後輩の過去④
『いつになったらくるんだ?』
頻繁に木戸先生から連絡がやってくる。
のらりくらりと躱してきたけれど、いい加減、言い訳のネタも尽きてきた。
日曜日のもらったメッセージには返信すらせず、日を跨いでいる始末。
「どうしよ……。無視するのはさすがにダメだよね……」
昼休み。
保健室のテーブルに突っ伏しながら、重たく息を漏らす私。
この際、ハッキリ言った方がいいのかな。
木戸先生を疑っているみたいで失礼だけど、私は男の人の家に行くことが怖い。見知った人とはいえ、相手は成人した男性。
テリトリーに足を踏み入れることには、躊躇を覚えている。
それにやっぱり、なにか危険を感じるし……。
「よし、正直に私の気持ちを言お! 先生だってきっと理解してくれるはず」
理屈ではなく感情の問題。
キチンと私の素直な気持ちを伝えれば、理解してもらえると思う。
──ガラガラ
私がスマホに文字を打ち込んでいると、保健室の扉が開く。
そこにいたのは木戸先生だった。
「あ、先生……」
「双葉。どうして先生のメッセージを無視するんだ?」
怖い顔をしながら木戸先生が問いかけてくる。
「すみません。ちょうど今、返信しようと思ってて」
「なんだ、そうだったか。先生はいつでも構わないからな」
「ま、待ってください。私、その、男の人の家に行くことに抵抗があって。あ、先生のことを疑ってるわけじゃないんですけど、家に行くのはちょっと無理というか……」
「おい、双葉。冗談もほどほどにしてくれないか。先生は先生だぞ。そこら辺の男と一緒にしないでくれ」
「いえ、だから……」
「コレ、先生の家の合鍵だ。先に渡しておく」
私は首を大袈裟に振って、鍵の受け取りを拒否する。
「受け取れません。私、家に行くとかほんと無理なので」
「過去にトラウマでもあるのか?」
「いえ、そういうわけではないですが」
「自意識過剰が過ぎるんじゃないか? ……先生は少しショックだ。双葉の信頼は全く得ることができていなかったんだな」
やつれた顔で吐息を漏らす木戸先生。
諦観と苛立ちを含んだ瞳で、私を一瞥してくる。
「せ、先生のことは信頼してます。先生のおかげで今も元気に学校にこれてますし」
「だったら、さっきの発言は撤回してくれないか」
「それは、できないです……」
「どうしてだ双葉。先生はただただ心配なんだ。双葉の学力だと進学の基準を満たさない。先生が勉強を教えてやらないと、行き先に困るんだぞ? こんなにも双葉のことを思っているのにどうして応えてくれないんだ!」
「い、痛い。痛いです、先生!」
私の肩を強い力で掴み、前後に揺らしてくる。
拒絶するように、木戸先生のお腹のあたりを押した。
「なにするんだ双葉」
「ご、ごめんなさい」
いつになく険しい表情で、声色には怒気を含んでいる。
「この学校で先生以外に、双葉のことを案じている人間はいない。違うか?」
「それは──」
「はいかいいえで答えるんだ」
「は、はい」
威圧的な態度でこられ、私はやむなく首を縦に下ろす。
「なのに、その態度はなんだ。酷いとは思わないか?」
「す、すみません。でも」
「言い訳はいい。先生は双葉に信頼してもらいたい。味方であることを理解してもらいたいんだ。わかってくれるか?」
「……はい」
有無を言わせない眼力を前にして、私は弱々しく頷く。
「わかってくれたみたいで嬉しいよ。先生は双葉の学力を心配しているんだ。だから、先生の手が空いている休日に時間をくれないか?」
もう一度、木戸先生の家にくるよう促される。
ここで頷いてみせれば、きっと木戸先生は以前と同じ優しい笑顔を浮かべてくれると思う。
でも、私の全細胞が警鐘を鳴らしている。
この誘いには乗ってはいけないと訴えている。
「ごめんなさい。やっぱりそれはできないです……」
改めて断ると、木戸先生の瞳からハイライトがパタリと消えた。
興味をなくしたように私を一瞥し、疲れたように肩を落とす。
「そうか……もういい。双葉がそういう態度を取るなら、先生はもう気にかけてやれない」
だんだんと、木戸先生の足音が遠ざかっていく。
去り際。
木戸先生はつぶやくように私に吐き捨てた。
「……ビッチがお高く止まりやがって」
私の頭は、真っ白になった。
はは、と渇いた笑いが口からこぼれ出る。
「私のこと、信じてないんだ……』
結局、私を信じてくれる人はどこにいないみたい。
みんな、噂を真に受けて……私にレッテルを貼り付ける。
目頭に涙が溜まってくるのを如実に感じながら、唇をギュッと噛み締めた。
もう嫌だ……。
誰も信じられない……。
なにも考えたくない。このまま消えちゃいたい。
椅子の上で体育座りをしながら、孤独を痛感する。
そうして一人の世界に閉じこもっている時だった。
「……大丈夫か?」
顔を上げると、そこには傘を貸してくれた先輩がいた。




