前編
『もうだめ、これが限度よ。これから窓ガラス割って飛び降りて死にます。ここからだしてくれないならね』
「はいはい、そーんなこといわれてもなんにもならないねえ。こっちにはどうしようもありません」
またか。
声の大きい祖母の喚き声が父の持つスマホの向こうから聞こえてくる。
もう夜の十一時よ、受験生なんだからいい加減自室にいって勉強しなさいと言っていた母も、達也へのお説教をやめて呆れた様子で居間の父を見やっていた。
昼夜を問わない祖母の「今すぐ死ぬわよ」爆撃が始まったのはひと月前からだ。
十年前に夫を亡くし、八十五歳まで一人暮らしを続けてきたプライドの高い祖母、八重子は、雅号を持つ画家だった。陶芸も玄人レベルで編み物もうまく、自分の着る服はほとんど自分で作るぐらい器用だった。
その祖母が、六月の終わりごろ体調を崩して入院した。横になってばかりで何も食べないと報告してくれたのは通いのヘルパーさんだった。そして、止められても一人酒がやめられなかった祖母は、病院で肝硬変と診断されたのだ。
ある程度症状が落ち着いたところで担当医から、病院施設を併設した有料老人ホームへの入所を勧められた。いつまで病院にいたところで完治は望めない状態だったのだ。
病院に両親と見舞いに行ったとき、達也の目の前で父と祖母はコントのような言い争いを繰り広げていた。
「施設なんていやよ。家で死なせてくれるなら、いい霊になって生涯守ってあげるわ。だから家に帰して」
「霊になんてならずに迷わず極楽行って。極楽に行けるのはね、家族にわがまま言わずに施設に入る聞き分けのいいおばあちゃんだけだよ」
「極楽なんてないわよ。それにしてもあなた、達っちゃんそっくりな物言いをするのね」
「え?」達也が顔をあげると、
「ああ、あのときか。あの時は達也、お手柄だったな」父は笑いを含んで息子を見た。
あのとき、を思い出すのに時間はかからなかった。達也自身、どこかで聞いた言い回しだと思っていたからだ。
それは父の妹である麻子叔母さんの長男、つまり達也のいとこの航の結婚式の時のことだった。もう七年ほど前になるだろうか。
式が済んで新郎新婦がお客を送り出しながら挨拶していた時、ふいに祖母は膝から崩れ落ちるように床に倒れたのだ。
あわてて周囲の男性何人かで抱えて出口のソファに祖母を横たえ、麻子叔母が救急車を呼んだ。だが、救急隊がストレッチャーをもって到着したとたん、祖母は目をさまし、周囲を見渡して言ったのだ。
「誰か倒れでもしたの? この人たち、何?」
「我々は救急隊員ですよ。あなたは式場で失神なさったんです。とにかく、病院へお運びしますから」
「いやだわよ、こんなおめでたい場でこんな醜態。ちょっとお酒に酔っただけなのに、誰なの、大げさに119番なんてしたのは」
まわりが止めるのも聞かず飲むだけ飲んで倒れた祖母は、どうせあなたね、と真っ先に自分の娘、麻子叔母を指さした。
「薬剤師やってるからっていつもお医者みたいにふるまって私にお説教ばかりするけどね、自分のことは自分が一番わかってますから。私はもう、大丈夫。あなたたち、ご苦労様。もう帰ってちょうだい。ちょっと、何してるの、痛いわよ」
強引に祖母の血圧を測っていた救急隊員は、数字を読み上げながら言った。
「上82、下40。異常な低さですよ。とにかくいったん病院には行きましょう、何か病気が隠れているかもしれません。それで何ともなければお帰りになればいいんですから」
「お母さん、そうしましょ。調べるだけ調べて、それで問題ないなら帰ればいいんだから」と麻子叔母。
「お祖母ちゃん、そうしてよ。ぼくらもその方が安心できるし」新郎の航がいっても、頑として聞かない。
「乗らないと言ったら乗らないから。私が呼んだわけでもないし、なんでまわりに命令されなきゃいけないの。いいから帰ってって言ってるの」
うんざりしながら騒ぎを見つめていた当時十歳の達也は、祖母の前に進み出るとはっきりとした声で言った。
「おばあちゃん。こういうとき、はい、って答えるのがいいおばあちゃんだよ」
その凛とした態度に、周囲は一瞬しんとした。祖母はぽかんとした表情になったが、急にうつむき、肩を揺らして笑いだした。
「十歳の孫に、そこまでいわれちゃあねえ。そうだわね、達ちゃんの言う通り、いいお祖母ちゃんでいなくちゃね」
そしてなんと、素直にストレッチャーに乗ることを了承したのだ。
麻子叔母はぱちぱちと拍手をしながら頬を紅潮させて言った。
「すごいわ、達っちゃん。あなたのその言葉がなければ、絶対お祖母ちゃん、救急車になんて乗らなかったわ。よく言ってくれたわねえ」
「いやあ、とっさの一言としては優勝ものだな」と父。
「あんた結構やるじゃない」
いつもは喧嘩ばかりしている四つ上の姉までが、達也をほめたたえた。
結果、大した病変はないが血液検査の結果肝臓の数値が悪すぎる、と言われたのを、それで今日明日死ぬんでなければ私は帰ります、と言って祖母は付き添いの父とともにタクシーで強引に自宅へ帰ってしまったのだ。
その結果が、今のこの有様だ。沈黙の臓器、肝臓は、齢八十五になってついに悲鳴を上げた。
「とにかく守護霊なんてないからね。わかってると思うけど」父が言う。
「ええ、あの世なんてのもないし死んでも仏にもなれないわよ。私仏教なんて信じてないからね、死んでもお坊さんのお経とかいらないから。戒名も絶対つけないでちょうだい」
「一応菩提寺のお墓に入ることになるんだからそれじゃ納骨してもらえないよ」
「じゃあそうだ、献体がいいわ。献体することに決めた。あれ家族の同意がいるんでしょ、あなた書類揃えてまた来て」
「献体は今要望が多くてキャパオーバーと聞いたよ。それより施設の話が先だよ」
堂々巡りの末、一応資産家だった祖母は、結構豪華な有料老人ホームのパンフレットを見せられて、うーんまあここなら、と渋々承知した。麻子叔母が思いつく限りの施設を見学して回って、ここならと決めてきた施設だった。
「ああよかった、あのおばあちゃんがよく承諾してくれたわ」
頑固一徹のわがままお婆ちゃんの介護を恐れていた母は、その決心を聞いて心底ほっとした声を出していた。
ところが。
その施設がまた祖母には大変気に入らなかったらしい。
鬼電はそのころから始まった。当然、麻子叔母も巻き込まれていた。
『写真で見たのと印象が違うわ。個室も狭いし、私物だってたいして置けないじゃないの。ヘルパーさんも感じが悪いし、ラウンジのグランドピアノをへたくそな爺さんが弾きつづけてたまったもんじゃないわ。
それと窓が小さすぎるわよ、十五センチぐらいしか開かないじゃない』
「それは転落防止のためだよ、仕方ないよ」
『お酒だって一滴も飲めないのよ。一生こんな生活なら、死んだほうがましだわ』
「お酒が駄目なのは当たり前です。何で病院送りになったかわかってる?」
父はこのやりとりを、何度繰り返しただろう。
『窓が開かないのになんでベランダがあるのよ』
「非常時にヘルパーさんが出してくれるんだよ」
『手が足りないわよ、火事になったら焼け死ぬしかないじゃない。ここは牢獄よ。せっかく気楽な一人暮らしで余生を楽しんでたのに、親を牢獄に閉じ込めて何とも思わないの?あんたってそんなに冷たい息子だった?』
「冷たかないよ。病気の母を持つ息子なら誰だって言う当たり前のことを言っているだけです」
『あなたここにきて閉じ込められてごらんなさいよ、どんなにつらいかわかるから』
「じゃあ明後日の土曜日に面会に行ってあげるよ、それまではおとなしくして。達也だって大学受験を控えてるんだし、落ち着いて勉強させてやりたいんだよ。夜中や明け方に電話かけてくるのは非常識だってことぐらいわかるだろ」
『あなたが声をひそめればいいだけよ、トイレにでも入って話せばいいのよ』
「僕を寝させない気? 毎朝六時に起きて会社に行ってるんだよ?」
『麻子が音を上げてるから電話は僕が引き受けるってあなた言ったじゃない」
「そりゃそうだよ、あっちはお姑さんの家に泊まりこんで介護してるんだよ?」
『大人しく施設に入ればいいのに我儘なお婆さんねえ』
八重子お婆ちゃんこそ施設に入ってはいるが全然大人しくはない。電話は一度かかってくるとゆうに一時間に及ぶ。どうしたらこんなに強くて迷いがなくて我儘な年寄りになれるんだろうと、気の小さい達也はむしろ羨ましく思った。
達也は地味な容貌で、目が細く、高校一年まで見事なニキビ面だった。勉強ができないわけではないが、理数系はとびぬけているのに国語がとにかくダメだった。数式はかなり難しいものでも解けるのに、文章題となるとお手上げだ。何を聞かれているのか、問題文が咀嚼できない。運動音痴で、友達と言えば地味なゲーム友達ぐらいだった。
そこへいくと、四歳上の姉さやかは完ぺきに近かった。アイドルというよりモデルのような美しい容姿、歌もうまく、絵の才能も飛びぬけていて、できない教科がない。友達も多く、幼いころから姉は、母方の祖母、澄子と八重子お祖母ちゃんの自慢の種だった。
「まあ、何をやらせても駄目なうちの娘からこんな子が生まれるとは私も思いませんでしたわ」とお正月の集まりで母方の祖母が言えば
「あら奥様、わたくし容姿ではいつも周りからおへちゃとばかり言われてましたけど、遺伝を考えて容姿だけで主人を選びましたのよ。夫はとにかく鼻の高い美男で、まあ早死にしてしまいましたけど、その選択が間違っていなかったことを、さやかちゃんに教えられている思いですの」
そして、達也のことはほとんど祖母たちの話題に上ったことはなかった。
両親は平等に自分も姉も親として愛してくれたとは思うが、さやかの「お祖母ちゃん」二人は、競って彼女におもちゃやドレスや靴やコートを送り、誕生日には達也より明らかに多い「現金」を渡してご機嫌取りに精を出した。
母方の祖母、澄子お祖母ちゃんが心不全で亡くなってからは姉は八重子お祖母ちゃんひとりの「人生へのご褒美」になった。
自分がプレゼントした服を着せて、私の知り合いがシェフをやっているお店に行きましょうと、やたらフレンチのレストランに連れまわす。そして、全然似ていないけどこの子が孫ですのよと散々自慢し、シェフからは姉は特製のデザートやジャムをお土産にもらってくる。
あるときうっかり、達也は祖母の前で口を滑らせた。
「みんなが言うほど姉ちゃんって美人だとは思わないけどな。せいぜい中の上じゃないの」
八重子お祖母ちゃんはきっとした目つきになって言ったものだ。
「達ちゃん。あなたがそう感じるのはあなたの勝手だけど、人前でそういうこと言うと恥をかくわよ。誰が見てもさやかちゃんは美人なの。び・じ・ん。あなたの口からそういうこと言うと、見比べて笑われるわよ」
いくらもの言いがはっきりしたお祖母ちゃんとは言え、この時ばかりは達也はむっとした。黙り込んだまま返事もしなかった。
祖母が帰った後、「お祖母ちゃんがさやかをお気に入りなのはわかるけど、あれは言い過ぎよ」と母がむくれると、父は「ああいう人なんだよ、誰もなおせないんだから仕方ない」と答えるだけだった。
姉はと言えば、「わたしフランス料理って好きじゃない。なにかというと、こんな子が孫だとは思えないでしょってどこでも同じ話されて、正直恥ずかしいのよ。達也、次はあんたがかわりに行って」と不快そうな顔をしている。
「呼ばれてないのにどうやって行くんだよ。第一僕だってフランス料理もお祖母ちゃんも苦手だ」達也はそう答えるしかなかった。
家族のことだって親戚のことだって、好きでいたいに決まっている。
家に帰ってアルバムをめくれば、自宅の大きな鯉のぼりの下で、まだ赤ちゃんの頃の自分を抱いて満面の笑みの祖母の写真がある。
母が、産院で生まれたばかりの自分を抱いて、お乳をやっているそのそばで、うつむいて嬉し涙を流している写真もある。
けれど、成長していくにつれ容姿や個性がはっきりしてくると、幼児のころは平等に注がれていた愛情が、はっきりと姉の方に流れ込んでいくのが分かるようになった。
それでもたいして気に止めずに済んだのは、両親がたっぷりと愛情をかけてくれたのと、姉が、喧嘩の合間に
「あんたってスタイルいいから大人になったらスーツが似合うようになるよ」
「理数系はとびぬけてるから、理系の大学にいって院を出れば、就職は絶対勝ち組だね」と、けっこう自分を評価してくれたおかげかもしれない。
だが、存分に愛されていたはずの姉も、八重子お祖母ちゃんに対する評価はあくまで冷ややかなものだった。
「あのひとはお祖母ちゃんというより、八重子、という名前の特別な生き物だと思ってる。一人で生きて、一人で死ねる人。ていうかそうして生きなきゃダメな人。自分の考えがいつも一番だと思って人の意見を聞かないし、相手をすると聞き役に回るしかないから、一緒にいると苦痛でしかないのよ」
「よくわかるよ。絵や織物、焼き物、どれを見てもすごいんだけど、芸術家独特の変人要素だけでできてるような人間なんだよな」と父は頷く。
とにもかくにも文句満載で施設に入り、ひと月ほどすると鬼電がぱったりかかってこなくなった。ああやれやれだ、と父がほっとしてしばらく後、お祖母ちゃんの施設から父に連絡が入った。八月の終盤だった。
「二週間前から、ゼリー程度しか召し上がっていません。お身体も弱って意識ももうろうとしています。ご本人の意思で、口からものを食べられなくなったら点滴すらもつながないで自然に任せてほしいと入所時に言われています。それでいいでしょうか」
「はい、それでお願いします」父ははっきりと言った。
「それですと、体がもつのは大体あと十日間ぐらいだと思われます。既にほとんど意識がありません。お会いになりたいご家族は今のうちにおいでください」
そのことは父の口から家族に伝えられた。
母は複雑な表情だった。実は母は祖母との折り合いが悪かったのだ。母はさやかが生まれるまで、売れないながら幻想小説の類を書いて多少の原稿料をもらっている売れない小説家だった。が、子どもを二人産んでからぷつりと筆を折ってしまった。
「こんな素晴らしい命が目の前で育っているのに、あんな戯言みたいな小説、もう書く気にならないわ」と言って。
八重子お祖母ちゃんにはそれが大いに気に食わなかったらしい。
もう書かない宣言を聞いて、孫の顔を見に訪れた八重子お祖母ちゃんは、ずけずけと言い出した。
「子どもは子ども、才能はあなたの人生の宝よ。それを引き換えにするなんて。男でも女でも同じ、何事も生み出さない人生なんて生きる価値ないわよ」
「そこまで言われる義理はありません。お義母さんはお義母さんの人生を生きてください。これからどう生きようと私の自由です、書きたい時が来ればまた書きます」
「そうなの、仕事をやめる言い訳にされた子供たちはきっとあとで残念がるわよ」
以後、母は祖母と顔を合わせるのを避けるようになった。
ある秋の日、祖母から手紙が来た。
「お正月とかお盆とか誕生日とかいうイベントは来年から、私のカレンダーからなくすことにしました。毎日が平日です。お互いかかわらずに気楽に生きましょう」
まるで絶縁宣言のような内容だった。
父が電話で確認したところ、
「誕生日だから、母の日だからってプレゼントをくれたり、お正月だからって私を招待したり、そういうの一切なしにしてね。あなたも用もないのに私の家に来ないでちょうだい」とはっきり言ったという。
奇しくも、姉の言った通り、「一人で生きて、一人で死ねる人。ていうかそうして生きなきゃダメな人」を祖母は実行したのだ。
まるで予言のようだなと、達也は思った。