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白い結婚のはずが、年の離れた辺境伯様に毎日愛を囁かれ、過保護なほど溺愛されています  作者: 秋月アムリ


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6.心の一歩

 ゲオルグ辺境伯様の甘さの理由を探る日々は続いた。彼の言動を観察し、過去の断片に触れるほど、彼の行動や言動が単なる気まぐれや表面的なものではないことを感じた。


 それは、彼の生き様や孤独に深く根差した強い願いの表れではないか。そして、その対象に私が含まれているのかもしれないという推測は、日ごとに現実味を帯びていった。


 彼の私への甘さは、相変わらず止めどない。執務室での僅かな休憩時間にも私を呼び寄せ、蜂蜜入りの紅茶を共にする。私が庭の花に目を留めれば、後でその花に関する書物を部屋に届けてくれる。


 私が少しでも難しい顔をしていれば、「何か気に病んでいるのか」と、どこか不安げに覗き込んでくる。その全てが、私を大切に思っている証のように感じられた。



 *



 辺境の冬が近づき、空気が一段と冷たくなった頃のことだ。辺境伯領の騎士団の定期演習を、城の敷地内にある訓練場で見学する機会があった。


 彼は騎士たちに指示を出し、自らも訓練に参加することもある。その姿は、城内で私に見せる甘さとはまるで違う、厳格で、一切の妥協を許さない辺境伯そのものだった。張り詰めた空気の中、彼が剣を振るう姿は、力強く、そして息を呑むほどに美しかった。


 演習が終わり、騎士たちが解散していく中、彼は一人、訓練場の片隅で剣の手入れを始めた。その横顔には、わずかな疲労と、そして深い思索の翳りが浮かんでいるように見えた。


 多くの家では使用人が行うはずの手入れを、自ら行うゲオルグ辺境伯様。それは、彼にとって、剣が単なる武器ではなく、辺境伯としての責任、守るべきもの、そして共に戦ってきた同志のような、特別な存在なのだろうと感じた。


(ゲオルグ辺境伯様……)


 その背中が、どこか孤独に見えた。辺境を守るという、誰にも代わることのできない重責。その孤独な戦いを、彼は一人で続けてきたのだ。いつも私に見せる甘さや過保護さは、もしかしたら、この孤独を癒すための、彼なりの方法なのかもしれない。


 私は、衝動的に彼の元へと歩み寄った。彼に気づかれないよう、そっと。


 けれど私の隠密など、彼にはお見通しだったようだ。すぐに足音に気づいた彼が振り返った。その翠色の瞳が私を捉え、一瞬、驚きに見開かれる。そして、すぐにいつもの優しい光が宿った。


「エリーナ? どうした。こんなところで」


「……訓練、お疲れ様でした」


 絞り出すような声だった。何を言えばいいか分からず、ただその言葉だけが口から出た。


 彼は、私の言葉にふわりと口元を緩めた。訓練中の厳しい表情とは全く違う、穏やかな笑みだ。


「ああ、ありがとう。見ていてくれたのか」


 そう言って、彼は手入れをしていた剣を置き、私の手を取った。その手は剣を握っていたためか、いつもより少し硬く、冷たい。しかし、私を包む力は優しかった。


「寒いだろう。中へ入ろう」


 彼は私の手を引いたが、すぐにその場で立ち止まった。そして、私の瞳をじっと見つめる。


 午後の日差しの中で、彼の翠色の瞳が、深みを増した緑色に輝いている。そこには、いつもの温かさ、甘さ、心配……そして、私が父性として片付けられなくなっていたあの熱が、はっきりと宿っているように見えた。


 沈黙が流れる。辺境の冷たい風が、私たちの間を吹き抜けていく。彼は、私の手を取ったまま、何も言わない。ただ、見つめている。彼の瞳の中で、私自身の顔が赤く染まっていくのが分かった。


(この……この熱は……)


 私に向けてられている。彼は、私を……


 彼が、もう片方の手で私の頬に触れた。その指先が、私の頬を優しく撫でる。訓練で少し煤けた、武人の手だ。でも、その触れ方は、信じられないほど丁寧で、慈しみに満ちていた。


「エリーナ……」


 掠れた声で、私の名前を呼んだ。その声には、辺境伯としての威圧感も、武人の無骨さもない。ただ、私という存在に対する、どうしようもないほどの切望と、深い愛情だけが宿っているように聞こえた。


 彼の瞳が、私の唇へと向けられる。息が止まる。


(……来る……)


 体から力が抜けていく。逃げることも、拒むこともできない。……そうじゃない。拒みたくない。


 彼が、ゆっくりと顔を近づけてきた。辺境の冷たい空気の中で、彼の体温だけが、急速に私に迫ってくる。


 そして、私たちはそっと、唇を重ねた。


 彼の唇は柔らかく、そして信じられないほど温かかった。それは、確かめるような、そして深い愛情を伝える触れ方だった。辺境の冷たい風も溶かしてしまうかのような、甘く、長い口づけ。


(ああ……これは……)


 これは、夫婦の触れ合いだ。白い結婚ではない、本当の夫婦の愛情の形だ。


 触れ合ったところが離れた後も、彼は私の顔を両手で包み込んだまま、額と鼻先に短いそれを落とした。そして、私の額に自分の額を押し付けた。まるで、私の存在全てを、その身に刻み込むかのように。


「ずっと……君に触れたかった」


 震える声で、彼は囁いた。訓練中の厳しい顔とはまるで違う、安堵と、そして抑えきれない愛情に満ちた声だった。


(ゲオルグ辺境伯様……)


 探していた甘さの理由。それは私に向けられた、偽りのない男性としての愛情だったのだ。私の心を波立たせ、困惑させた全ての甘さ、過保護さ。それは、この瞬間のためのものだったのか。


 彼の腕が、私の背中に回る。そのまま、彼は私を強く、しかし壊れることを恐れるかのように、ひしと抱きしめた。硬い胸当ての下にある、彼の生身の体温と鼓動が伝わってくる。


「エリーナ……私の妻……」


 彼は私の耳元で、何度も私の名を呼び、愛を囁いた。その声に宿る情熱は、辺境伯という立場や年齢差など、全ての垣根を取り払うかのようだった。


 私の心の中で、何かが決定的に変わった瞬間だった。彼は、私に欠けていた父性を満たしてくれる存在であると同時に、それ以上に、私を一人の女性として深く愛してくれる、紛れもない男性だったのだ。そして、私も、彼を……



 しばらくの間、私たちは訓練場の片隅でそうしていた。辺境の冷たい風も、遠くの騎士たちの声も、その時の私たちには届いていないかのようだった。ただ、お互いの体温と、高鳴る鼓動だけが、この奇跡のような瞬間を告げていた。


やがて、彼がゆっくりと私から顔を離した。彼の瞳は、先ほどまでの情熱に加えて、深い安堵の色と、そして、私への溢れんばかりの愛情に満ちていた。それは、彼がこんなにも豊かな感情を宿すことができるのかと、驚くほどに。


「……冷える前に、城へ戻ろう」


 彼は、そう言って私の手を引いた。その声はまだ少し掠れていたが、どこか弾むような、喜びを含んでいるように聞こえた。私も、されるがままに彼の手に引かれ、城への道を歩き始めた。


 城へ戻る道のりは、行きとは全く違って感じられた。隣を歩く彼の手の温もり、不意に肩が触れ合う感触。ほんの数十分前までは、想像もできなかった物理的な近さだ。


 辺境の荒々しい風景も、先ほどまでとは違って、どこか色鮮やかに見えた。私の世界は、彼の口づけ一つで、完全に塗り替えられてしまったかのようだった。

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