朱夏の当主2
騒動のあと。
真新しい畳を敷かれた玄安家の座敷に、ひとりの青年が通された。
分厚い座布団の上に端座し、青年――煌貴は炎色の瞳で床の間に飾られた掛け軸の画を睨む。
薄青色の打掛を着た女が、土蜘蛛を捕えている画である。女の手からは糸を編んだような網が放たれ、土蜘蛛はその網に拘束されている。
――玄安家の氷姫か。
北を守護する玄安家の巫女姫は、氷雪を自在に操り妖魔を封じると言われている。
美人画の様式で描かれた氷姫は、細い目に桜貝のような唇をした手弱女で、妖艶な雰囲気をかもしだしている。
「待たせたな」
衣擦れの音と共に入ってきたのは、玄安家の当主である。
彼はひとりの娘を伴っていた。束髪の愛らしい娘は、しおらしくうつむいている。
その娘と並んで座ったのが、玄安家の当主である流だ。
皺の刻まれた顔は四十を超えているようだが、若いころはさぞ女に言い寄られただろうと想像できるような色香の漂う美男だった。
流は両袖に腕を突っ込み、無遠慮に煌貴を眺めた。
「……夏至祭で朱夏の当主と認められたと聞くが、本当に君が当主か?」
「はい」
流はしげしげと煌貴を見て言う。
「正直、信じられんな。君の名を聞いたことがない」
「俺は秘蔵っ子でしたので」
「ほう」
流は皮肉げに唇を歪めた。
おおかた、先代がどこの誰に産ませたかわからぬ分際でと考えているのだろう。
実際に口に出さないだけ、流はさすがに名家の当主らしい慎重さを兼ね備えているようだ。
「それで、いったい何をしに我が屋敷に来られた」
「当主が変わった旨のご挨拶を。それと、主上から玄安の地を視察してこいと命じられましたので」
「ああ、朱夏家は主上の護衛だからな」
流は鼻を鳴らした。
「玄安の地には何も問題はない。主上にはそう伝えよ」
「妖魔が昼間から徘徊するというのに?」
煌貴が皮肉を言いつつ頬を持ち上げると、流は眉を寄せた。
「……たまたまだ」
「北の結界が甘いことを主上は案じておられます。玄安に何か不測の事態が起きているのではないかと」
「つまらない推測は遠慮してもらいたい」
流はぴしゃりと言い放つ。
「玄安の地は平穏だ。主上にも朱夏にも心配されるいわれはない」
「ならばよいのですが、この目で見たからには、原因を知りたく存じます」
煌貴は流に視線を据える。
「このまま都に帰り、何もなかったとご報告するわけにはまいりません」
「……融通がきかないな」
「融通とは目をつぶれという意味ですか?」
煌貴がたずねると、軽やかな笑い声が響いた。
「ご当主はまじめな方ですのね」
流の横に置物のように座っていた娘は、ひとしきり笑ったあとに目を細めた。
「それにとてもお強いとお見受けしました。妖魔を一太刀で仕留めてしまったとか」
「……たいしたことではない」
娘は、顔は人形のように整ったかわいらしい顔立ちをしているのだが、爛々と光る目が不気味だ。
「うらやましいことですわ、本当に」
「氷姫」
流がきつく呼ぶと、娘は押し黙った。
――この娘が氷姫?
煌貴は内心で首をひねる。
彼女からは氷姫と崇められるほどの力を感じない。
護国四家の者たちは、妖魔を封じ、あるいは倒す力をそれなりに有していて、互いに感応しあうものなのだが。
「お父さま、ところで……」
氷姫が意味深なまなざしを向ければ、流が大きくうなずいた。
「ところで、ご当主に折り入って頼みがある」
「頼み?」
煌貴が内心で身構えると、流は氷姫と煌貴を見比べた。
「ご当主と氷姫との婚約を所望する。ふたりが結婚すれば、帝の役にも立てるかと思うが」
煌貴は氷姫を凝視した。
彼女は穏やかに微笑んでいるが、それは本心を隠す仮面のように思えてならない。
「……なるほど、おもしろい話ですね」
煌貴が慎重につぶやくと、流は上機嫌に身を乗り出した。
「だろう?」
「しかし、俺はまだ若輩の身です。妻を娶るには、不足が多すぎるかと」
「そんなことはあるまい。貴殿は競争相手を退けて朱夏の当主となった身だ。正直、うらやましいくらいでな、あなたのような能力の高い跡継ぎを持てた朱夏の先代が」
流はからりと笑うが、本音と受け取るには疑わしい。
氷姫もにこやかに付け足す。
「わたくし、強い方が好きですの。そういう方の伴侶となってお支えしたいものだと考えておりますのよ」
「お聞きのとおり、氷姫は賢い娘だ。どうだろうか」
煌貴は流と氷姫を見比べる。
正直、面倒に巻き込まれそうだという嫌な予感しかしない。
――ただでさえ、調べなくてはならないことがあるというのに。
玄安の地にはおかしなことが多すぎる。
原因を見極め、解決の糸口をつかむのが煌貴の役目だ。
「……考えさせてください」
煌貴はゆったりと微笑みつつ言う。このふたりに、煌貴の真意をさとらせるわけにはいかなかった。
――話を聞く必要がある。
玄安の地を知る人間から。
ふと煌貴の頭をよぎったのは、先ほど荷物のように運ばれた娘である。
哀れな娘だった。護国四家に生まれても、無力で存在価値のない人間は、ゴミと同じ扱いをされる。
――俺もああなるかもしれなかった。
煌貴もかつてはなんの力もなく、ただ生かされているだけの人間だった。
それが変わった――変えたのは、煌貴の意志である。
何をしてでも灼刀を手中にするという信念が、煌貴を当主にした。
――あの娘も俺のようになるというなら。
彼女と話をしなければならない。どんな選択をするのかを知りたい。
煌貴は内心の決意を隠し、人当たりのよい笑みを浮かべ続けた。




