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第十三話 色褪せた青


 ――【歌墨(かすみ)】。

 そんなネームプレートを見て、俺は固まってしまった。


「そんな――そんな、わけ……無い、よな……?」


 その名前は俺が学生時代に付き合っていた、最初で最後の彼女。


「なんで……ここに、歌墨さんの名前が……?」


 ありえない。こんな所にいる筈が無い。


「きっと……同じ名前の別人だ」


 そうに違いない。卒業すると同時に突然いなくなって、何度も連絡を取ろうとしたけど、結局それっきりになってしまったあの人……。

 歌墨さんがこんな山奥の屋敷になんている訳がない。俺は自分にそう言い聞かせて……でも、確かめずにはいられなくて。

 そうでない事を確認する為に――意を決して扉を開いた。


「…………っ」


 ガラッ……!


 扉の先にはさっきまで居た柴乃の屋敷と同じ、薄暗い通路とそこに並ぶいくつかの部屋があった。


「すぅ……はぁ……っ、よしっ……!」


 俺は深呼吸をすると薄暗い廊下を歩きだした。



 ◇



 トン……トン……。


 屋敷には俺の足跡だけが響き、ひと気というものが感じられない。シンとした空間にこの薄暗さ……まるでお化け屋敷のようだ。


(でも、ここはアトラクションじゃない……)


 捕まれば無事に帰れなくなる……かもしれない屋敷なのだ。

 だから慎重に進もう、と気を入れ直したところで――。


 カサッ――。


「うぉっ!」


 頭に何かが引っかかり、肩を釣り上げて驚く。


「な、なんだっ……!?」


 恐る恐る髪に引っかかったものを取ってみると……。


「なんだ、蜘蛛の巣か……」


 へばりついていたのは蜘蛛の糸だった。

 平常時なら蜘蛛の巣なんて鳥肌ものだが、今の状況では恐怖どころか安堵すら覚えた。

 知らない亜人が出てくるよりは蜘蛛の方がまだマシだ。


「本当に誰か住んでるのか……? 蜘蛛の巣が張ってるなんて、まるで空き家じゃないか……」


 そんな事を呟きながら俺は足を進める。


(そういえば……歌墨さんは虫が苦手だったな)


 蜘蛛の巣を見て、ふと歌墨さんとの思い出が頭を過ぎる。


『と、答也くんっ、寝てないよねっ……!? ちゃんと起きてるよねっ……!?』


 ――部屋に蜘蛛が出て、怖くて眠れないからと朝まで電話したこと。


『びっくりした……っ、うぅっ……お尻打っちゃったぁ』


 ――二人で歩いている時に突然セミが飛んできて、驚いた歌墨さんが転んで尻もちをついたこと。


『お願い、跳ばないでね……すぐ外にっ――きゃあっ!』


 ――それだけ苦手でも、可哀想だからと虫は殺せなかったこと。


「ははっ」


 あの頃の楽しかった思い出が呼び起こされて……楽しいような、寂しいような不思議な気持ちになる。

 ここにあの人がいると考えただけで足が少しだけ軽くなった気がした。


「――いや、都合良く考え過ぎか……」


 ここにいるのが俺の知ってる歌墨さんとは限らない。

 もしそうなら、虫の苦手なあの人が蜘蛛の巣を放置したりするだろうか。

 虫も殺せないと言ったって、蜘蛛の巣を取り除くくらい――いや、そもそも蜘蛛の巣が張る前に日頃から綺麗にする筈……。


「会ってみるまで分からない――か……」


 楽観視していた考えを引き締め直す。


「でも、ここにいるのが本当にあの人なら……こんなに怖がる必要は無いんだよな……」


 学生時代の恋人を恐れる理由なんて無い。本当にあの人がここにいるならキチンと話したい。

 なぜ突然、何も言わずにいなくなったのか。

 なぜ一度も連絡してくれなかったのか。

 なぜ、こんな山奥にいるのか……。

 聞きたい事、言いたい事は山ほどある。


「まだ歌墨さんだって決まった訳じゃないけど……」


 それでも俺は――何故か確信に近いような感情を抱いていた。



 ◇



 ガラッ――。


「また――空き部屋か……」


 廊下を歩きながら目についた部屋を開けているが、紫乃の屋敷と同じように空き部屋が目立つ。

 やはりこれから住人を増やしていく予定なのだろうか。


(いつ人が増えてもいいように、別々に住んで屋敷を管理してるのかもな……)


 人が住まない家はあっという間に廃墟となる。

 だから屋敷の整備も兼ねて、各々が分かれて住んでいるのだろう。

 いつか、自分たちと同じような境遇の亜人を迎え入れるために……。


「――でも……」


 それにしては……この屋敷は寂れ過ぎている。

 紫乃の屋敷は――何というか、家が死んでいなかった。空き部屋が多いのは同じ、埃もそれなりに舞っていたが、それでも最低限の管理はしていたように思う。

 だが、この屋敷は……。


「っ、また蜘蛛の巣だ……!」


 少し歩けば蜘蛛の巣が張っており、時折なにかの虫が足元を這っていく。壊れたまま放置されている壁や扉もあったりして……まさに廃墟といった感じだ。

 先程も思った事だが、本当にこんな所に人が住んでいるのかと疑問を抱かずにはいられない。


「誰も住んでない――って事はないよな……」


 そんな事を呟きながら廊下を進んでいると――。


『――は、――利な――――です!』


「――っ!」


 微かに人の声の様なものが聞こえてきた。


『今日――まで! それ――めて、――した!』


(これは…………テレビの音、か……?)


 肉声と言うには少し違和感のある音質、そして一方的に話しているような喋り方。

 おそらく、どこかの部屋でテレビが流れている。

 という事は――。


(人が、いる……!)


 俺の足は自然とそちらへと向かう。


「…………」


 物音をたてないようにゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ進んでいく。


(そもそも……この屋敷って電波通ってるんだな……)


 緊張をほぐすためか、無意識に呑気な独り言を心の中で呟きながら足を進め……。


(ここだ……!)


 十メートル程歩いたところで目的の部屋を見つけた。少しだけ開いた扉、そこから青白い光が漏れている。


「……っ」


 俺は息を呑んで扉の隙間を覗き込んだ。電気も付いていない薄暗い部屋の中、テレビの光と音だけが空間を支配している。


『今日やって来たのはこちらのお店っ!』


 テレビの中では女性キャスターが飲食店の紹介をしている。

 しかし……その番組を見ている人間は室内にはおらず、近くに人の気配も感じられない。


「……?」


 ガラッ……。


 俺は恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れる。


「誰も、いない……よな?」


 無人の室内には異様な雰囲気が漂っていた。

 ――他の部屋や廊下等と同じ、寂れた内観。

 ――そんな景色の中で響く、明快なテレビの音。

 日常と非日常――まるで実家と廃墟が混ざったような歪な空間。

 まさしく『不気味』の一言だった。


「この屋敷の住人はこんな所で生活してるのか……?」


 独り言にも不安が滲んでしまう。

 いったいどんな精神状態でこんなボロボロの屋敷に住んでいるのか……。


「……いや、そんな事より出口を探そう」


 テレビを付けたままという事は、すぐに帰ってくる前提で部屋を出て行ったのだろう。家主がどんな人物か分からないが、帰ってきて鉢合わせる前に出口を見つけなければならない。


(ここにいるのが歌墨さんだと決まった訳じゃない……紫乃みたいなヤツが出てきたときの為に、脱出ルートは確保しておかないと……)


 そう考えて俺は部屋を出た。


 ――本当にそう思っていたのなら、初めからこの部屋に近づく必要はないのに……。



 ◇



 足音が鳴らないよう慎重に進み、薄暗い屋敷内の探索を続ける。

 しかし歩いている間も、この屋敷に住む人物の事で頭はいっぱいだった。荒れ果て、傷んだ屋敷の中を見れば見るほど、こんな所に歌墨さんが住んでいるとは考え辛い。


「…………」


 俺の知ってる歌墨さんは真面目で几帳面な人だった。


(まあ、天然で抜けているところは結構あったが……)


 学生時代、何度か遊びに行った彼女の部屋は綺麗に整頓されていたし、暗い部屋でテレビを見るような性格の人でも無かった。

 考えれば考えるほど、ここに住んでいるのは歌墨さんじゃないという結論に至ってしまう。

 なのに――。

 どうしても……耳元で囁くような予感が付きまとって来る。『歌墨さんであって欲しい』という希望的な感情と『そんな訳がない』という現実的な思考が俺の胸の奥をかき混ぜる。


(いや――)


 正確には『歌墨さんであって欲しい』と『別人であって欲しい』だろう。

 なぜ黙っていなくなったのか、それを聞きたいという思いと同時に、聞きたくないという思いも俺の中には間違いなくあった。

 きっと歌墨さんが黙って消えたのは俺が原因なのだから……。


(俺が――亜人症になった歌墨さんを受け入れ切れなかったから……)


 会って本人からそれを言われるのが俺は怖いのだ。


「はぁ……、情けない……」


 そんな事を呟きながら廊下を進み、角を曲がる――と、歩いていた通路が少し明るくなった。


「ん……?」


 進行方向に目を向ける――すると、視線の先には扉があった。

 それも只の扉では無く――今まで調べたものとは毛色の違う扉……。

 その扉から光が差し込んでいる。


「あれは……もしかして――」


 タタタッ――。


 まるで羽虫が街灯に吸い寄せられるように、俺はその光へ駆けだした。


「やっぱり――玄関だ……」


 石造りの土間にはしばらく使っていないであろう靴が乱雑に散らばっており、この場所が間違いなく外へ出るための扉であることを意味していた。


「出ら、れる……?」


 扉をロックする鍵も付いていない。

 探していた出口は余りにもあっけなく見つかった。


「これでっ……!」


 屋敷を出てからも下山の方法など問題は色々あるが、一先ずは外へ逃げよう。

 ここの住人に見つかり、また鍵などをかけられる前に脱出しなければ……。

 そう思って俺は玄関の扉に手をかける――が。


(本当に、それでいいのか……?)


 咄嗟に体が固まってしまう。

 どうしても見過ごせない要因が一つ、俺の後ろ髪を引く。

 【歌墨】……。

 あの名前を見てからずっと考えていた……。

 同じ名前の別人だと捨て置く事は出来る。

 だが、俺はどうしても確かめずにはいられなかった。


「――やっぱり、確かめないと……!」


 このまま外に出て上手く街まで帰れたとしても、きっと後悔するだろう。

 平穏な社会で生活しながら『あの屋敷に住んでいるのは歌墨さんかもしれない』という考えを抱いて生きていくことになる。

 もし別人ならそれで良い。その時はこの玄関に戻ってきて外へ逃げればいいのだから。

 しかし――もしも俺の知っている歌墨さんだったのなら……。


「――っ……!」


 俺は玄関に掛けていた手を離すと踵を返す。


「探そう……この屋敷の住人を――!」


 そう呟いた瞬間だった。


 ガラッ――。


「――!」


 突如玄関の扉が開き、再びそちらへと振り返る――。

 一メートルも無い――僅か数十センチ目前の距離に人影が現れた。


「えっ――?」


 突然のことに驚いて固まってしまう。


「……え?」


 あちらも俺の姿を見て固まる。

 それはそうだ、家に帰ってきて知らない人間がいれば驚くに決まってる。


「…………っ!」


「ぁ…………!」


 しかし、俺たちが固まった理由はそんな事では無かった。


「か……、っ……!」


『どうかな? ちょっとだけ短くしたんだけど……似合ってる?』


 ――濡れ烏のような黒い髪。


『くすっ、しょうがないなぁ……』


 ――慈愛に満ちた優しい目元。


『もぅ……、あと一回だけだよ……?』


 ――幾度となく重ねた丹花の唇。


 あの頃より、ずいぶんとやつれてはいたが……。

 それでも間違える筈が無い。

 六年前、突然いなくなった――。


「っ……歌墨、さん……!」


「と、答也……くん?」


 恋人との再会だった――。


本当は第二章を全部書き終わってから連日投稿しようと思っていたのですが、思ったよりも時間がかかりそうなので出来たものから投稿していきます。

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