過去
それは十二歳の冬至の日だった。
澪は氷姫としての禊をするために北嶺に向かった。
北嶺には玄安の地を守る氷姫の廟があり、近くには冬でも凍らぬ滝があった。
廟から続く石敷きの階段を降り、澪は滝のそばに寄った。
滝が落ちてくる崖ははるかに高く、先端からは水が勢いよく落ちてくる。
雪がちらつく中、白いあぶくが立つ川に入った。
身体の芯まで凍りつきそうな冷たさに、澪は歯の根も合わぬほど震える。
それを堪えて川を進んでいるとき、水が盛り上がって妖魔に変じた。
澪の背丈よりも脚長の妖魔だった。人間の姿をしているが、焦点の合わない目をひっきりなしに動かしている。
恐怖に凍りついた澪に、集った人が口々に言う。
『氷姫、お守りください!』
『我らをお助けください!』
澪は心臓を掌で押さえ、己に宿る力を集めようとした。
妖魔を捕縛する氷の網を生みだそうとした。
できるはずだった。澪はかつて妖魔を捕えたことがあったから。
けれど、氷の網は生まれなかった。
糸の片鱗すらあらわれる気配がない。
妖魔は眼球をぎょろぎょろと動かしながら、澪の横っ面をはたいた。
澪は水の中に倒れ、混乱の極致に陥る。
空気を求めて頭を出そうとしたが、妖魔は澪の胸のまんなかを無造作に踏んづけた。
溺れ死ぬと思ったとき、妖魔の脚から力が抜けた。
もがきながら顔を出し、呼吸をして必死に肺に空気を入れる。
目の前には、氷の網にとらわれ、水の中に倒れた妖魔がいる。
岸に立ち、その網の先端を握っているのは涼だった。
涼は冷ややかに微笑み、澪を見つめている。
流は顔をしかめ、銀子は唇を歪めて笑う。
周囲の澪を見る目にも、侮蔑が浮かんでいる。
澪はそのとき悟ったのだ。自分は氷姫ではなく、ただの役立たずだということを。
あの日以来、ずっと心が痛い。無数の針に刺されたように、千々に裂かれたように。
どうやってその心を癒していいのか、五年経ってもわからないままだった。




