花占いの記録は、誰かが意図的に消した
王宮の奥、祭事魔術の管理室。
重ねられた巻物と魔道具の中で、若い神官見習いが震える手で帳簿を握りしめていた。
「……ない……やっぱり……記録が、消えてる……」
花占いは、魔力を感知する特殊な水晶盤を使って行われる。
術式は精密にして自動記録。鑑定結果は必ず魔術帳に転写され、追跡可能なはずだった。
なのに――ティナと王子を結んだ記録だけが、どこにも存在しない。
(ありえない……意図的に削除された? でも、そんなこと……誰が……?)
そこへ、神殿の裏から音もなく現れた黒衣の人物。
フードの奥に光るのは、理知的で冷たい双眸。
「君、その話を誰かに?」
「い、いえ! まだ、誰にも……!」
「ならよかった」
男は淡々と返し、ひとつの小さな袋を差し出した。
中には金貨と、魔術を封じる“静音のルーン”。
口止めと、記憶を封じる代償だった。
「王族には、ふさわしい血統があるべきだ」
男は言った。
「無粋で地味で、誰にも注目されない女が、花冠の儀式に立つなどあってはならない。
あれは――見間違いだ。占いの“誤作動”だ。そう、しておかねばならない」
一方そのころ、ティナは王宮の温室で黙々と仕事をしていた。
花冠の儀式が終わってからというもの、彼女の周囲には人が増えた。
魔法師、研究者、貴族の娘たち――皆、彼女の魔法に興味津々だ。
「どうやって開花タイミングを制御してるんですか?」
「魔力の波をどうやって個体ごとに振り分けるの?」
「花粉だけを止めて花は咲かせるって、どういう……!」
質問の嵐。だがティナは、いちいち論理的に答える。
彼女にとっては、ただの研究結果を共有しているだけ。
だが、それがまた周囲を驚かせ、尊敬を集める。
今や、“第一王子の相手”というだけでなく、“王国随一の植物魔導士”として名が知られつつあった。
だが。
「……気持ち悪い」
ぽつりと呟いたのは、ティナ本人だった。
「誰かが“評価”をくれるたびに、私の“本質”が遠ざかっていく気がする。
私が欲しいのは、こんな……拍手でも、賞賛でもなくて……」
ふと、胸元に残された王子からの花冠を見つめる。
今朝も、レオニスから手紙が届いていた。
君に出会ってから、花の見え方が変わった。
恋というのは、もっと混沌としてるものだと思ってた。
君は、違った。君は、“選べる”。
だから、僕も選びたいんだ。君を。
ティナはその文を読み返し、ぎゅっと目を閉じた。
「…………ずるいな、王子」
自分の中に、確かに芽吹き始めた感情がある。
研究でもなく、成果でもなく、魔法でもない。
ただ“誰かの言葉”に揺れる、この感情――
それは、彼女が生まれて初めて認識した、“恋”の気配だった。