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6 霧崎

「そんな……。嘘だ、嘘だ、嘘だ!」

 リョウはコンクリートに頽れる。目の前の真っ赤な染みは、トラックのタイヤの下へと続いていた。無慈悲な鉄の塊によってミンチになった、恋人だったものは、物言わぬグロテスクな肉塊と化していた。夢であってくれ、とこれほど強く祈ったことはなかった。

 鉄の臭いに、昔見た夢を思い出した。キャンプの帰り道、雷雨の中で両親が交通事故で死ぬ夢。あの吐きそうなほどやけにリアルな夢と同じ場所、同じ臭いだった。

『思い出したか?』

 上から声が降って来た。仰ぎ見ると、自分と同じ顔をした青年が見下ろしていた。夕方に見た彼よりも、もっと現実味を帯びてそこに立っていた。リョウは泣きながら彼に縋った。

「お前は誰だ?これは夢なのか?ドッペルゲンガーみたいに自分が二人いるなんて、普通じゃない。だから夢なんだろう?夢だと言ってくれ」

 トラックの運転手がこちらに駆け寄るポーズで止まっている。まるで映画の一時停止ボタンを押したみたいに固まっていた。土手の草も風に流れるような恰好で固まっていた。

『その通り。この世界は夢だ』

 青年の言葉にリョウはほっとする。なんだ夢か。じゃあカレンは無事なんだ。しかし、淡々と青年は続けた。

『ただし、現実はこれよりもっと酷い。お前の両親はキャンプの帰り道に事故で死んだ。これは事実だ。さらに、カレンがここで死ぬのも事実だ』

「は?」

 再び絶望に突き落とされたリョウを無視し、青年は傷の目立つ手で頭を掻いた。

『俺はずっとお前と話がしたかった。俺と同じ顔をしているが、いったいお前はなんなのか。お前に語りかけ続けたが今までお前はなかなか俺の存在を認めなかった。俺はお前が人生を歩むのを見ていた。両親が死なない夢の世界で普通の幸せを享受するお前の人生を眺めていた。俺に似ているけど、全然違う。まるで俺が主演男優の映画でも見ているかのようだったよ。今やっとこうしてお前の前に立てる。さて、聞かせてもらおう。いったいお前は誰だ?』

「お、俺は俺だ。俺の人生がお前の夢だったなんて聞かされても信じられるわけない。もちろん、こんなクソみたいなストーリーなら、夢ならばよかったと思うけどな」

『安心しろ。お前は夢だ。なぜなら俺がオリジナルだからだ。俺の人生こそが現実で起きた出来事だ』

 夢の中の人は、自分が夢の中にいることに気づくことができない、という映画の内容を思い出す。たしかに、幼少期からこの声が聞こえていたことは事実だし、両親があの日事故で死んでいたと聞かされた時、謎の納得感があった。長いこと頭を悩ませていた難解ななぞなぞの答えをささやかれたみたいに、爽快感すらあった。

「わかった。お前がオリジナルでいいよ。お前の人生は俺のと何がどう違ったんだ?カレンが死ぬという出来事は同じだったんだろう?」

 青年の目に暗い光が灯ったような気がした。

『両親が事故で死んでからというもの、俺の人生はクソだった。俺は児童養護施設に入居した。お前の小学校時代の友達は陽キャのリーダーであるコウタだっただろうが、俺の場合は同じ施設通いの根暗、ハルトだった。成績もカーストも最下層の小学校生活は辛かったよ。中学に上がるころ、12歳の時にあの最低な叔父に引き取られ、さらに人生は最低になった。毎日のように殴る蹴るに根性焼きさ。叔父の暴力に耐えきれないとき、俺は施設に時々もぐりこんでそこで寝かせてもらった。高校には行けなかった。叔父の経営する土木現場でほとんど奴隷のように労働だ。カレンとは付き合ったが、俺の事を心底憎んでいるコウタに寝取られて破局し、その喧嘩しながらの帰り道にトラックでドカーンだ。どうだ?すげえクソだろう?』

 両親があの事故に遭ったか遭わなかったかで、たった一夜の出来事で人生がここまで決定的に変わってしまうのかとリョウはぞっとした。

『俺は羨ましかったよ。幸せそうなお前が。俺がどんどん卑屈になっていくのに、俺と同じ顔をしたお前は幸せからの心の余裕で、いつでも善良な行動を取った。俺が叔父を殺したいと本気で願っている時、お前は同じ状況でも我慢し、理性をもってそう思う心を押し殺した。俺はお前が憎い。平和ボケしたお前にこれは嘘なんだと、所詮夢で虚構の人生なんだと伝えてやりたかった!』

 青年の目には涙が滲んでいた。叫ぶ声は、身を切り刻まれるように悲痛な色を帯びていた。

『俺の方が夢ならよかったのにな……』

 涙が青年の頬を伝って、傷だらけの顎から落ちた。

「ん……?」

 ふと、強烈な違和感を感じ、リョウは頭をフル回転させる。

「夢の中の人は、自分が夢の中にいることに気づくことができない。お前ももしかしたら、誰かの夢かもしれないぞ。だって、これが夢でないなら、俺たちが一緒の空間にいられるわけがない。こんな一時停止した映画みたいな空間にだ。声で語りかけるまではまだお前がオリジナルという説明がきくけど、俺の前に実体をもって現れたら、もう説明がつかない。これはマトリックスじゃない。トゥルーマンショーなんだ」

『悪い、映画見たことないからわからねえ』

 リョウの目の前がぱっと白くなった。

「あ、待って」

 青年が消えた。

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