北嶺2
翌日、三人は氷姫の廟に向かった。
廟は澪の小屋から東へ一山越えた先にある。
麓から行けば一日半はかかる距離で、山中に泊まる必要がある。澪が住んでいる小屋は、廟へ向かう者が宿泊するときに使う小屋だった。
秋だというのに、歩いていると汗が吹きでる。獣道で足元は安定しておらず、廟に着くころには疲労困憊していそうだ。
あと少しで氷姫の廟というとき、木々の間を抜けるようにして急な山肌を滑り下りてくる男児を見つけた。
――あのときの。
妖魔に襲われていた子である。
彼のあとを鳥の妖魔が追っていた。鷲か鷹に似た姿をして、輝く金の瞳を持つ妖魔は、赤々とした炎をまとっている。羽ばたくたびに火花が飛び散った。
「金烏だ」
煌貴は目を爛々と輝かせた。
「こっちにこい!」
煌貴が男児に呼びかける。男児はあわてて煌貴たちのもとに飛び込んできた。
金烏は羽ばたきながら突っ込んでくる。
煌貴は灼刀を左掌から抜くと、金烏を一刀のもとに斬り伏せた。
金烏は高い悲鳴をあげながら地面に落ちる。煌貴は崩れていく金烏を拾い、口に押し込んだ。嚥下する姿を見ながら、澪は唖然とした。
「……ご当主さま、食べたの?」
男児が煌貴に質問する。おびえたような表情だ。
「食べたというか、炎を補充した」
煌貴は平然と言う。
「炎を補充した?」
「体内に熱と火がないと、灼刀を保持できない。刀が力を失うんだ」
煌貴は当たり前のように説明する。
澪は息を呑んだ。
「そんな……」
「妖魔は純粋な気の塊。飲み干せば力を宿せる。俺は力が必要だから」
澪は目を細めた。煌貴の強さがまぶしい。
「……わたしも、妖魔を食せば強くなれるのでしょうか」
「やらないほうがいい。実害がありすぎる」
煌貴はそう言うと、肩にかけていた水衣に触れる。
急ごしらえの水衣だが、効果はあるらしい。
やさしい手つきで撫でている姿を見ると、織ったのは正しかったと思うのだ。
「おまえの名を聞いていなかったな。ここでいったい何をしているんだ?」
煌貴がたずねると、男児は手に握っている花を見せた。
氷雪のように真っ白な花である。
「桐人。これを氷姫さまの廟に供えると、妹の病気が治るって聞いた」
「きれいね。妹さんも喜ぶわ」
澪は大きくうなずいた。
桐人の思いがいじらしく、本気で病気が治ってほしいと思う。
「妖魔に追われたのは?」
煌貴の質問に、桐人は恐怖を思い出したのか、身震いしてから小さく答えた。
「花をとっていたら、襲われた」
「氷姫の廟があるなら、このあたりは神域だろうに、妖魔が出るのか」
煌貴は眉をひそめて嘆息する。
「やはり結界にほころびがあるとしか思えない。帰ったら、当主に訊く必要があるな。結界の管理がどうなっているのかを」
「……妖魔って出てこないものなの?」
桐人が目をぱちくりさせてたずねる。
「まったく出現しないということはない。結界のどこかしらに薄い部分が生じて、その隙間を縫って侵入する妖魔はいる。しかし、神域では珍しい」
「では、結界が張られていないのでしょうか?」
澪がたずねると、煌貴は首を横に振った。
「……うっすらとは感じられるがな」
彼の返事にもどかしくなる。
澪にも力があれば、結界の存在を感知できるのだろうに。
――どうしてわたしには力がないのだろう。
昔はあったのだ。妖魔を封じる力が。
けれど、五年前の冬至の日には何もできなかった。
氷雪の網を生み出せなかった。
――何があったのだろう。
あの日、あのときから力を失ったというのか。
――思い出して。
五年前に起こったできごと。冬至の前後のことを。
――緊張のあまり、わたしはひどい熱を出した。
あのころは銀子も澪を拒否することなく、夜通し看病してくれた。
『鍼灸はどう? とても効くのよ』
白楊家は金属を操る力を持っている。鍼治療もお手のものらしい。
澪は鍼を打ってもらった。それから、ひどく身体が軽くなったのを覚えている。
それなのに、澪は氷雪の網を編むことができなかった。
「では、廟へ行こう。離れないようにしろよ」
煌貴は桐人に言い聞かせている。
桐人はうなずいたあとに、澪を見つめ、頭を下げた。
「……この間はごめんなさい」
まっすぐな謝罪が胸を打つ。
「あのとき、俺を助けてくれて、ありがとう」
「……いいのよ。当たり前のことだもの」
涙をこらえてうなずく。桐人の気持ちがうれしくてたまらなかった。
煌貴がふっと口元をほころばせて肩に手をのせてくる。
「澪の勇気は尊い」
「……ありがとうございます」
澪は素直に受け止める。
あのとき、無我夢中で石を投げたけれど、それは正解だったのだと思える。
「ともかく廟に参りましょう。妖魔の出現と廟に関係があるのか調査をしなくては」
白燕が促す。確かに、山は日が暮れるのが早い。のんびりしていたら、あっという間に暗くなって身動きができなくなってしまう。
「まっすぐいった先に二股に分かれた道があるんだ。右側を行けば廟につくよ」
桐人が得意げに教えてくれる。
澪たちは微笑ましい気持ちでうなずくと、歩を進めた。




