も解決することが出来ないものだ。
ロリを生むのはママではあるが、ロリはママであるが故に解決することが出来ない。
とても難しいが、諸君はどう思うだろうか?
え?その前に、お前は誰だ、と?
失礼、私の名前は善魯璃眞磨だ。
ロリだからママなのか、ママだからロリなのかを研究をしている。しがない一般人だ。
では本題に戻すが、諸君はこの問題をどう思うだろうか?
私は、この問題を解決するべきではないと考えている。
何故なら、ロリとは夢と希望が詰まった言葉であり存在であると考えているからだ。
夢を追うのも、希望を抱くのも結構だが、追い続けた先にあるものは何だろうか。
この問題の終着点は果てしなく、つまらないものだ。
そして問題を解決してしまえば、それは終わりを迎えてしまう。
勿論、解決出来た時の達成感は非常に喜ばしいものだろう。
だが、だがだ。その後は、どうだろうか?
ロリだからママなのか、ママだからロリなのかを議論し合っているこの瞬間こそが、真に我々が求めているものではないか。
解決した時、我々は本当の意味で満足出来るのだろうか。
私は否だと考えている、それ故に解決すべきではなく、人類の永遠の課題として残すべきだと考えている。
そうすれば誰もがロリを求め、誰もがママを求め、誰もが癒しを求め続けることが出来るのではないだろうか。
よく物語の悪役が、「今を続ければ幸せのままで居られるんだぞ!」と、言い主人公達は皆それに抗い、光で見えないのか、暗闇で見えないのかも判別出来ない未来に向かう。
私は悪役の言葉に共感出来るし、それでも良いと思う。
知らない未来が、怖いのではない。今が幸せなら、それで良いではないか。
どうして今以上を求めるのか、それは人間が強欲の罪を抱えているからだ。
罪は悪だ、悪を通すよりも他を通す方が良いのではないか?
悪でないならば、それは善だ。今を維持することが善なのなら、それは正しいことではないのか。
私は再度、問おう。ロリだからママなのか、ママだからロリなのか、と。
諸君らには、私の期待に応えてくれることを願っている。
他人に期待し願うこともまた、強欲。




