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初出勤の日から二週間が経過した。
メロンパンを改良し、五日前から売り始めたは良いものの、口コミが口コミを呼びメロンパン目当ての客が大勢押しかけパン屋は繁盛していた。嬉しい悲鳴だ。
「申し訳ありません、実はメロンパンは朝の時点で完売致しました。また明日も販売いたしますので整理券をお配りしますね」
最初はメロンパンが完売したことに腹を立てる客が多く、店長が困っていた。
そこで、整理券について店長に相談したところ目を輝かせて制度を導入してくれた。
貴族用は色を分け、特別感を演出して機嫌よくお帰りいただく。
「ありがとうございました!」
そんな日々にも慣れた頃、店長からお使いを頼まれた。
「ものすごい売れ行きで卵と砂糖とバターが不足していてね、買ってきてくれないかい?」
「はい。どこで購入すれば良いですか?」
「テオくんの店でお願いできるかな」
「了解しました」
「これ、地図だよ。徒歩十分くらいだから十二時までには戻ってこられると思う」
「ありがとうございます。いってきます」
店長に手を振って店を出る。
テオは店を構えているのか。考えれば普通だが、配達専門な気がしていた。
しばらく地図に沿って歩いていると、人が増えてきた。近くの学園の生徒が昼休憩に街に足を運んでいるのだ。見覚えがある制服に見入る。よくパン屋にもきてくれる学園の生徒たちだ。
ぼうっと眺めていると、制服姿のライオスを見かけた。その隣にはゲームの主人公であるレオンハルトとその婚約者のエミーリアがいて談笑しているようだ。
そうだった、大人っぽくて忘れていたけれど、ライオスは学生だった。といっても成人した後のコネ作りと人間関係の構築がメインだから私よりは年上だけど。
十五歳で成人のこの世界では、学園生徒は前世で言う大学生みたいなものだろう。
若いのに大変ねとしみじみしていると、隣から「あれっ、クロエ?」と話しかける声が聞こえた。
「あっ、テオ兄」
テオとはこの二週間でかなり仲良くなった。それも彼の素直で明るい性格のおかげだ。今では兄と呼ぶほど慕っている。
「この時間に店にいないなんて珍しいな。どうしたんだ?」
「実はおつかい頼まれたの」
「そうだったのか!」
はははっ、と明るく笑って私の背を叩く。
「何が必要なんだ?」
テオが私の顔に自分の顔を近づけてメモを覗き込む。
その瞬間、言いようもない奇妙な感覚に囚われた。なんだ、この感覚は。思わずキョロキョロと辺りを見渡すと鋭く睨みつけるライオスと目が合った。
(こっち見てた……?)
咄嗟に視線を逸らす。その少し嫌な気分はテオの店を離れる時まで私を付き纏った。
◇◇◇
「早く家に帰るんだよ。店の戸締りはよろしくね」
「はい。すみません、無理言って。もう少し練習していきます」
店長は心配そうな表情をしつつも定時で家に帰っていった。
かく言う私はパン作りの自主練と称して居残りをさせてもらっている。
「よし!やるぞ」
メロンパンの味をもっと現代に近づけようと模索し、気づけば二時間が経過していた。
「よし、今日はこれでおしまいかな」
部屋で食べるようの賄いのパンを紙袋に入れ、手を洗っているとまた背後にライオスの気配がした。
「……あの、なんでここにいるんですか? いつからいたんですか? 何してるんですか?」
手元を覗き込むように私の背に立つライオスに、視線を向けずマシンガンのように質問する。
「クロエの顔を見ているんだよ」
何故か後ろから抱きしめられるような形で彼はきょとんとした表情を見せ、左手をお腹に回し、私の肩に顎を乗せて、曖昧に答えた。
「もう上がるので、離れていただけますか?」
「僕も手洗いたいんだ」
「勝手にどうぞ」
「クロエちゃん、辛辣。僕も貴族なんだけどなぁ」
微笑を張りつけて、私を試すような視線が気持ち悪い。
「そういえばさ、今日の昼、街にいたよね。一緒にいた男、誰?」
ねっとりした声にぞくりとして、身体が硬直する。へらへらとした雰囲気なのに、ナイフを間近で突きつけられたような、そんな感覚。今日の昼間の感覚だ。いや、きっともっと危ない。
すぐになんとも思っていないような顔を作る。
「あぁ、テオ兄のことですね。ここのお店の仕入れ先の方です」
一瞬、沈黙が支配する。
「あー、そうだったんだ! ごめんね、勘違いしてたよ」
危険な空気が霧散し、ライオスは満面の笑みを浮かべている。機嫌が戻ったようで、バレないようにほっと胸を撫で下ろす。
彼が蛇口をひねって水が流れる音が、張り詰められた空気を流していく。
「水って何でできているんだろう」
ライオスは唐突にそうつぶやいては、水を掬って、じっと眺めている。
先ほどの緊張で少し緩んでいたのだと思う。私は彼に背を向け、作業台を片付けながら口を開いた。
「あらゆるものは原子からできています。水も例外ではありません」
その一言は、ライオスの心を刺激したのか、強い視線が私の背中に刺さるのを感じる。
「…………なんですか?」
「なんだ、そのげんし? と言うものは」
目をきらきらとさせて身を乗り出すライオスに、言わなきゃよかったなぁと過去の自分を悔いた。
「夕食を食べながらでいいなら、お話しします」
そう言うとライオスは満足げに頷いて椅子に座った。徐に向かいの席に座り、さっき作ったばっかりのメロンパンを勧める。自分だけ食べているのは気まずい。食べたのを確認してから夕食用のパンに齧り付き、原子論を説いた。
「へえ、なるほど。そんな考え方があるのか」
納得したライオスが頷く。疲れた、丸一時間かかった。もう二十時だ。早くシャワー浴びて寝たい。
「良かったです。理解されたようなら、私はこれで」
「うん。引き止めちゃってごめんね。クロエはこの考え、自分で考えついたの?」
全然違う。けれど、別に考えた人がいますと言ったら、その後の追及が面倒そうだ。
「はい、私が考えました」
そっか、そうつぶやいた彼の視線が、ひどく熱を帯びる。視線が絡むと、全身が粟立っていった。
ライオスの瞳が黒から赤へと変わっていく。私を求めるように、彼の瞳は私だけを映している。
──不味い。そう思った時にはすでに遅かったのかもしれない。
ライオスはわたしをみつめると、蛇のようににやりと笑った。
◇◇◇
その日の夜。
──カサッ。
(ん?)
少し物音がして目が覚めた。ぼんやりとした頭で目を閉じていると、明らかに人の靴音が響く。
家に侵入されたかもしれない、そんな緊張感でどっと冷や汗をかく。
薄目を開けておそるおそる確認すると、ただ私を見下ろしているライオスの姿を確認した。
(え、気持ち悪い)
どうやって入り込んでいるのだろうか。もしかして従業員部屋の鍵ってスペアでもあるのたろうか。聞きたいことは山ほど出てくるのに、寝たフリを続けることしかできない。
かなり視線を感じるけれど、直接私に何かしようという気はないのかもしれない。
怖いけど、明日も早朝から仕事がある。
よし、寝よう。ストーカーに構っている時間はない。
そう決意して目を固く閉じると、いつの間にか寝てしまったようだった。
◇◇◇
翌朝。
目が覚めると辺りを見渡して、ライオスの残像を探す。
昨日のあれなんだったのか。ほんとうに怖かった。ライオスったらまさか、寝首かこうとしているかもしれない。
その可能性は、かなりある。少しの間、布団にくるまって辺りを警戒するも、ライオスは影も形もなかった。
護身用のグッズとか家にないし、どうしようか家を物色していると、机の引き出しからペーパーナイフが出てきた。殺傷能力は低いけれど、今一番の最高勢力だ。取り出して、そっと枕の下に忍ばせた。