【8】
ユリエルさんとの待ち合わせ場所である軌道エレベーター下の西口広場前の時計台……が見えるコンビニに6時40分ごろに到着した私は、それから20分くらい適当に店内をフラフラしながら商品を眺めたり興味のない雑誌を手に取ってみたりしながら時間を潰していたのですが、その動きが余りにも不審者然とした動きだったのか店員さんに睨まれてしまい……適当にヘラリと笑ってからお店を出る事にしました。
刻一刻と待ち合わせ時間が近づくたびに頭の中では悪い予想だけがグルグルと回り、もしかしてメルクリウス号の試乗会すらユリエルさんとスコルさんが仕掛けたドッキリじゃないかとかありえない妄想まで浮かんで来たのですが、そんな悪い考えを追い払うように大きく息を吐き、私は日陰のある場所でしゃがみ込みました。
降り注ぐ夏らしいチリチリした日差しはシャボン玉のような色をした気温管理用のフィルターに緩められており、どこかその辺りに残っていた夜の涼しさと共存しているような時間帯ではあったのですが、それでもキンキンに冷えたコンビの中から出た後ではジワリと汗が滲み、私はサングラス越しにサンサンと照り輝く太陽を見上げながら目をパチパチと瞬かせて、焦点を合わせます。
人、人、人、怖い怖い怖い怖い。
通り過ぎる人混みを見ているより緊張しないだろうと無意識に太陽の揺らぎを眺めていたのですが、それはそれで何か足早で通り過ぎていく人達が私の事をチラチラと見てきているような強迫観念に襲われてしまいますし、気分が悪くなってきて眩暈がしました。
というより軌道エレベーターの下は日曜日だというのに……というか日曜日だからなのか、当然の如く今時のナウでヤングな服装をした人達溢れていて、それと比べると今の私はまるでどこかの田舎から出て来た幽霊のようです。
そんな風に何かもう自爆気味に気持ちが落ち込むのですが、とにかく一度時間を確認してみると……まだ7時でした。
人混みの中待っていなければいけない事を考えると、もう少しギリギリに到着するようにしておけばよかったのですが、それはそれで例えばバスの到着時間がたまたま遅れたり、うっかり反対方向に向かうバスに乗ってしまったり、引ったくりにあったり、急にお腹が痛くなったり、荷物を沢山持っているご老人が横断歩道で困っていたりと、そういう色々な可能性を考えて早めに家を出たのですが……一切そういうトラブルに会う事無くスムーズに到着してしまい、時間を持て余してしまいました。
(ユリエルさんは…)
そしてもうすぐユリエルさんが来ると思うと興奮と同時に息が詰まりそうになり動悸が速まるのですが、改めてリアルだとどんな人なのか心配になって来て、どうしていいのかわからなくなって、硬直してしまいます。
ここまで来たら勇気を振り絞るだけなのですが、呼吸が不揃いになり、嫌な汗が流れ、このままお互いを見つける事が出来なければ良いのになんて事を考えてしまうのですが……ユリエルさんは「多分見つけられると思いますよ」と言っていました。
その確信に満ちたような言葉の根拠はよくわからないのですが、念のため「鞄か何かにハンカチでも巻いておきますか?」という事で目印を決めておいたのですが、これだけ人が居たら見つからないという可能性もある訳で、このまま見つからなくてもいいなと思っていると……空気がザワリと揺れたような気がします。
成層圏に展開されている特殊フィルターによって大気成分は調整されているので、よほどの事が無ければいきなり空気が変わるというような事は無いのですが、何となくザワつく方向に視線を向けてみると……そこにはユリエルさんがいました。
ユリエルさんです。
いえ、髪の色は何時ものピンク色ではなくてダークブロンドになっていたのですが、本当にまるっきりブレイクヒーローズと同じ姿で、その周囲だけがゲームの世界であるようにくっきり奇妙に浮かび上がり、特別で夢のような世界をお1人で作り上げていました。
それくらい存在感のある同年代の美少女が待ち合わせ場所に向かって歩いて来ていて、おっぱいが揺れていて、そんなスタイルの良さを見せつけるように着ている服はピッタリと身体に張り付くミハラ工業製のナノスキンであり、そういう技術資料には目を通している私が見覚えの無いデザインの物なので、もしかしたらそれは高級車が一台まるまる買えるといわれている完全オーダーメイドのオートクチュールタイプなのかもしれません。
そしてその上には同系色の軽い感じの多目的ジャケットを羽織り、殆ど装飾に近いミニスカートを履いてと、ユリエルさんは自分の魅力的なスタイルを前面に押し立てた蠱惑的な服装をしていたのですが、それが決して下品にならないように着こなしているのがまた凄いと思います。
肩から掛ける鞄やつけているアクセサリーも高そうなブランドの物で、それを当たり前のように着こなしているユリエルさんって、実は結構お金持ちなのでしょうか?
「う、うわぁ、ぁああ…」
有名人やアイドルは光り輝いて見えると言いますけど、ユリエルさんの存在はまさしくそんな感じで、それが夢や幻でないという事を示す様に周囲の人達も騒めいていました。
そしてそんな騒めきは日常茶飯事なのか、ユリエルさんは特に気にした様子なく涼しい顔をしたままスタスタと待ち合わせ場所にやって来ると、時計台の時間を見た後に視線だけ動かして周囲を見回していたのですが……私はそんなユリエルさんの一挙手一投足に魅了されてしまったように呆然としたまま見つめ返してしまい、視線がぶつかった瞬間にあまりにも自分の姿がみすぼらしい事を思い出してしまい、恥ずかしくなって意味もなく顔を隠してしゃがみ込んでしまいました。
(ユリエルさんだ、リアルユリエルさん…凄い!)
本当なら待ち合わせ相手が来たのだから声をかけなければいけないのですが、私のアバターなんて理想とする凛々しいお姉さんっぽい姿をしていたりと現実の私と比べると背伸びをしている事が丸わかりで、それなのにユリエルさんはあまりにもゲームと同じ姿のままで、その違いに今更ながら私は何かとても恥ずかしい事をしているような気になってしまい、よくわからなくなってしまいます。
(無理無理無理、このまま仮病を使おう、何か頭もクラクラしてきたような気がするし)
ユリエルさんがあまりにもユリエルさんすぎてもうよくわからなくなって、このまま見つからないうちに逃げ出そうと画策していると、蹲る私に対して律動的な足音が近づいてきたと思うと……ユリエルさんが声をかけてきました。
「グレースさん…ですよね?」
しっとりと響くような耳に心地よい音色は夏の日差しよりクラクラするのですが、頭上からかけられた声は確かにユリエルさんのもので、何で惨めで何もない私に気がついたのかという疑問符が頭の中を跳ねまわります。
「は、はひっ!」
それでもその声に促されるようにガバリと立ち上がると、勢いよく立ち上がりすぎてピョンと跳ねてしまって、ユリエルさんには笑われてしまいました。
「ああ、よかった…一瞬人違いかと思ったんですけど、待機モーションが似ていましたので」
それがゲームの中と一緒すぎてつい笑ってしまいましたとクスクスと笑うユリエルさんの困ったような笑顔がいつも通り過ぎて、奇妙な行動になってしまっている私の事を当然のように受け入れてくれて、当たり前のように見つけてくれて、ただそれだけの事で胸の中が一杯になってしまいます。
「すみまっ、せ…ごきげんうるわしゅう…その…」
もうこうなると挨拶をすればいいのか謝ればいいのか、頭の中でグルグルと言葉が巡りながら出て来たものを片っ端からそのまま口に出していると、混乱する私を落ち着かせるようにユリエルさんはそっと手を繋いでくれました。
「とにかくここから離れますよ…出発時間もありますから」
との事で、会話するにしても軌道エレベーターの時間もありますし、ここまで来てメルクリウス号の出発時間に間に合わなくなったら馬鹿らしいですからね、まったくもってその通りなので私は大きくコクコクと頷いたのですが、それから歩き出そうとして改めて周囲を見ると……私の口から小さく「ヒッ」という悲鳴が漏れてしまいました。
(めちゃくちゃ見られてる)
考えてみたらこんな綺麗なユリエルさんが近くに居るから当たり前なのかもしれませんが、今まで一度も体験した事のないくらいの視線が私達に向けられていて、何人かが声をかけようというようにこちらを指さして何か話し合っていたりして、遅れて背筋が凍りつきガタガタと震えが来てしまいます。
「あ、あひょ…」
それでもユリエルさんはこういう事にも慣れているのか、声をかけようとしてくる人達を上手く避けて軌道エレベーターの乗り口に向かい、私はまるで夢の中のように足元がおぼつかないままフワフワとついて行くだけなのですが、軽く走った事で汗ばむユリエルさんの髪からは良い匂いがして、繋いで手が温かくて、よくわからないままのぼせ上ってしまいました。
そんな柔らかなユリエルさんの手の感触に、不意にお婆ちゃん達から送られて来た箱の中身の事を思い出してしまったのですが……私はすぐにその事を頭の中から追いやります。
(ないない、そんな事…)
私とユリエルさんがくんずほぐれつなんて事になったら幸せすぎて死んでしまうのかもしれないのですが、そうでなくても何かもう死にそうです。
「少し速かったですか?」
「いへぇっ、そんな事は!」
私があまりにもノロノロとした足取りだったからか、手を引いてくれていたユリエルさんはそう訊ねて来たのですが、いきなり迷惑をかけてしまった事に血の気が引きました。
というのも私はグループ行動とか集団行動とかが苦手で、どうしても遅れてしまう私に向けられるのは迷惑そうな視線と嘲笑の笑みばかりで、そういう出来事が若干トラウマになっていたのですが……振り返り確認を取るユリエルさんの様子はいたって普通です。
「すみません、時間的にはまだ余裕があるのですが…ああいうのに捕まると厄介なので……大丈夫そうならこのまま振り切りますが?」
「は、はひっ!大丈夫です!!」
「わかりました、じゃあ…行きましょうか」
ユリエルさんからすると当たり前の事なのかもしれませんが、こうして嫌な顔一つせずに説明してくれながらも私の事を気遣ってくれるところが本当に何時ものユリエルさんで、その事が何故か泣けてくるくらい嬉しくて、ずっとこの手を握っていたい思いながらその手をギュッと握り返し、私はユリエルさんの歩みに遅れまいと必死に足を動かし始めました。
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