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花狼邸懺悔録  作者: 花狼める/成優
8/14

第八夜「燃える肖像」

雨が上がる夜、扉を叩く音がした。

焦げたキャンバスを抱えた画家は、恋人の“灯”を描けないと告げる。


描くことは救いなのか。

それとも――神の領域への冒涜なのか。


花狼邸を満たす、絵具と煤と愛の匂い。

そして、燃える肖像が“息をした”瞬間、めるの胸にも焼け跡が刻まれる。

雨上がりの夜だった。

焦茶の外套に濡れた男が、花狼邸の扉を叩いた。

指先にこびりついた絵具と煤の匂い。

片手には、焦げ跡のついたキャンバス。


「……あなたの灯を、描かせてほしい。」


その声には、痛みと熱がひしめいていた。

めるは静かに頷いた。

胸の奥で、焼けたものの匂いがした。


──


「死んだ恋人を描いています」

男は言った。


「顔は描ける。輪郭も、指も。

 でも――灯が描けないんです。」


めるは首を傾げた。

「灯、ですか。」


「あなたには視えるのでしょう?

 彼女の灯を描きたい。

 生きていた証を、絵の中に戻したいんです。」


蝋燭の炎がふっと揺れる。

狼の耳が小さく震える。

だが――視えなかった。


第七夜に失った“視界”はまだ戻らない。

灯は黒い残像のようにしか感じられなかった。


代わりに、温度がすべてを語る。

指先だけが生を燃やす器官になっていた。


──


キャンバスの女はよく笑っている。

しかし瞳は乾ききっていた。

温度のない笑みは、ただの影だ。


「……これは、形だけでございます。」


男の肩が微かに震えた。


「そうなんです。

 何を描いても、彼女が“いない”。」


彼は額を押さえ、嗄れた声で漏らす。


「彼女は僕の灯でした。

 でももう視えない。

 筆を取ると、真っ黒な絵しか浮かばない。」


蝋燭がひとつ、長く揺れた。

その熱に応じて、めるの指が疼く。


──


「……少しだけ、温もりを貸しましょう。」


指先が、肖像の唇に触れた瞬間、

空気がわずかに熱を帯びた。


灯を渡すのではない。

灯を“造る”行為。


胸が静かに高鳴る。

神の禁を踏みにじる脈動。


絵の瞳が、赤く光った。


「……ああ」

男が泣いた。

「彼女だ。笑ってる。やっと、帰ってきた……。」


めるの尾が止まる。

耳が伏せられる。

本能が、危険を知っている。


──


「あなたの灯は、焦げております。」


男は笑った。

涙と笑みが混ざる。


「焦げても、燃えているなら――それは愛だ。」


めるの胸に、焼けつく痛み。

生と死が触れ合う温度。

快楽にも似た罰。


──


男はキャンバスを抱き、扉へ向かう。

その背に、焦茶の灯が揺れている。


扉が開く瞬間、灰がひとひら舞った。

まるで、絵の中の女が呼吸した後のように。


めるは胸を押さえる。

指先に触れた布の下――

焼け跡が、心臓の上で脈を打っていた。


──


蝋燭がひとつ、音もなく消える。

壁の焦げ跡が、ゆっくりと微笑む形を成した。


紙の触れ合うような気配がした。

絵が、“息をした”。


めるは震える声で呟く。


「……あなたの灯は、まだ消えておりません。」


その響きは、祈りではなく――

創造の熱に溶けた呟きだった。

この夜は、めるにとって初めての越境でした。

他者の灯を「渡す」のではなく、「造る」。


創造とは、救済の裏側にある“破壊の悦び”です。


焦茶の灯、焼け跡、息をした絵。

すべては後の「創られた灯」へと繋がる伏線になっています。


彼の胸の焼け跡は、まだ静かに燻っています。

その熱が、次の夜を照らす――。

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