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【小説】太門の郷


この作品は、note、エブリスタ、pixiv、ステキブンゲイ、NOVEL DAYS、アルファポリス、ツギクル、小説家になろう、ノベマ、ノベルアップ+、カクヨム、ノベリズム、魔法のiランド、ハーメルン、ノベルバ、ブログ、に掲載しています。


 そそり立つ岸壁に、波が打ち付け泡を吹いて砕ける。

 その泡が、岩肌の上に貼り付いたまま、次の波が砕けて散る。

 何度目の波で泡が消えるのだろうか。

 そんなことを考えながら、ぼんやりと海に視線を投げていた。

 数百人が住む小さな離島には「西グワヌガロス」という名がついていた。

 言い伝えによれば、邪教サネッミラキアを信仰する人々が集まって、ひっそりと生活していたらしい。

 それで奇妙な名前が付けられたのだそうである。

「今年は暖かかったから、ほうれん草が育たなくてねぇ」

「それなら実家から送ってもらうよ。

 キャベツならいっぱいあるから、持って来る」

 ウミネコの柔らかい声が聞こえるガードレール越しに、島の人々の何気ない会話が、BGМになって体に染み込んでくる。

 海風に乗って潮の香りが辺りを包み込み、太陽に照らされた海は輝いていた。

 津崎 弘征(つざき ひろゆき)がここにいるのは、毎日通る郵便配達人を一目見るためだった。

 遠くから近づく赤い自転車を認めると、また視線を海へ移して関心がない風を装った。

「あら、今日は何をしているのですか」

 真っ直ぐな銀色のパイプハンドルと、ことさらに大きなブレーキ。

 後ろに赤い(かご)(くく)り付け(ほろ)を被せてある。、

「海を見てたのさ」

 ちょっぴり気取ったトーンで横顔を向けたまま言った。

「きれいですね」

 ネームプレートに辰巳 和紗(たつみ かずさ)と書いてあったから、名前は知っている。

「また、出たそうですよ」

 唐突に、彼女の声が緊張の色を帯びた。

「どこで」

 ぶっきらぼうに返して、視線は海に投げたままだった。

「クレイシの峠あたりだとか」

 語尾を少し濁していた。

「またか」

 近頃悪魔だの、妖魔だのという類が頻繁(ひんぱん)に目撃されるようになった。

 そんな虚構の世界の生き物が、現実にいるはずはない。

 すべて人間の想像力が作り出したニセモノである、はずだった ───


 二階建てのボロアパートの外には、ゴミ捨て場の生ゴミを目当てに野良猫がニャーニャー鳴きながら集まっていた。

 通りを2トントラックが通るたびに床が(きし)みガラス窓がビリビリと鳴る。

 昨夜は隣のスナックで、いい気分になった客が日付が変わっても、ヘタクソなカラオケを響かせていた。

 真夜中過ぎでもお構いなしに、救急車が大音響で走り抜けて行き、遠のく意識の中で不吉な予感に身震いした。

 (まぶ)しい朝日を右腕で(さえぎ)り、ゴロリと寝返りを打つと、反対側の首筋がジリジリとして目を覚ました。

 目覚まし時計は最近仕事をサボって鳴らなかったり、かと思えばしっかり時間通りにベルを高らかに叩いたりと、気まぐれである。

 どんよりとした視線を天井に向け、腕を伸ばして反動をつけてゆっくり起き上がると、どうも体がだるい。

 人間の身体は、こんなに重かっただろうか。

 昨晩のカップ麺が机の上に出しっぱなしで、ジャンクな臭いが部屋に(こも)り、少々吐き気がした。

 近頃、悪魔だのお化けだのという類の夢をよく見るようになった。

 不思議な杖を持って、勇敢に戦う自分を演出して、この現実から逃げているのかもしれない。

 無意識の世界にあるはずの夢でさえ、現実逃避の映像を見せているのだから骨の(ずい)まで蝕まれつつあるのだ。

 津崎はどうにか身体を立たせて野暮ったい作りの洗面台で顔に水をぶっかけた。

「ふうっ」

 と水しぶきを飛ばしながら鏡に映った自分の顔を見て、(みじ)めな気分が加速する。

 この世に、こんなにパッとしない男がいるだろうか。

 金がなくて親の(すね)をかじりながら、インスタント食品で腹を満たし、日がな一日することがなくて、いよいよ生活費がなくなると日雇いみたいなバイトをする。

 人間、贅沢(ぜいたく)を言わなければギリギリ生きていける。

 色あせたトレーナーに、トレパンというスタイルで、外を歩いても女は目を背け、まるで不審者のように避けていく。

 鏡の中の男は、ただ生きているだけの物体だった。


 パワースポットとして有名な西グワヌガロス島には、観光客がちらほらやって来る。

 綺麗(きれい)な海と長閑(のどか)な空気。

 人々はゆっくりと時を刻んで暮らし、お互いに助け合う。

 見知らぬ人にも声をかけ、すぐに打ち解けていく離島の暮らしの魅力に満ちていた。

「やあ、おはよう」

 津崎は溌溂(はつらつ)とした声を出して、見知らぬ女性に声をかけた。

 彼女はオドオドとして、海を見たり丘を見たり、そして道を少し歩いては止まり何かを探しているようでもあった。

 びっくりしたように目を丸くして、振り向いた顔は()せて肌の艶が悪く、長い髪はボサボサだった。

 一瞬立ち止まっただけで、歩き出そうとする彼女の前に回り込んで、

「どちらへ行くのですか。

 よろしければ案内しますよ。

 方向が一緒だし」

 応えを待たずに、杖で道の向こうを指し示しながら肩を並べて歩き始めた。

「もしかして、霊とか見えるんじゃないかと思って来たのかな」

 杖先を右手で押さえると、くるりと回して左手で押さえ、また回す。

 杖道(じょうどう)の基本的なさばき方で(もてあそ)びながら、とコトコと鼻歌交じりに歩く津崎を、彼女も興味がでてきたのか口を開いた。

「その棒 ───」

 かすれた小さな声だった。

「面白いかい。

 長さ128センチメートル、直径24ミリと昔から決まってるのさ」

「へえ、なぜ」

 杖先を押さえる動きに淀みがなく、流れるように杖をひっくり返す。

「戦国時代に、刀を持たない僧侶たちが杖で戦ったのが始まりだとか。

 突けば(やり)、払えば薙刀(なぎなた)引けば(かま)、持たば太刀、杖はかくにも外れざりけり」

 棒の中心を持ってくるくる回しながら頭上に掲げると、雲行きが怪しくなってきた。

 黒雲がユラユラと空を覆い、雷鳴がゴウと轟くと彼女は小さく悲鳴を上げて座り込んだ。

「ここらかな、和紗が話した妖魔は」

 まとわりつくような、湿気にむせた彼女はひっくり返って後ずさりをした。

 前方にギラリと視線を投げた津崎は杖を脇に構えて座り込んだ。

「動かないで。

 身を低くしたままでいるんだ」


 窓の外に炎と煙を見た気がして、津崎のは跳ね上がった。

「まさか」

 火事だと思い、曇りガラスの窓を開け放つと黒煙が天井を舐めるように伝っていく。

 慌ててピシャリと閉め、上着を羽織ってドアを開け放つ。

 そして、しまったと舌打ちをした。

 煙がボロ階段を伝って津崎の部屋へとなだれ込むように入って行ったのだ。

 外へ出るしかない。

 一段飛ばしで駆け降りると、木製の引き戸を開けた。

 反対側の家から出た火が、こちらへ移って来たのだった。

 間には幅3メートルほどドンツキ道路があるが、隣の窓から飛び指した炎の舌が、風にあおられてこちらまで迫っている。

 遠くで消防車のサイレンが鳴っていることに、ようやく気付いた。

 野次馬が集まり始め、往来を遠巻きにして人垣を作りつつある。

 その向こう側に、ふと気になる人物を見つけた。

 ふらりとそちらへ踏み出すと、まるで引き寄せられるようにその男の(そば)まで歩き、肩を並べて もうもうと立つ煙を他人事のように眺めていた。

「まいったな」

 頭に手をやった津崎は、隣の男をちらりと見た。

 スーツをきちんと着こなして、ネクタイはぴったりと中央に収まっている。

 肩をすぼませた立ち姿が、何かを(のぞ)き見ようとしているかのようで、セールスマンのようにも見える。

 安っぽいスーツには(ちり)一つなく、スラックスの折り目はキッチリと影を作っていた。

 何より奇妙なのは、家事を眺めて眉根(まゆね)を寄せたり、腕組みをして(うな)ったりしている人たちとは対照的に、落ち着き払って口元に薄く笑みを浮かべているところだった。

 オレンジの防火服に身を包んだ3人が路地に飛び込んでくると、銀色のホースから水を出して火元の家に向けた。

 スーツの男の顔から笑みがスッと消えて、先ほど消防士たちが入ってきた方へ向けて歩き始めた。

 ゆっくりと横歩きしていたかと思うと、急にくるりと向きを変えて走り始めた。

 咄嗟(とっさ)に津崎も地面を蹴って、男を追い始めた。


「ここは ───」

「クレイシの峠です。

 何か出てくるようです。

 声を立てず、そのまましゃがんでいてください」

 スッと立ち上がった津崎は、杖を高々と上げて天を指した。

「この、ナアルプの杖には『魔』を退ける力があります」

 視線を前に向けたまま、彼女を安心させようと杖を振り回して退魔の光の奇跡を見せた。

 光の輪が、中心から外へ、津崎の丹田から出た力を放っていく。

 薄暗い茂みの向こうに、なにやら(やぐら)のような歪んだ造形物が現れる。

「あれは、太門です。

 どうやら大物が出てくるかも知れません」

 言いながら、ちらりと彼女を見た。

 顔が青ざめて、引き()っていた。

「大物、ですか」

 恐怖に見開かれた目が、櫓の方へ向いたと思うと、後ずさりを始めた。

「そういえば、名前を聞いていませんでしたね」

 ニッコリと笑いかけながら津崎が言った。

今野 琴音(こんの ことね)です。

 すみません、私、腰が抜けてしまって」

 視線を戻すと、一間(いっけん)ほど前にスーツ姿の男が立っていた。

 一瞬視線を外した隙に、この男が踏み込んで攻撃できる距離まで詰めていたのだった。

 きちんと着こなしたスーツは、安物のようだったが、ネクタイも真っ直ぐにしている辺りは、相当な几帳面さだった。

 顔は蒼白で、肩をすぼめて背を丸めた姿勢から、いつでも飛び掛かれる気勢が鳥肌を立たせる。

「お前は ───」

 言いかけたとき、男の口がぱっくりと開き、炎がゴウと(ほとばし)る。

 間一髪、横っ飛びに(かわ)しながら、杖で軌道を空へと向けた。

「やはり、炎の妖魔だな。

 ニセモノサラリーマン、というわけだ」

 ピタリと動きを止めた男は、ゆっくりと右手を突き出して、中指で津崎を指して言った。

「ほう、覚えているぞ。

 お前は現世からこちらへ、俺が連れてきた人間だな。

 面白い、我の炎を止められるというなら、付いてくるがいい」

 (きびす)を返して、櫓の(たもと)に消えて行った。


 一面火の海と化した東京。

 夜になっても赤々と空を照らす炎の勢いは止まず、消防車も水や消火剤を出し尽くし、被害者の救出を急いでいた。

「お前は、津崎と言ったな。

 少し話をしてやろう」

 炎の妖魔は、見覚えのあるアパートの上空で振り返った。

 眼下に広がる炎に、2人は絶句していた。

 拳を握りしめた今野は、絶叫する。

「もう、やめてください」

 涙を流し、どういう仕組か空を飛んでいる身体を(ひるがえ)して妖魔に向き直った。

「気丈な女だな。

 まあいい、大火は文明が発達した現代でも、毎年起こっている。

 こうやって愚かな人間どもに火の恐ろしさを知らしめ、一度焼き払ってから世界を造り直しているのだ」

「ぬかせ、神にでもなったつもりか」

 津崎は杖を大上段に振りかぶった。

「俺の名は好井 勇(よしい ゆう)という。

 一介のサラリーマンで、家族とはもう10年以上口をきいていない」

 チロチロと炎の舌が見え隠れする家々を悠然と眺めて妖魔が言った。

「人の皮を被ったニセモノというわけか」

「威勢だけは良いな。

 どの道お前らは死ぬ。

 黙って聞いていろ。

 人間は、生まれて物心ついたときから『人の言うことを聞いて静かにしている良い子』を演出する。

 子どものころには、怒号を浴びせられながらな。

 成長すると、今度は何も言わずに黙々と働けと言われる。

 仕事だけではない。

 結婚生活も、子育ても、我慢(がまん)の連続だ。

 そして、自分自身も次の世代に、同じ我慢を()いている。

 手にしたのは、人間関係の断絶だ。

 金も名誉も人並み程度 ───」

 思いもよらない言葉に、津崎は黙り込んだ。

 今野はスーツ姿の好井と名乗る妖魔を、(にら)み続けていた。


「お前は、どこをほっつき歩いているんだ!

 パチンコでもしてたんじゃねえのか!」

「いえ、お客さんのところを回ってきました。

 休憩はお昼に歩きながらおにぎりを食べて10分ほどで ───」

「じゃあ、何か、お前が一つも契約を取れないのは、会社の信用がないからだとでも言うのか!」

 また課長が机を叩いて大声で怒鳴りつけた。

 パワハラなどと言えば、窓際に追い込まれて仕事を与えられず、辞表を出した仲間のようになってしまう。

 入社同期はほとんどいなくなった。

 成功すれば会社を替えるし、失敗を繰り返せばメンタル不調になって辞めていく。

 愚痴を言える仲間もなく、今日も帰りの電車に、ボロボロの心を横たえて居眠りをする自分がいた。

 どうせ、家に帰っても暖かい(ぬく)もりなどない。

「もう、いっそのこと ───」

 帰り道、公園のブランコに座って身体をゆすった。

 近所の人たちも、暗くなればほとんど出てこない。

 この辺りも、最近ガラの悪い若者がうろつくようになったと、駅のホームかどこかで聞こえてきた。

 もういい加減、家に向かうかと腰を上げようとしたときである。

「おじさん、シケた顔してるねえ」

 ボサボサ頭の若い男が、白い歯を見せてニヤけながら近づいてきた。

 隣りにはニット帽にタートルネックで口元を隠した男。

 そして、目をカッと見開きながらこちらを威嚇している、筋肉質の男。

 明らかにまともじゃない奴らだ。

「おっと、俺たちに金貸してくんないかなあ」

 逃げようとダッシュしたが、筋肉質の男が足をかけ、よろけたところをヘッドロックに極めた。

 苦しさに(うめ)き、足をバタつかせたが、無駄だった。

 若者たちは、ヘラヘラ笑いながらカバンを逆さまにして中身をまき散らし、ズボンと上着の内ポケットから財布とカードケースを抜き取った。

「やっぱ、現金はあまりないか。

 カードは使えそうだぜ」

「もう少し少し遊んでるから、今引き出しちまえ」

 薄れていく意識の中で、彼らの笑い声と、冷やかすような奇声が鼓膜を揺らすのを感じた。

 その時だった。

「お前、このまま死んでも良いのか」

 腹に響く重々しい声が、甲高い声に混ざって意識の中に飛び込んで来たのだ。

「我と契約せよ。

 さすれば、このゴミクズどもを灰に変えて見せようぞ」

 脳に直接響くような言葉だった。

 どうにでもなれ、という気持ちで心で念じた。

「こいつらは犬以下の畜生だ。

 燃やしてしまえ ───」


「人間のタガを外した俺は、辺りかまわず火をつけた。

 いつしか、火を見ていないと落ち着かないようになったのだ」

 腕を組み、あぐらの姿勢で宙に浮いたまま、妖魔は瞑目(めいもく)した。

 しばらく誰も動かなかった。

 眼下の街は赤く染まり、黄色い光が不気味に妖魔の姿を浮かび上がらせた。

 我に返った津崎は、ナアルプの杖を振りかぶって妖魔に襲いかかる。

「お前の事情など、知ったことじゃない。

 罪のない人々を殺す悪魔め、この杖で浄化してやる」

 全身の力を込めて振り下ろした杖が、妖魔のこめかみにヒットした。

 乾いた音と、まばゆい光が辺りを包み、何かが回転しながら落ちていく。

 津崎の手には、20センチほどを残した杖が握られていた。

 この妖魔には、杖の力がまったく効かなかったのだ。

 杖を投げ捨て、素手で殴りかかったが、妖魔はビクともしなかった。

「お前の攻撃など、()けるまでもない」

 すっくと立ち上がった。

「わかったか、西グワヌガロスには、哀れな人間の成れの果てが集まっているのだ。

 その女のような、オカルト好きの馬鹿どもが時々やって来ては、妖魔に殺される。

 お前らは、黙って我らの浄化を見届けていれば良いのだ」

 万策尽きた津崎に、できることはなかった。

「済まない、今野さん。

 こいつの言う通り、俺たちには何もできないようだ」

 観念した、というように津崎は顔を背けて力なくうなだれた。

 赤い炎と黒煙の勢いは留まるところを知らず、ますます広がっていく。

 社会が作り出した憎悪が、街を焼いていく。

 唇を噛みしめ、目には涙が(にじ)む。

「人間は、太古の昔に戻るべきなのだ。

 一度文明を捨て、自然の摂理に従って新しい世界を作り上げる」

 不敵な笑みを浮かべた妖魔は、今や圧倒的な存在として2人の前に立ちふさがった。

「私、お父さんのこと、好きだったよ。

 生きているうちに、言ってあげたかった。

 ただ、いつも忙しそうで、話しかけにくかっただけなの ───」

 すすり泣きと共に今野が小さな声を出すと、妖魔の動きがピタリと止まった。

 ギロリと鋭い眼光を向け、彼女を射竦(いすく)める。

 彼女は、さらに続けた。


 一人娘の今野は、共働きの両親が残していく食事を、毎日一人で食べていた。

 周りに誰もいない家は、心を落ち着ける場所ではなかった。

 学校にいつも遅くまで残ったし、児童会、生徒会などの活動をして寂しさを紛らわせてきた。

 表向きは成績優秀で性格の良い、優等生。

 友達からも慕われ、先生方や近所の人たちからも、良く声をかけられた。

 だが、父親の愛情はほとんど知らずに育って行った。

 今野にとって、父親とは稼ぎ手であるに過ぎない。

 お金を家に入れて、間接的に育ててくれているのは理解している。

 だが、高校卒業間際、近所の公園のトイレで自ら命を絶った父は、彼女にとって現実味のないニセモノの父親に映ったのだった。

「父さんは、立派に働いてくれたよ。

 きっと、寂しかったのでしょう。

 私だって、寂しかったよ」

 すがるように、妖魔へ訴える彼女を、津崎はポカンとして眺めていた。

 妖魔は一つ唸った。

「女、お前は西グワヌガロスへ、何をしに来たのだ」

 彼女にゆっくりと近づきながら問う。

 頭を振り、両手で顔を覆った彼女は、

「お父さんに会って、謝りたかったの。

 私、いつもありがとうって、言えなかったから」

 両の拳を握ったまま、妖魔はこちらを睨んでいた。

 今にも襲いかかって来るのでは、と津崎は身構えた。

 どうせ死ぬなら、戦って死ぬ覚悟を決めていた。

「ありがとう、お父さん。

 私、大好きだよ」

 妖魔に向かって歩いて行く彼女は、両手を広げて真っ直ぐに彼を見ていた。

 その視線を、妖魔も真っ直ぐに受け止めた。

 そして、後ろに手を回し、しっかりと抱きしめた彼女は、妖魔を実の父であるかのように、胸の中で泣いた。

10


 津崎は、ガードレール越しに岸壁に咲く波の花を見ていた。

「どうしたの、若者よ」

 配達の自転車のスタンドを立てて、和紗が隣から顔を覗き込む。

「いいや、働いて稼いでも、肝心な物をなくしてちゃあ、意味がないと思ってね」

 目を細めて水平線に目をやった彼女は、肩をポンと叩いて自転車にまたがった。

「悩める若者よ、また妖魔が出たそうだよ」

 飛び上がるようにしてナアルプの杖を問った津崎は、彼女と共に坂を登って行った。

「人間に戻った好井も、パワースポット巡りは卒業したと言った今野も、地に足を付けて生きて行けたら良いのだがな ───」

 杖をクルクルと回しながら、津崎が呟いた言葉を、寄せては返す波濤(はとう)の響きが、かき消してしまうのだった。

 彼方には、廃墟と化したヨーロッパ風の城と、櫓のシルエットを、夕日が照らしだしていた。



この物語はフィクションです


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