5.甘さの裏側を探して
辺境伯家での甘い日常は、日を追うごとに深まっていった。ゲオルグ辺境伯様は、噂が嘘のように、毎日私に甘い言葉を囁き、過保護なほどに気遣い、その熱い視線で私を追った。
私の混乱は、もはや単純なものではなくなっていた。ゲオルグ辺境伯様の態度は、まるで本当に私を愛し、大切にしている夫――というより、娘を気遣い溺愛する父親のようだったからだ。
(なぜ……どうして、私に……?)
この疑問が、私の頭から離れない。理由が分からない甘さは、嬉しさよりも戸惑いを深くする。彼が、単なる気まぐれや、義務でこれほどまでにする人物だとは到底思えない。あの真剣な瞳、声色に宿る温度は、本物のように感じられるのだ。
彼の愛情表現に触れるたび、私の心は温かくなるのを感じた。それは、私が今まで知らなかった温かさだった。公爵令嬢として、衣食住には恵まれていたし、冷遇されていたわけではない。
しかし、父も母も、公爵家当主として、あるいは当主の妻として、常に多忙を極めており、子供たち一人一人に心を砕くような時間は持っていなかった。姉たちも、それぞれ自分の将来や立場に追われ、私に構う余裕はなかった。
私は、常に公爵家の「三女」という役割の中で生き、個人的な感情や願望を出す機会が少なかった。深い愛情を知らずに育ったのだ。
だからだろうか。彼の惜しみない気遣いや、少しでも私の体調が優れないと大騒ぎする様子、私の傍を離れようとしない姿を見ていると、時折父のような――物語などで知った想像にすぎないが――温かさを感じることがあった。
厳しい辺境伯という立場にありながら、私に向けてくれるあの甘さは、厳格な父親が、末娘に向けるような、不器用で深い愛情のように見えなくもなかったのだ。
彼の愛情を父性と感じて温かく嬉しく思う一方で、心が締め付けられるような思いもした。こんなにも、惜しみなく温かさを与えられて、私はそれに値するのだろうか?
父や母から向けられることの少なかった愛情を、彼は惜しみなく注いでくれる。それは嬉しい。嬉しいけれど、同時に「なぜ自分に?」という疑問と、「自分などが、ゲオルグ辺境伯様の隣に立って、これほどの愛情を受けるにふさわしい存在なのか」という、根深い自己肯定感の低さが顔をもたげるのだ。
私は、ただの政略結婚の駒、契約の相手として来ただけなのに。彼は、偉大で、強く、誰からも尊敬される人物だ。そんな彼の愛情を受ける資格など、私にあるのだろうか。
この疑問と不安を解消するには、彼のことをもっと知るしかない。あの甘さの理由、過保護さの根源、そして「白い結婚」という約束の、彼自身の解釈。
直接尋ねる勇気は、まだ持てなかった。彼のあの熱い視線と甘い声に触れると、いつも顔が赤くなってしまい、冷静な判断が鈍るのを感じていたからだ。それに、「どうして私にそんなに優しくするのですか?」などと尋ねるのは、まるで彼の好意を疑っているようで、失礼にあたるのではないか、とも思った。
だから私は、彼の真意を、別の方法で探り始めた。
まず、彼の言動を、これまで以上に注意深く観察した。私に向けていない時の、彼の表情や雰囲気。領地の政務や軍務に取り組む彼の姿。
それは、噂通りの厳格さと集中力に満ちていた。書類の山を前にした時の真剣な横顔。部下からの報告を受ける時の、鋭くも的確な判断力。戦場を知る者の纏う、張り詰めた空気。私に見せる甘さとはまるで違う、王国を守る辺境伯としての姿だ。
しかし、時にはその厳しい顔に、一瞬だけ翳りや、深い疲労の色が浮かぶのを見た。辺境伯という立場の重圧。常に最前線で王国を守る責任。それは、王都の貴族には想像もできないほどの重圧だろう。
彼が一人で、その重圧に耐えているのだと感じた時、彼の過保護さが、単なる甘さではなく、何かを守ることに全てを捧げてきた彼の生き方、そしてそこから来る、大切なものを守り抜きたいという強い思いから来ているのかもしれない、と感じるようになった。
そして、その「大切なもの」の中に、私が含まれているのかもしれない、という微かな希望と、それが真実だった時の恐ろしさが同時に胸をよぎった。
また、オスカー執事殿や、私の担当侍女となったテラに、彼の過去や普段の様子について、さりげなく尋ねてみた。彼らはゲオルグ辺境伯様を深く敬愛しており、悪いことは一切言わなかったが、彼が若い頃から多くの苦労を重ねてきたこと、辺境の守りのために多くの犠牲を払ってきたこと、そして普段は感情をほとんど表に出さないこと、などを聞くことができた。
そして、「ゲオルグ辺境伯様が、あれほどまでに心を開いて、お優しくされるのは、我々も初めて拝見します」と、彼らにとっても私の存在が彼にとって特別なものであるらしいことを、言葉を選びながらも示唆された。
これらの観察や情報収集を通して、私は彼が単に身内に甘い人なのではなく、深い孤独と、過酷な責任、そして何か大きなものを失った経験を抱えている人物なのではないか、と感じるようになった。
そして、彼の私への甘さや過保護さは、その経験から生まれた守りたいという強い衝動が、私という新しい存在に向けられているのではないか、という推測を深めていった。
(ゲオルグ辺境伯様は……私が思っていたよりも、ずっと……)
辺境伯としての厳格さ、武人としての強靭さ。その完璧な仮面の下に、孤独や苦悩、そして誰かを守りたいという、剥き出しの人間性が隠されている。その事実に気づけば気づくほど、私はゲオルグ辺境伯様から目が離せなくなっていった。
彼の、私に向けられる温かい眼差し。不意に触れる大きな手。そして、耳元で囁かれる甘い声。それはもう私にとって、「父性」として片付けられるようなものではなくなっていた。
単なる「白い結婚の相手」としてではなく、一人の男性として、彼に惹かれ始めていることを自覚せざるを得なかった。