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花狼邸懺悔録  作者: 花狼める/成優
9/14

第九夜「狂信の庭」

鐘が鳴る夜。

祈りを捧げすぎて、神に見放された女がいた。


「救われぬ者などいない」――その言葉を信じ、

彼女はひとりの命を奪った。


そして、沈黙した主の代わりに

“灯を視る者”の扉を叩く。


だが、赦しの言葉が落ちた瞬間、

救いは炎に変わる。


祈りが腐る音。

灯が黒金に染まる夜。

鐘が鳴っていた。

だがそれは、遠くの教会ではない。

少女の喉の奥で、金属が転がるように響いていた。


雨が止んだ庭で、黒い修道服の女が立っている。

焦げた十字架を胸に抱き、包帯の下から血が滲む。


扉が軋む。

蒼銀の髪。異なる色の瞳。

狼の耳が、警戒の角度で伏せられた。


「……神ですか?」


めるは一歩、後退した。

言葉ではなく、本能が拒絶している。


「神ではございません。

ただ――灯を視る者でございます。」


女は微笑した。

その笑みは穏やかで、しかし狂気が潜んでいた。


「視えるならば、救えるでしょう。」


十字架を撫でる指に、焦げた皮膚がはりつく。

乾いた音。蝋燭の flame がひとつ細くなる。


──


「ひとりの子を癒やしたことがあるんです。」


女は語り始めた。

声が震える。けれど瞳は揺れない。


「彼は言いました。

『主に見捨てられた』と。」


祈りが、呪いになる瞬間。

めるは息を潜める。


「わたしは祈った。

『救われぬ者などいない』と。」


蝋燭が黒金に染まる。

めるの尾が、椅子の脚を抱くように縮む。


「彼は笑いました。

そして翌朝、冷たくなっていた。」


女は十字架を持ち上げた。

焦げた金属がじゅ、と音を立てた。


「救いは届いた。

……そう信じて逝ったんです。

でも、主は沈黙したまま。」


めるの視界に、色がなかった。

世界は音と温度だけになっている。

視えない。

それなのに、灯の熱だけが刺すように感じられる。


胸の奥で何かが疼いた。

(救われぬ者など、いない)


誰の声だ?


めるの耳が震える。

音が内側から聞こえた。


──


「あなたなら、奪われた灯を戻せる。」


女は祈るように手を伸ばした。

黒金の灯が、掌で脈打つ。


「私の罪を赦して。

そして――彼を救って。」


めるは指先を机に押しつける。

そこに落ちた煤が、皮膚に食い込むように熱かった。


言わねばならない。

救いの言葉を。

灯を与える言葉を。


だがその衝動は、

慈悲ではなく快楽だった。


「……あなたの罪を、赦しましょう。」


瞬間、黒金の炎が広がった。

床を這い、壁を汚す。

光ではなく、汚泥の輝き。


女が歓喜に震える。


「これが……救い!

なんて、美しい……!」


めるの尾が暴れる。

椅子を引きずり、爪が木を裂く。

本能が叫んでいる。


――逃げろ。

――触れるな。

――汚れる。


「違う……それは……灯では……」


声が喉で崩れた。

言葉が狂う。


黒金の煤が天井から降る。

蝋燭が苦悶の音を立て、爆ぜた。


視界が闇に沈む。

灯が死んだのではない。

灯を視る“器官”が壊れた。


めるは震える唇を押し開く。


「……あなたの灯は、まだ消えておりません。」


その声は、救いではなかった。

息を引き延ばす呪い。

離さないための鎖。


女は恍惚のまま、十字架を抱えた。


「主よりも、あなたを信じます。」


その言葉が落ちた瞬間、

めるの耳が深く伏せられた。

恐怖が形を持つ。


扉が閉まる。

黒金の煤だけが、呼吸をしている。


──


めるは膝を抱え、椅子に沈んだ。

指先の黒い染みが、じわりと皮膚に広がる。


(救われぬ者などいない)

(救われぬ者などいない)


内側で、声が増えていく。

これは、祈りではない。

感染だ。


彼は壁を触る。

煤の感触。

温かい皮膚の感触。


「……救いは、どこにありますか。」


答えはなかった。

ただ、黒金の炎の残り香だけが、静かに嗤った。


灯はまだ消えていない。

だがそれを燃やしているのは――

める自身の狂気だった。

この夜は、めるが**「神の座」に触れてしまった夜**です。

他者を赦す快楽、救済という欲。

それは最も危うい“信仰”の形でした。


黒金の炎、焦げた十字架、そして感染の声。

それらは、めるの内に巣食った誤救済の証。


第二章「奪われし灯」はここで閉じます。

救う者が堕ち、救われぬ者が笑う。


これからは“救いの神”が自らの灯を

失っていく過程を描きます。


彼の声は、もう祈りではなくなる。


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