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蛇の崖登り

作者: 夏月七葉

「鯉の滝登り」という言葉がある。激しい流れの川にある滝を登り切った鯉が龍になったという伝説から生まれたらしい。


 しかしながら、どちらかというと鯉よりも蛇の方が龍に近くはないだろうか。鱗に覆われた細長い身体を大きくしたら、龍の姿に瓜二つ――とまではいかないものの、よく似ていると思うのである。

 だから、自分も頑張れば龍になれるのではないか。そう考えてしまっても、無理のない話である。


 小さな白い蛇は、山の麓で生まれた。あちこちに緑が溢れる場所で、時折行き過ぎる人間達はここを「田舎」と呼んでいた。

 兄弟は沢山いたが、皆大きく育ち、一番小さな一匹はいつも兄弟を羨ましがっていた。


 そんなある日、いつものように草むらに身を潜めていると、通りすがった人間が鯉の滝登りについて話しているのを耳にした。


 鯉は知っている。近くの池で泳いでいるから、何度も見たことがあった。

 山の麓の村にある寺に入り込んだ時、龍の掛け軸も見た。墨で描かれた龍は雄々しく立派で、迫力があった。


 だから、疑問に思ったのだ。鯉と龍は全然違うのに、どうして鯉が龍になれたのだろうと。

 見た目でいったら、確実に蛇の方が龍に近い。鯉になれるのなら、蛇だって龍になれるはずである。


 そこで小さな白蛇は決心した。大きな兄弟達を見返せるくらい立派な龍になってやると。


 しかし、一体どうしたら良いのだろう。この辺りに滝はないから、伝説のような滝登りはできない。

 三日三晩考えた結果、小さな白蛇は山の奥にある崖へ向かった。


 そこは、ほぼ垂直に切り立った崖だった。こんなところを登ろうなんて一度も思ったことはなかったが、急流の代わりにこの困難を乗り越えたら龍になれるような気がしたのだ。


 崖の下に辿り着いた小さな白蛇は、うんと首を仰向けて上を見た。崖は空を突き抜けるほどに高く、ここからでは頂上も見えない。

 本当に登れるのか、不安に思った。しかし、きっとここを登り切れば龍になれる。


 意を決して、崖に身体を這わせてみる。すると、力が要って少し大変ではあるが登れなくはない。


「――よし」


 小さな身体をくねらせて、少しずつではあるものの地面から離れていくことができた。時間はかかりそうだが、希望が糧となって進んでいける。

 時折休憩を挟みながら、小さな白蛇は上へ上へと登り続けた。


 何度か夜を迎え、何度か強い風に煽られた。その度に眠ってしまわないように頭を振り、落ちないように崖にしがみついた。

 大きな鳥につつかれそうになったり、雨が降ってきて滑り落ちそうになったりしたこともあった。

 想像していたより大きな障害だった。それでも、小さな白蛇は諦めなかった。懸命に身体を動かして、只管に頂上だけを目指した。


 そして、数日後――。


「わあ……」


 辿り着いた頂上から見えたのは、視界一杯の星空。少し視線を下げると、山の麓に広がる民家の灯りが温かく地表を彩っている。

 とても綺麗な光景だった。けれど、次の瞬間にはそれを映す円らな瞳から涙が零れ落ちた。


 白い鱗も、小さな身体も、何も変わらない。小さな白蛇は小さな白蛇のままで、龍になる気配が微塵もない。

 頑張って崖を登ったのに。困難にもめげずに力を振り絞ったのに。


 空の星も地表の灯りも、全て自分が零した涙の粒ではないかと思うほど、小さな白蛇は泣き続けた。

 遠くで何度も鳴る鐘の音をぼんやりと聞きながら、やがて泣き疲れてその場に丸まって眠ってしまった。


   *


 瞼に当たる光が眩しくて、小さな白蛇は目を覚ました。

 薄く開けた目に鋭い光が刺さって、何がどうなっているのか中々確認できない。

 時間をかけてそろそろと開いた双眸が映したのは、向こうの山の上から覗く太陽だった。


 今までに見たことがないくらい、神々しい太陽だった。それは徐々に高度を上げて、世界を明るく照らす唯一無二の姿を見せる。


 小さな白蛇は、泣き濡れた目尻をキラキラと反射させて、その日の出を見届けた。


(ああ、そうか……)


 ふっと降ってきたみたいに、その小さな身体の中に温かさが生まれる。

 自分は龍にはなれなかった。この崖を登ったのに、伝説の鯉にはなれなかった。

 しかし、それならばもっと高い崖を探して登れば良い。それでも駄目なら、更に高い崖を探そう。

 そうすればきっと、龍になれる。


 昇った太陽に背中を押されて、再び立ち上がった。

 いつか大きな身体で星の海の中を泳ぐその日を想って、小さな白蛇は新しい光にその身を照らし続けた。

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