【10】
軌道エレベーターのエントランスエリアはドーム状の天井に映し出されているリアルタイムの星々の光に彩られており、様々な案内情報が載ったホロビジョンが賑やかに辺りを照らしていました。
流れる清掃ロボットの音声や人のざわめき、宇宙らしさを演出するためにわざと流されているラズベリーっぽい香りや0.9Gに設定された体感重量が珍しいのか周りにいる人はどこか浮ついた感じだったのですが、私はそんな人混みを見て反射的に息を止め……ズレ落ちかけたサングラスの位置を調整しながら軽く呼吸を整えます。
(落ち着いて、大丈夫、大丈夫)
周囲からのチラチラと確認するような視線と何故か一挙手一投足を見張られているような脅迫概念に汗が噴き出してきて手足がカチコチに固まってしまい、こびりついたような人々の嘲笑が脳内を木霊して足が竦みました。
しかも軌道エレベーターに乗っている間ずっと喋り続けていたせいで喉はカラカラで、中途半端に座っていたせいでぶり返してきた疲労が体にのし掛かり、そんな状態で低重力下に入ったものですから脳への血流がいつもより行き届いていないような感じで、軽い眩暈までしてきたような気がします。
「それで、グレースさんの行きたいお店というのはどちらでしょう?」
何かもうかなり気分が悪いのですが、ユリエルさんは「早くお水を買って休みましょう」という感じで私を支えるように手を引いてくれ……そのご尊顔に数秒見惚れていると「どうしました?」というように小さく首を傾げられるのですが、その仕草がまた可愛くて、体温がカーっと上昇してしまいました。
「す、すみませっ、あ、は、はい!こちらでございます!」
慌てて会話を続けようとして何かよくわからない事を口走ってしまったのですが、ユリエルさんは特に気にした様子なく笑うと「焦らなくて大丈夫ですよ」というように繋いでいた手を軽く揺すります。
「では、行きましょうか」
それから軌道エレベーターからゾロゾロと降りて行く人の流れに乗って私達は移動を開始したのですが、そのタイミングでユリエルさんは微かに瞬くように目を細めました。
「だい…?」
「大丈夫ですか?」と聞こうとした瞬間、喉の奥が引っかかったような感じで変な声が出てしまったのですが、ユリエルさんは私の言いたい事を理解しようというように考え込んでから……フワリと微笑みます。
「ええ、少し明暗の差が…」
今まで乗っていた軌道エレベーターは外の景色を楽しむために開放的な作りをしていたのですが、宇宙ステーションは逆に星がよく見えるようにと少し照明を落としており、そんな所に急に入って来たので暗順応が起きたのかもしれません。
それは瞬きを一つか二つしたら治るような時間だったのですが、一緒に昇って来た人達も同じような瞬きをしていたり眼鏡型のデバイスの光量を調整したりと、普通の人からすると宇宙ステーションの中は薄暗く感じるのかもしれません。
そんな事を考えながら、私も普通の人を装おうと同じような動きをしてみたのですが……そういえばラップアラウンドサングラスをかけているので周囲から瞳の様子はよく見えないのでした。
何か無駄な動きをしてしまった事が恥ずかしかったのですが、今はユリエルさんという大切な人が隣に居るので、一人蹲ってイジイジしている場合ではありません。
「そ、それでは不肖私めが、ご、ご案内を…」
気を取り直して私は目的の店への案内を始めるのですが、今私達が居るのは受付のあるエントランスエリア……第一宇宙港の中央下部に居るのですが、構造的には放射状に伸びた通路とエレベーターを使い各エリアに行くというような形になっており、無重力を利用したアトラクションなどがある遊戯エリアや科学技術館のある学習エリア、免税店などが入っている物販系のエリアに宿泊施設のあるエリア、そして最上階にある展望エリアあたりが人気のスポットとなっています。
後は一般人にはあまり関係のない物資搬送設備及び倉庫類を除けばここが宇宙港と呼ばれている理由でもある月面へ向けた星外線や各国の宇宙ステーションとの連絡用シャトルが行き来している星内線……実はこの辺りはまだまだ発展途上で、火星開拓に合わせて星外線エリアの拡張が進んでいました。
将来的には宇宙への移住を安定させる為の学校誘致や都市機能の移転まで予定されていますし、火星に数十億人もの移住者を送るという計画に対応できるだけの設備を整えている最中で……それこそ計画だけでいいのならダイソン球形成による恒星エネルギーを利用した外宇宙進出計画なんてものまでありますし、ここはそういう夢物語の出発点ともいえる場所なのですが、現時点での宇宙ステーションの利用者の大半はアトラクション目当ての観光客であり、ただの観光スポットになっているのが物悲しくもあります。
ただ今回のメルクリウス号……正確にはそこに積まれている新型エンジンの開発が順調に進めばそれらの話が夢物語ではなくなるという物凄く歴史的な1日が今日であり、そんな事を考えているとドキドキが止まらなくなってしまうのですが、到着が早すぎたのでまだ時間はありますし、一息入れる意味合いでも夢にまで見た『イオンドリンク』を売っている売店を目指していたのですが、色々と建て増しされた宇宙ステーションの中は結構な人混みという事もあり迷子になりそうでした。
とにかくただ無言で歩くのだけはマズイと思ってそんな宇宙ステーションの意義なんかをユリエルさんに語りながら、人混みに流されるように宇宙ステーション内を徘徊する事になったのですが、何とか目指す売店が見えて来た時には安堵感と感動で何故か泣きそうでした。
「あれです、あのお店で…っ!?」
見えて来たのは駅ナカにあるようなこじんまりとした店舗で、パッケージ化した食料とかを売っているレトロな雑貨屋みたいなお店なのですが、半世紀以上昔から同じ場所にあるからか愛好者も結構多いらしいです。
そのため今日もそれなりの人で賑わっていたのですが、そんな人混みの近くではしゃいでいたせいか、勢いよくユリエルさんの方に振り返りピョンピョンと跳びはねていると、前方不注意気味の私はおもいっきり人とぶつかってしまいます。
「ってえな…」
ぶつかった男性は小さく呟きながら顔をおもいっきり顰めていたので内臓がヒュンとしたのですが、ぶつかったのが履き慣れない厚底ローファ―を履いた引きこもりの私であった為に思いの外バランスを崩しており、それを見た男性はやや気まずそうな表情を浮かべながら舌打ちを打つと、足早にその場を離れて行きました。
「……大丈夫ですか?」
そしてそんな私と手を繋いでいたユリエルさんは私がこけないように支えてくれていて、足早に歩き去る男性の背中に目を細めていたのですが……すぐに私の方に向き直ります。
「す、すみませ……」
結構勢いよくぶつかったので頬っぺたがヒリヒリして涙が浮かぶのですが、完璧に私の前方不注意が原因なので文句は言えません。
それよりこぼれそうな涙を慌てて拭い、大丈夫だというように笑おうとしたのですが……目を拭った時に、あるべき物が無い事に気が付きました。
(どっ、どっ、どっ…?)
(いったいどこに?)と急激にドキドキし始めた心臓に涙が引っ込んでしまったのですが、私は脂汗をたらしながら視線を下げてキョロキョロしていると、探し物は近くの床の上に転がっていました。
「ああ、これですね……大丈夫ですよ、壊れてはいないみたいです」
「あ、ありがとうござい…」
そうして私が床に落ちているサングラスを見つけるのと同時にユリエルさんも落とし物に気づいて拾い上げてくれたのですが、差し出されたサングラスに手を伸ばした瞬間私は無意識に顔を上げてしまい……私とユリエルさんの視線がパチリと合ってしまいます。
(あ…)
その瞬間頭の中が真っ白になり固まってしまったのですが、脳裏に浮かぶのは「化け物」と言われた時の記憶と嘲笑で、勿論中には私の瞳の事を「綺麗」だと言ってくれた人もいるのですが、そういう人達の中にあるのは「自分達とは違う」という線引きです。
どんなに頑張ってもお前は人間にはなれないのだと言われているような疎外感に色々と諦めてしまい、ユリエルさんにもしそんな反応をされてしまったら……そんな事を考えてしまって、頭の中がぐちゃぐちゃになって、呼吸が早くなりました。
その間も心臓は痛いくらいにドキドキして五月蠅いくらいなのですが、頭や手足の指先からは血の気がサーっと引いたように冷たくなっていて、私は瞳をキョロキョロとさ迷わせた後に慌てて目を覆いながらユリエルさんから視線を外します。
そしてそんな不審者みたいな動きをしながら固まってしまった私に対して、ユリエルさんは拾ったサングラスを差し出しながら……。
「グレースさんって、ルナリアンだったんですね」
そんな風に、まるでそれが当たり前の事であるように微笑みました。
この時感じた歓喜は、たぶん誰にもわからないと思います。
当たり前のように受け入れてくれた事がどれだけ私の救いになったのか、まるで私もこの世界に居ても良いのだと言われたような感謝にも近い感情が湧き上がってきて、ユリエルさんへの気持ちが湧き上がりすぎて涙がこぼれて、頭が痺れました。
「そっ…ど、ど…?」
「そうです」と「どうして?」という言葉が混じり合い自分でもよくわからなくなるのですが、ユリエルさんは少し考えるように首を傾げると「そうですね」と小さく呟きます。
「最初はサングラスで光量調整をしているのかと思ったのですが、グレースさんってゲームの暗所でも暗がっている素振りをみせていませんし、目が良いですよね?星彩…でしたっけ?綺麗ですよね」
言いながら拾ったサングラスが何の変哲もない物だと確かめた後、涙の痕を拭う様にその綺麗な指が私の頬を撫でるのですが……私は反射的にその手を掴んでしまいました。
当たり前のように受け入れてくれた上で「綺麗」だと言われて一気に私の体温が上がったのですが、今まで何度か言われた言葉だというのに言う人が変わるとこんなに破壊力があるとは思ってもいませんでした。
「あ…ひ……はは…」
蕩けるようにジンワリと広がるユリエルさんの言葉がむず痒くて、頬を撫でる指が気持ち良くて、もう何か……よくわかりません。
「…え?」
そうして私は感情の赴くままにユリエルさんに抱きついて、その勢いを殺しきれなかったユリエルさんが後ろに倒れこんだのですが……ゲームの中だと触れる事すらできずに躱されるユリエルさんを押し倒せたという事実が私を更に興奮させました。
リアルなら勝てるという優越感と、抱きついた時の豊満な胸の感触や芳しい香りを胸いっぱいに吸うとクラクラして、もう誰にもこの人は渡さないという感情が湧き上がってきて、絶対にこの人と一緒になるのだという思いが強くなります。
今なら私からユリエルさんを奪う人がいたら躊躇いなく殺す事も厭わないだろうというくらいにユリエルさんへの気持ちが膨らんでいってしまい、この時はお婆ちゃん達が送って来た色々な物を持ってこなかった事を本気で後悔しました。
絶対この人を自分のものにする。
そんな固い決意と共に組み敷いたユリエルさんの身体を無茶苦茶にしたいという昏い欲望が湧き上がってくるのを感じながら、家の間取りや子供は何人作ろうという事まですっ飛んだ妄想が浮かんできて、本当にお婆ちゃんは何でもお見通しなのだとよくわからない酩酊感にもにた感情にのぼせ、私は湧き上がる激情のままユリエルさんの唇を奪おうとしたのですが……頭に上った血が急激に冷めるような光景が眼下に広がっていました。
「った……」
私がいきなりタックルしたので当然と言えば当然なのですが、背中からドターンと倒れたユリエルさんは後頭部を押さえながら涙目になっていて、その目尻に滲む涙を見てしまった瞬間私は一体なんて事をしてしまったのだろうと青ざめてしまい、頭に上った血が一気に下がります。
「しゅ、す、ま…っ!!?」
そうして慌てて飛びのくようにユリエルさんから離れたのですが、その瞬間もう色々なものがぐちゃぐちゃになって、クラリときました。
「はっ…れ…?」
低重力下で血液が上がったり下がったりして、倒れたり起き上がったり、寝不足や朝食を抜いた事もジワジワと効いて来て軽い貧血状態になってしまったのだと思いますが、飛びのいた私はそのままフラつくように後ろに倒れます。
「グレース、さん…?グレースさん!?大丈夫ですか!?」
そうして驚愕の表情を浮かべるユリエルさんの慌てたような顔と、周囲の人達の悲鳴やら叫び声をどこか遠い出来事のように感じながら、私の意識はそのまま真っ暗闇の中に落ちていきました。
※次話が最終回となるのですが、宜しければ最後までお付き合いいただけると幸いです。