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平和な日常

ところで、船の入浴といえば海水浴である。波の穏やかな日に船を止めて海に飛び込むのだ。

仲間たちが気持ちよさそうに泳いでいるのをリナも何度も目にしていた。

天気の良い、暖かな日だった。


歓声と共に水飛沫があがり飛び込んだ男が頭を出す。

その周囲で泳いでいた者たちが、ちょうど甲板から顔を出したリナを何気なく誘った。

「嬢ちゃんも来いよ」

「気持ちいぜ」

リナはその誘いあっさり乗った。少し下がって重たい上のドレスを脱ぎ捨てた。白衣の身軽な中間着になると、わああああああと無邪気に甲板を走り抜けぽんっと踏み切った。

端で見ていたレオは半信半疑で側に立つキースに聞いた。

「・・・泳げるんだっけか?」

「さあ・・・、私がお仕えしていた頃にはそのような話は何も・・・」

その後練習して泳げるようになったのかもしれませんと継ぎ終わる前に、男の姿は甲板から消えていた。

ざぶんっと勢いよく波が立つ。

やがて、腕にリナを抱えた男が浮かび上がってきた。

男の腕の中でリナはゲホゲホと咳き込む。

「う、浮かんではないか!」

「当たり前だ!泳げん奴が飛び込むな!」

「水が、水がいっぱいで息が少しもできない!」

「当たり前だ!水ん中だからな!」

あほみたいなやりとりをしながら船体に滑らせた縄ばしごに寄ってくる。

斯くして、キースのお説教と相成った。

因みに初めてこの光景を見たレナは、甲板の戸口から頭だけ出し、飛び込んでいく男たちを恐ろし気に見つめていた。


みんな楽しそうにしていたし、みんな浮いていたから自分も浮くと思ったのだと言う。

全員頭を抱えたくなった。

大判のタオルでミレイに頭からごしごしと擦られ粗方の水滴を拭い取られたリナは、シーツに包まって部屋の隅にちんまりと腰かけていた。

「すまぬ・・・皆に心配をかけた」

神妙な面持ちで目を伏せる。

双子を見れば、リナの方が大胆で、レナの方が怖がりで慎重である。いつも率先してやるのはリナで、レナは確信が持てないことには手を出さない。姉の失敗を傍目で見ていたレナだからこそ慎重になったのであろう。


いつもは大人ぶっているくせにときどき何もかも吹っ飛ばす大胆な行動に出て周囲を驚かせ、でも持ち前の育ちの良さでするりと懐に潜り込まれ、仕方ないなと許してしまう・・・。

離れたところで行方を見守っていた男がクックックッと小さく笑っていると、じろりとキースの目が飛んだ。

「あ、いや、何でも・・・」

表情を誤魔化そうと顔を覆うその手の口元が、もう笑いを堪えきれていない。

後先をよく考えて、もう小さな子供ではないのだから、とキースのお説教を昏々と聞くことになった。その姉に、レナは最後まで付き合っていた。



よく見ているなとは思っていたのだ。

双子がいる時によく一緒にいるのを見かけたから船に慣れないレナを気にしてくれているのかと思っていた。が、よくよく注意して見れば二人でいるところにレナがやって来るのだ。

狭い船内とは言え、親密とも言える距離をリナの方は気にしていない様子。

レナが合流するとちょっと体を開けて入れてやり、双子ごとちょろっとからかってあっさり離れていく。

「なんであんな軽いやつが頭目なんだ。リナの方がよっぽど」とぶつぶつとレナが言えばまあまあとリナが宥める。「悪いやつじゃないぞ。それにここはレオの船だからな。すごく早いんだぞ?風を受けて走るのを見たことがあるか?今度海に出た時には見せてやりたい」などとレオの肩を持つようなことを言うからレナは面白くなそうにしながらリナに着いて通路を行く。

対人関係ではやはりまだリナの方が上手の様だ。交渉経験の少ないリナはすべて真に受けて受け取ってしまい、うまく受け流すいうことをまだ知らない。


レナが来た日は宴となる。レナが船に来るときは、必ず従者にお土産をいっぱい持たせている。乗車賃のつもりらしい。護衛の兵たちも交えて小宴会だ。外の世界の初交流の相手としてはお行儀がいいとは言い難い連中ではあるが、まあこれも経験だろう。

「あ、お前酔っているな。酔っているのなら部屋に帰って休むがいい」

ふたりして果実水に一滴二滴アルコールを垂らしてもらって大人の仲間入りをしているところへ、レオが割って入って絡んでいた。

「さーけを飲んだこともないお子様に酔ってるなんざ分かるかよ~」

「分かる!父様は酔っ払うといつも母様や私たちにべたべたとつくっついて最後には寝てしまうのだ」

酔ってなどいない。この男の酔っ払った所など乗船以来見たことがないのだ。

(一体に何を考えているんだか・・・)



「まーたあのおっさんか、懲りねえなあ」

郵便室から紙の束を抱えて出て来たリナの腕から、見慣れた柄の封筒を摘まみ上げた。大商人からリナへの求婚の手紙である。金持ちではあるし、商売もきれいなもので何も言うことはないのだが如何せんそのお相手に問題があった。大商人は自分のひ孫とリナを結婚させようというのである。花婿殿はまだ3歳であった。ひとまず婚約を済ませたいという申し出に断りを入れてはいるが、諦めずこうして何度も願い出てくる。

「気の早いことで」

「まったくだ。私にはまだ早い」

聞き捨てならぬ、とレオは眉を寄せた。

「ちょっと待て、お前はいくつだって?」

「もうすぐ16だ。」

「・・・・・・」

この箱入りに噛み砕いて説明してやらねばならなかった。

「いいか、お前だっていつかは結婚するわけだ。そん時にまともな男を選べるように、お前は今から練習しておく必要がある。間違ってもボンクラへらへら三男坊を選ばなくていいようにな。苦労するぞ」

「・・・そうか」

今、初めて思い至ったという顔をしたリナにレオはしっかりと頷いた。

「そうだ」



珍しくトントンとドアが鳴った晩。訪れたのは難しい顔をしたレナだった。追い返すわけにもいかず部屋へ通す。特に案内することもなくリナがベッドの端に腰を落ち着けると、キースは向かいのテーブルの椅子に座った。レナ神妙な顔つきで話を切り出した。

「・・・最近、なにかあいつが変なんだ」

レナにあいつなどと呼ばれる人物はひとりしか思い当たらない。

「レオですか?」

こく、とレナは頷く。

「・・・姉様とふたりでこそこそしてるみたいなんだ」

「こそこそ・・・ですか」

レナの話によれば、リナを探して船内をウロウロしていると、ちょっとしたところでよく二人で立ち話をしているのを見かけるという。大抵ふたりきりだそうだ。

「内緒話をしてるみたいなんだ。だって、顔がこーんなに近いんだ」

と言ってキースのすぐ目の前まで近づいて見せた。

「あ、はい。・・・なるほど。それで貴方を仲間外れにしている、と」

「・・・外れにはされてないけど、わたしが近づくとあいつはちょっとだけ邪魔そうな顔をするんだ」

ほんのちょっとだけだぞ、とレナを念を押した。

ふむ、・・・なるほど?

ここからレナの推測はキースのそれから斜め上に大きく逸れた。

「・・・あいつ、姉様を独り占めしたがってるんだ。姉様と一番仲がいいのはわたしなのに」

・・・ふむ、なるほど?

レナの訴えはあいつが姉様を独り占めしないよう協力してくれ、とのことだった。

ふむ、やぶさかではない、が・・・。

言い終えてすきっりして帰る気でいるレナに、御目付係よろしく言い渡した。

「夜に男の部屋をひとりで訪れてはいけませんよ。淑女の振舞いに相応しくありません」

「・・・キースでも?」

「私でも、です」

必ず供の者を付けるように。供を連れていても部屋の中にまで入ってはいけません。用件は手短に戸の外で。大事なお話なら翌日の明るいうちにお部屋にお呼びしなさい、と。

リナの部屋の前まで送り、ドアの向こうに姿が消えるまで見送った。ミレイが頭を下げ申し訳なさそうにドアを閉めた。ミレイは元リナ付の侍女であったが、キースは爵位のある家柄なので身分においてはキースが上であることの名残である。


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