《 第四章 》こんがらがって、溶けた答え(1)
ご機嫌な美樹のとなりで、わたしは只管に自分のごにゃごにゃしたものをひた隠して笑っている。
最近、わたしはお昼ご飯を美樹とではなく、時也と摂ることが増えた。ある日、時也に「無理してない?」と問いかけられたから、「これが一番楽でいいの」と答えた。そうしたら、双葉らしいやと時也は笑っていた。
「こういう時ってさ、自分がしたいようにしてればいいのかもねえ」
「そうだね、そう思う。だから無理はしてないの」
これは半分嘘だ。美樹に隠していることはなんら大変ではない。ただ、ごにゃごにゃしたものはわたしを苛ませる。ご機嫌に美樹が笑っているから、わたしもとなりで笑っていられるのは事実。どうあっても、わたしは美樹のことも正兄のことも大好きなのだ。嫌悪と嫌いは遠いところにあるのかもしれない、意味合いが同じでも。結局、どこかで嫌悪感を抱いて、わたしの目に映るふたりは今までと少し違って見える。そんな自分がなんだか嫌だ。
大人っぽい美樹が、本当は大人なのだと知った。
正兄が、ひどく普通の男の人なのだと知った。少し異色かもしれないけれど。
わたしは子供だ。時也に、あの時の2人のようなことを求めようとは思わない。わたしたちはまだ大人ではないし、現状に満足している。今のわたしは、時也がくれる優しいキスで満ちることができる。それだけで、充分に幸せだ。
廊下で美樹と正兄がふたりで話しているところを見かけた。
本当だ。美樹の頭を正兄が撫でた。誰もいないわけじゃないところで。
もしかしたら、優等生の美樹は、性格もあり周りから一目置かれているから、誰もそんなに気にしないのかもしれない。一部の噂、火のないところから煙が出るはずはなく、火となるものはちゃんと存在していた。
なんだかわたしは悲しくなった。兄を取られた気分とは違う。わたしに接する時と違うまるで大人らしい顔をしている正兄。そんな大人と同等に微笑む美樹。特別だと言っているようなものだ。噂が贔屓で止まっているならまだいい。贔屓で見られているうちは。
ふたりはなにも隠そうとしていない、きっと。それなのに、わたしには隠していた、全て。美樹が初めてうちに来た時に言った相思相愛、あの真剣さは、もしかしたら正兄に恋をしてしまった顔だったのかもしれない。そんな風に思えてくる。
三人で話す時のふたりの姿しかわたしは知らない。いつもふたりがふたりきりで話す時の姿を知らない。一体、いつからふたりはこういう関係になったのだろう。気にならないといえば嘘だし、気にしたくないとも思う。
ふたりの距離感はわたしと居る時よりもずうっとずうっと近いように映る。
お昼休み、いつもの場所は流石に寒い季節になってきたから、時也とわたしは使われていない教室でお昼を摂る。机と椅子は一箇所に纏められていて、がらんとしている。まるで学校にふたりきりになってしまったようなちょっと不思議な感覚。そいうい理由で、この教室はカップルに人気である。早い者勝ちだ。
ピーナッツバターのパンを齧りながら、時也が「ほらね」と言った。その通りだったから、わたしは「うん」と頷いた。
わたしの昼食はお母さんの手作り。お父さんも正兄も一緒だ。
「ていうか、贔屓を越してるようにしか見えなかった」
思ったままにわたしは言った。
「俺も。小野川が双葉の親友だって知ってたし、先生と小野川が私的にも親しいこと知ってたからさ」
時也はそう言った。わたしは一番近くに居たのに、どうして気付けなかったのだろう。
心の中で、ぐしゃりとなにかが捩れたような潰れたような絡み合わないような音がした。頭の中はごにゃごゃだけれど、心の中で起きていることはごにゃごにゃとは違う。
「双葉?」
自然とお弁当を食べる手を止めていたようだ。呆れたように時也に声を掛けられた。
二つ目のパンを食べ終わった時也が「双葉はさあ」と言った。
「いっつも最初はひとりで悩んじゃうね。俺にならいつなにを言ってもいいのにさあ」
「え?」
なにを言われているのか、わたしは最初わからなかった。
「双葉の癖。なにか考え込んでいる時ってさ、動きが止まってちょっと俯く。そんでさ、最後に答え見つからなくてどうしようって顔するんだよね」
「そんなに考え込んでた?」
「うん。双葉らしいっちゃらしいけど」
わたしは今の自分が嫌だ。時也がそんな風に言ってくれても、自分らしいとは納得できない。確かに最近そんなことが多いけれど。そして本当にいつも答えが見つからなくてごにゃごにゃごにゃごにゃ落ち着かない。
「大丈夫だよ」と、時也がわたしの頭をぽんと撫でた。思わず「え?」と返してしまう。
「なにが大丈夫、なの?」
「双葉はが気にすることないってこと。あのふたりがそうしたくてしてるだけだもん」
「うん……」
でもどうにもならないものもある。無意識に、色々と気になってしまう。
「気になっちゃうのは仕方ないけどさー」
わたしの心を読んだように時也が言った。
ある晩、兄に今の彼女はどんな人なのか訊いてみた。そしたら正兄は「いないんだよ」と苦虫を潰したから、わたしは仕方なく笑った。嘘、本当は美樹という素敵な彼女がいる。
「じゃあ、好きな人は?」
そう訊いてみたら、正兄は「うーん、なかなかなあ」と言った。
ふと、この間時也にお母さんが言っていた言葉が頭を過った。わたしがこんなんじゃなかったら、正兄は話してくれるのだろうか。こんな子供っぽくなければ。
「時也くんが羨ましいよ」
と、正兄が言った。嫌そうな、でも嬉しそうな、微妙な顔で。
「結構理想的な恋愛してると思うんだよね」
そんな風に言われると照れてしまう。なんだかむず痒い。
正兄も、わたしたちみたいな恋愛がしたいのだろうか。美樹との関係はそういう風ではないということなのだろうか。よくわからない。
「双葉?」
時也が言っていたわたしの癖が出てしまったようだ。
「双葉、多面性て言葉あるでしょ」
「うん」
「時也くんてさ、そんなもの持ち合わせてないようにのんびりであっけらかんとしてていいよね。人間なんてみんな持ってるものなのにさ」
そう言った正兄は、時也のことが羨ましいような顔だった。本当に羨ましいのだと思う。正兄には隠しごとがあるから。わたしもわたしで隠しごとを抱えている。知らないふりして正兄と話す。まるで変わっていないように話す。
訊いてしまえばいいのかもしれないけれども、結局わたしは正兄に王子様でいてほしいのだと気付いた。知ってしまったけれども知りたくない。これ以上はまだ知りたくない。他にどんな正兄がいるのかなんて。知ってしまったものは差があり過ぎてごにゃごにゃしていても。
正兄の言った多面性という言葉、よくよく考えると、わたしは今まで気にしたことがなかった。美樹と正兄のことも、それに当てはめようとしなかった。もちろん、時也のことも。そして自分自身のことも。
「ねえ、正兄」
わたしは聞いてみることにした。
「わたしにもそういうところある?」
「そりゃ、あるよ。今の双葉と学校での双葉、全然違うもの」
「そうなの?」
気にしたこともなければ、考えたこともない。わたしはまっすぐが好きだ。ひとつだけのわたししか見てこなかった。いろんなわたしがいるってことだ。いろんな顔のわたし。なんだかそれは、わたしを悲しくした。震え出しそうなくらいに。
「……いやだ」
手をぐっと握りしめて、そのあと、そんな言葉を呟いていた。くぐもった声で。
「双葉?」
そうしてわたしは「わたしはわたしがいい!」と駄々をこねるように強く言っていた。
正兄はわたしの言いたいことをきっと理解している。理解した上で、「双葉は双葉だよ」と言った。