【11】
ぼんやりとした意識が浮上してきた後に見えたのは清潔そうな真っ白い天井と、部屋を仕切る為のカーテンでした。
調整された空調にパリッとしたベッド、薄い布団の感触をボンヤリと感じながら知らない部屋に寝かされていた事に戸惑いビックリしたのですが、まず押し寄せてきたのが罪悪感で、続いて思い出したのはメルクリウス号の事でした。
(そうだ、出発時間…)
思い出したのと同時に視界に飛び込んできたのが壁に設置されている時計だったのですが、そこに表示されている時間は無情にも『15:26』と大幅にオーバーで、私は寝坊した事への焦燥感にカッと意識が覚醒して、それからとんでもない喪失感と何か酷い空回りをしてしまっているような馬鹿らしさに脱力してしまいました。
折角スコルさんが物凄く貴重な試乗会のチケットをプレゼントしてくれて、両親も色々と準備を手伝ってくれたというのに、その結果が……これ。
勿論ユリエルさんにも多大な迷惑をかけてしまいましたし、はしゃぎ回った私が空回りして全てを台無しにしてしまったのだと思うと申し訳なさと悔しさで涙が滲みます。
「目が覚めましたか?」
そうしてぼやける私の視界の中にユルエルさんがヒョッコリと入って来て、あまりにも驚いたのでしゃくりあげる声は喉の奥で止まってしまったのですが、私はただただ申し訳なさに襲われてしまい、ユリエルさんの顔を直視する事ができませんでした。
呆れてさっさと帰られても仕方がないような事をしでかしてしまったのですが、どうやらそんな私を見捨てずにユリエルさんは一緒に居てくれたようです。
「すみま…」
それが凄く嬉しくて、謝ろうとしても喉が詰まって、色々な感情が次から次へと浮かんで来て苦しくなるのですが、そんな私の頭をユリエルさんは優しく撫でてくれました。
「横になっていてください、今人を呼びますから」
そう言ってポロポロと泣きじゃくる私の頭を撫でながらユリエルさんはナースコールを押してくれたのですが、私が起きた事をセンサーが感知したのかちょうど看護師さんが来てくれて、そのまま私の体調を調べてくれたのですが……問題なしとの事です。
「疲労による軽い貧血ね、後は単純に睡眠不足、それ以外は至って健康よ。一応お薬は出しておくけど、薬に頼りきったり若さを過信したりせずに食事・運動・睡眠の3つをしっかりとる事ね」
との事で、一応好きなだけ休んでいって良いとの事でしたが、私が倒れている間に色々な検査や処置を済ましていたみたいで、お腹は減っていたのですがぐっすりと寝た事もあり体力は回復していましたし、これ以上無駄にベッドを占領しているのも悪いので私達は早々に清算を済ませてお暇する事にしました。
因みにここは宇宙ステーションの中にある診療所であり、私達は受付でお薬代や診療代を支払う事になったのですが、このお金に関してはユリエルさんと相談してスコルさんからのお小遣いから支払う事にしました。
それが無ければ色々とピンチだったのでスコルさん様々なのですが、こんな私の失敗の尻ぬぐいに人様のお金を使うのは何か勿体ないような気がしたのですが、ユリエルさん的には「気にしすぎですよ」との事で「中途半端に残すより使い切った方がスコルさんも喜ぶと思いますよ?」とフォローまでしてくれます。
「それで、食べられそうなら何か少しでもお腹に入れておいた方がいいかと思い買っておいたのですが…どうしますか?」
そうしてこめかみのヘアピンを押さえながら時間を確認していたユリエルさんが鞄から取り出してくれたのが私が夢にまで見ていたイオンドリンクと、どこで売っているのかすらわからないグレープフルーツ味の合成栄養ゼリーでした。
「その…こういうのがお好きかと思ったのですが?」
私が受け取るのを躊躇ってしまったからなのか、ユリエルさんは「宇宙っぽい物が好きなのかと思いまして」という感じで困ったような顔をしてしまいます。
「い、いえ!ありがとう…ございます……その、ユリエルさんは?」
こんな私がイオンドリンクを飲む資格があるのだろうかと思ってしまったのもあるのですが、私が受け取るのを躊躇ったのは合成栄養ゼリーの方で、というのもこれは宙間作業船にも乗せてある非常用レーションの1つで、遭難時に食べるような物なので栄養を取る事は出来るけど味はいまいちと言われている物だったからです。
よくこんな物を見つけましたねと言う感嘆もあり、そんな事は無いとわかり切っているのですが一種の罰ゲームでしょうか?と疑ってしまった事を振り払うように私はおもいっきり首を振ってから、ユリエルさんのお昼ご飯はどうしたのかと聞いてみました。
「私はもう食べましたので」
そう言って鞄の中から食べかけの栄養ブロック食を取り出し見せてくれたのですが、それはいつもユリエルさんがゲーム内でも食べている物であり、初めてユリエルさんから貰った物で、こっちでもちゃんと食べているんだと何かまったくそういう意図はないと思うのですが、そんな小さな事が面白くて笑ってしまいました。
「ありがとうございます、その、代金は…」
「スコルさんからお金を貰っているので大丈夫ですよ、それより時間があまりありませんし、少しお腹に入れたら行きましょうか」
「それは……どういう?」
そういえば先程から時間を気にしているようですし、この後何かあるのでしょうか?
私は聞き返しながら、イオンドリンクは何となく飲みづらかったのでチューブパックに入った合成栄養ゼリーを口にするのですが……ギュッと味が凝縮しすぎている感じの、栄養ドリンクを濃縮したような味に添付されている化学調味料のようなグレープの風味が暴力的に口の中に広がってと、何とも言えない味に眉がギュッと寄ってしまうのですが、流石に栄養満点を謳っているだけあって一口で何か体が軽くなったような気がしました。
「友達が遅れそうなので午後の便に替えられないか聞いてみたところ、OKだそうです」
「……?」
私の意識が合成栄養ゼリーに向きすぎていたせいかユリエルさんの言っている意味がよく分からなかったのですが、そんな私に説明するようにユリエルさんは言葉を続けます。
「グレースさんは今回の試乗会をとても楽しみにしていたみたいですし、ICS社に問い合わせて第三便に移せないか聞いてみたんですが…特例でOKだそうです。なんでも私達くらいの年齢のサンプルが少ないみたいで「その代りしっかりとアンケートを記入してください」との事でした……ラッキーでしたね」
そんな素敵な事を言いながら微笑むユリエルさんの笑顔にまたしても心臓がギュッと鷲掴みにされたのですが、それ以外にも完全に諦めていたメルクリウス号に乗れるという事でドキドキが再燃してきて叫び出したくなったのですが、次倒れたら流石に本当に不味いのでその場でピョンピョンと飛び跳ねるだけにしておきます。
「本当ですか!?今から……って、もう、うーーあぁっ、本当に夢みたい、最高です!!」
それでも叫び声をあげてしまい、本当に夢見たいで、失敗しても許してくれる……どころか当たり前のように受け入れてくれる聖母のようなユリエルさんへの思いが溢れてきてもうどうにかなりそうです。
「グレースさん」
そしておもいっきりはしゃいでいるとまた倒れないかと心配したユリエルさんに窘められてしまったのですが、搭乗受付はもうとっくに始まっているとの事で、私達は急いで試乗会が開かれている宇宙港へ向かう事にしました。
そして肝心のメルクリウス号はというと……もう本当に凄かったです!月に一瞬で到着した時の感動やら艦内の案内時もずっと興奮しっぱなしで、ICS社から出向して来ていた職員の人達に呆れられてしまったのですが、とにかくもう……最高でした!
物凄く語彙力が低下している気がするのですが、短時間の月面周回を終えて戻って来た後も夢心地で企業ブースを回ったりパンフレットを受け取ったりと何かゴチャゴチャと買い物をしてしまったのですが……。
「落ち着きました?」
その後もずっとテンションが高いままだった私はユリエルさんを連れ回してしまい、それからふわぁーっとエネルギー切れに陥った私が気づいた時には、最上部にある展望スペースに設置されているベンチに腰を下ろしてぼんやりと頭上に広がる星々を眺めていました。
「……はい」
この第三次改装時に大幅リニューアルした展望エリアの一番のウリは何と言ってもフィルター技術の応用と13層の複合素材で形成された透明な板で覆われた展望スペースで、本物の星の光を見る事ができるというのが謳い文句なのですが、それがどれだけ凄い事かと言うと、デブリや数多くの宇宙線をこの透明な板が完全にシャットアウトしているという事で、第三次改装までは数十センチの小さな小窓しかなかった事からもその凄さはわかると思います。
そもそも第一次改装前後ではI S Sに毛が生えた程度の規模しかなかった宇宙港がここまで発展したのが凄い事で、当時はフィルター技術が未成熟でデブリ対策の為の多重積層構造にしなければいけなかったので天井はかなり低く圧迫感がある作りだったらしいのですが、今では解放感のあるドーム状の天井にはプラネタリウムのように色々な説明が載ったホログラフィックディスプレイが浮いていたりと、昔日の面影はどこにもありません。
そしてそんな場所でユリエルさんとただ星を眺めているだけで幸せで、何かもう今この瞬間死んでもいいくらいの幸福感に包まれていたのですが……。
(でも…)
ただこの幸せな時間もあと少しで終わるのだと思うと物悲しくなり、一気に現実に引き戻されたような感じがしました。
陳腐な言い回しなのですが、このまま時が止まってしまえばいいのにと思ったのですが、このままユリエルさんをホテルに誘う勇気なんてありませんし、刻一刻と帰宅しないといけない時間が近づいてきていて、私のテンションがおもいっきり下がっていきます。
「すみません、少し離れますね」
そうしてユリエルさんは何かに気づいたように近くの売店でたまたま売っていたイオンドリンクを買っていたのですが、私がその様子を見ているとユリエルさんは軽く首を傾げてみせました。
「グレースさんがとても楽しみにしていましたし、折角なので私も飲んでみようと思いまして」
私がずっと見ていていたからでしょう、ユリエルさんは隣に座りながらそんな風に説明してくれたのですが……そういえばというように、今が一緒に飲むチャンスだと私も鞄の中に入れておいたイオンドリンクを取り出します。
そうしてユリエルさんはイオンドリンクに口をつけてから少し黙り込んだのですが、その沈黙に促されるように私も一口飲んでみたのですが……何か特別な味がするという訳ではなく、本当にその辺りで売っている清涼飲料水と同じ味がしました。
一応消化吸収がし易いように調整されているらしいのですが、流石に消化吸収率まで感じる事は出来ないですし、思っていたより特別な物ではありません。
(それでも…)
私はたぶんこの時飲んだ水の味を一生覚えていると思いますし、ユリエルさんの体温を感じながら一緒に見上げた満天の星空は目に焼き付いていると思います。
「………」
たぶんイオンドリンクが特別なんじゃなくて、イオンドリンクを誰と飲んでいるのかという事の方が万倍大事で特別なんだという当たり前の事を理解したのですが……本音を言うのならこのままずっと一緒に居たいですし帰りたくなかったですし帰したくなかったのですが、20時を告げる放送が入るとユリエルさんは「さてと」というように立ち上がりました。
「そろそろ下に降りましょうか」
「……はい」
下に降りるのにも1時間かかりますし、そろそろ帰宅をと言うのは当然の流れなのですが、それでもユリエルさんも同じ気持ちなのだと思っていただけにそそくさと帰ろうとしている事が思いのほかショックで、声が罅割れます。
何か言わなくてはと思いながらも自分でも何が言いたいのかわからないくらいに頭の中がグチャグチャで、力が抜けたように立ち上がれなくて、喉がカラカラに干上がってしまい、私はもう一口イオンドリンクに口をつけました。
「ユリエルさんは…その……こ、これか…」
そして何か言わなければと、私はユリエルさんが静かに待ってくれている事に甘えてゆっくりと頭の中で想いを纏めると、えいやっと勇気を振り絞って願いを言葉にしました。
「ま、また会え……ますか?」
本当ならもっと色々と言いたい事はあるのですが、私からするとこれでも一世一代に近い勇気を振り絞った言葉で、返事を聞くまでにドキドキが酷くて口から心臓が飛び出しそうでした。
「はい、勿論…こうしてリアルで会うのでも良いですし、ブレイクヒーローズの中でも会おうと思えば毎日のように会えますよね?」
ユリエルさんは「何を当たり前の事を」みたいな反応だったのですが、その当たり前であるという笑顔にどれだけ私が救われているのか、ユリエルさんは分かっていないと思います。
「そう、ですよね…そうですよね!」
そして何でユリエルさんはスルリと私の欲しい言葉をくれるのでしょう、一緒のゲームをしているのですから会いたくなったら会いにいけば良いだけです。
(今度は…)
スコルさんの魔法のチケットが無くても、私の方から勇気を振り絞ってユリエルさんをデートに誘おうと思います。
それでせめて、次会った時は……その、き、キスくらいはしたいと思うのですが、そんな事を考えるだけで動悸と眩暈で発汗が凄い事になりました。
「は、はい、で、ではまた今度…誘います!」
ゲームはゲームでへこむ事があったのですが、ユリエルさんが素敵な女性で皆から好かれているのは仕方がない事ですし、負けてはいられません。
出来たら手を繋ぐだけではなくもう一歩、出来たらもっとその先に……何ていう考えは流石に早すぎるのかもしれませんが、今更こんな素敵な女性を手放す気はさらさらありません!
そんな決意を固めながら、時間が時間だったので夕ご飯を一緒に食べる事になった時に押し倒してしまった事をさり気なく謝っておいたのですが……タックルされる事はいつもの事なのであまり気にしていないとの事でした。
「そ、そんなに抱きつこうとしていますか?」
「ええ、感情が高ぶった時の癖なのだと思いますが、今日みたいな事もありますし、怪我をする前に少し落ち着いた方が良いと思います。あとゲームの方ですが、体の大きさが違いすぎるせいか空間把握が甘い時があるので、その辺りも注意しておかないといらないダメージを受けますよ?」
あまり自覚はなかったのですが、私は結構ユリエルさんに突撃しているようで、そんなお小言と共に注意を受けてしまいました。
ただその後に「偉そうに言いましたが」みたいに笑った顔が可愛くて、ワーッと体の内側から色々な物が滲み出して来たのですが、その事はモニョモニョしておきます。
とにかくそんな夢のような一日は終わりを告げて帰宅したのですが……大丈夫だろうかとハラハラしながら待ち構えていたお父さんやお母さんは私の浮かれ具合に驚いたり呆れたりして、それでもとても喜んでくれて、本当に今日と言う一日は私にとって生涯忘れる事の出来ない大切な一日になりました。
to be continued
※最後までお読みいただき誠にありがとうございます、ブレイクヒーローズの本編の方はまだまだ続きますが、試乗会にまつわる2人の物語は一旦ここで終了とさせていただきます。
そしてブレイクヒーローズ自体がかなり酷い目にあいやすいゲームなので色々と内容がアレですが、宜しければ本編での2人もよろしくお願いいたします。