婚約破棄されました。でも、優しくてかっこいい幼なじみ執事と結婚することにしたから幸せです!
わたしが婚約破棄されるきっかけは、冬の特に寒い日に起きた。
わたしの名前はリディアという。わたしの生まれたタルーサ地方で、わたしの名前を知らない人はいない。
どうしてかといえば、わたしはこの地を治めるタルーサ公爵家の娘だからだ。タルーサ公爵家は、数百年前までは独立した公国を治めていた名家だ。
公国がトラキア帝国に併合された後も、タルーサ公爵家の家格は、帝国貴族のなかでもほぼ最高といっていい。最近はやや財政難で、斜陽ではあるけれど……。
わたしはそんな家の娘で、しかも、帝国の皇子との婚約も決まっている。
自分で言うのも変だけれど、わたしは身分も高いし、可愛いと思う(茶髪に茶色の瞳でやや地味だけれど、帝国の女性では一番多い見た目でもある)。
公爵令嬢にふさわしい教養もあるし、頭だって良い。
客観的に見ても、領民のあいだでは、それなりに人気みたいだ。
だけど、欠点が二つある。
一つは、わたしはまだ12歳の子どもだということだ。わたしには、まだ何の力もない。
そして、もう一つは、わたしがとても病弱で、ベッドで寝たり起きたりを繰り返していることだった。
今日も部屋の天蓋付きベッドで、わたしは寝込んでいる。ベッドは豪華だけれど、わたしはもっと自由に動き回りたい。
皇子の婚約者としても、早く体を治さないといけない。それが公爵家にとってのわたしの存在意義だから。
でも……それ以上に、強く願うことがある。
大きな街にお出かけしてみたい。同い年の子どもたちとも遊んでみたい。
そんな願いは叶ったことがない。わたしは文字通りの箱入り娘だ。
だけど、たった一人、わたしのそばにいてくれる人がいる。
部屋の扉が開き、その人がやってきた。
「リディアお嬢様? お加減はいかがですか?」
優しい声がした。
わたしの執事の少年、ソロンの声だ。
「平気……」
わたしはなんとか返事をする。
身体の節々が痛む。全身が火照っていて、ふわふわとした感じさえした。
わたしはここ数日、病気で寝込んでいた。ここ一年、ずっとそんな感じだ。特に冬に入ってから調子が良くない。
原因不明の病気で、医者に見せても、治す手立ても見つからない。たまに調子の良いときもあるけれど、そう思ったら、また高熱を出してしまう。
そんな病気がちのわたしの看病をしてくれるのが、ソロンだ。
身体を起こすと、姿見にわたしが映る。わたしは12歳にしても小柄だけど、我ながら可愛いと思う。
ただ、寝間着姿なのは、少し恥ずかしい。
目の前に執事のソロンがいるから。
ソロンは穏やかな茶色の瞳で、わたしを見つめている。わたしと同じで、茶髪に茶色の目という標準的な帝国人の容姿だ。
ソロンはわたしより一つ年上の13歳。わたしのお父様に仕える執事の息子だ。
そして、10歳のときから、わたし専属の執事――厳密にはまだ子供だから、執事見習いだけど――でもある。
少しだけわたしより背が高く、なんでも器用にこなすソロンは頼りになった。勉強も得意で、料理もできるし、魔法も使える。
何もできないわたしとは正反対だ。
ガラスのコップに入った水を、ソロンがわたしに差し出す。
「お水、飲めますか?」
「……ありがとう」
わたしが一口飲むと、ソロンは嬉しそうな笑顔になる。喉を通る冷たい感覚に、少しだけ、わたしも気分が良くなった。
ソロンは、白い薬包紙を開き、粉薬をわたしに見せる。
「それと、このお薬も、お医者様から飲むようにとのことでした」
「それ……苦いやつでしょう?」
「まあ、そうですね」
「なら、飲みたくない」
わたしがわがままを言うと、ソロンは微笑んだ。
こういうとき、大人たちとは違って、ソロンはわたしを叱ったり、説教したりしない。 嫌な顔もしない。
ソロンは身をかがめ、わたしに目線を合わせる。そして、いたずらっぽく片目をつぶる。
「元気になったら、リディアお嬢様の好きなパンケーキを焼きますから。一緒に食べましょう」
「本当!?」
ソロンの作ってくれるパンケーキは本当に美味しい。公爵の娘だから、他にどんな贅沢なお菓子でも食べれるのだけど、ソロンが作ってくれるパンケーキはなぜか格別だった。
わたしは、目を輝かせて、喜んでしまい、それから慌ててしかめ面を作る。
「ソロン……わたしを子ども扱いしているでしょう?」
「俺もお嬢様も、二人とも子どもですよ」
ソロンはくすっと笑うと、わたしに粉薬を手渡した。
わたしはしばらく薬を眺め、それからえいっと口に入れて、水で飲み干した。
……苦い、というか変な味がする。いつも思うけれど、どうしてこの薬はこんなに不味いんだろう。
でも、お父様もお医者様も、それにソロンも、わたしが早く回復することを期待している。
それなら、どれだけ嫌でもこの薬は飲まないといけない。
「ソロンにも、みんなにも心配をかけたくないのに……」
「いつかすっかり元気になる日が来ますよ」
ソロンはそう言って慰めてくれたけれど、そんなふうには思えなかった。
もう数年、わたしはずっとこんな感じで、熱を出したり寝込んだりの毎日を送っている。
「そんな日は、来るはずないよ……」
わたしがそうつぶやくと、ソロンは困ったような顔をした。
わかってる。
ソロンは何も悪くない。これはただの八つ当たりだ。
突然、胸のあたりが焼け付くような不自然な感覚がした。
どうしたんだろう? 咳き込んで口元を手で押さえる。すると、そこにはベッタリと血の跡があった。
これ……わたしの血?
ほとんど同時に、耐え難い痛みが全身を襲う。頭もハンマーで殴られたかのように痛い……。
わたしの様子を見て、ソロンが顔色を変える。
「お嬢様……! しっかりなさってください! お嬢様……」
ソロンの声がどんどんと遠のいていく。意識が朦朧とする。
ああ、ここで、わたしは死ぬのかな。
ソロンのパンケーキ、食べたかったな……。
そんなことを考えた直後、わたしの意識は暗転した。
☆
次に目を覚ましたのは、屋敷の医務室だった。
真っ白な天井に、目がチカチカする。
わたしを見て、初老の医者がほっとした顔をする。彼は公爵家に昔から仕えている医師で、わざとらしい顎の白ひげが特徴的だ。
ええと……。
そうだ。たしか、寝込んでいた時に発作みたいな症状が起きて……死ぬかと思って……。でも、意識を失ったけど、死ななかったみたいだ。
わたしはきょろきょろと周りを見る。
医者と、看護師、それにメイドがいるけれど、みんな安心したという顔をしている。でも、その顔には心からの喜びはなく、影があった。
どうしたんだろう?
そのとき、医務室の扉が開いた。赤いマントを羽織った、長身の男性が入ってくる。シュッとした雰囲気のその人は、わたしのお父様。つまりタルーサ公爵だ。
わたしと同じ茶髪に茶色の目だけれど、それほどわたしとは似ていない。
「回復してよかったよ、リディア。三日間意識がなかったし、一時は命も危うい状態だったからね」
お父様は低い声で言う。お父様は三十代の後半だけれど、もう少し老けて見える。
帝国辺境のタルーサ公爵として、お父様は難しい立場にあった。いろいろと苦労があるらしい、と使用人が噂をしているのを耳に挟んだことがある。
病気を繰り返すわたしも、苦労の種かもしれない。
「はい……」
わたしは小声でお父様に答えた。忙しいお父様は、普段のわたしに構うことはほとんどなかった。
だから、わたしにとってのお父様は、怖い存在だ。
そんなお父様の瞳に、わたしを哀れむような色があった。
さっきから、この部屋の雰囲気はおかしい。
わたしは無事に回復した。なのに、まるで悲しむべきことがあるかのような……。それに、いつもそばにいてくれるソロンもいない。
「お父様……なにかあったのですか?」
わたしは勇気を振り絞って、尋ねた。お父様はぎくっとした様子で、わたしを見つめる。
そして、ためらった様子で医師を振り返った。
医師は首を横に振る。
「今お話するのはおすすめできません。病み上がりのリディア様には、刺激が強すぎます」
やっぱり、何かあったんだ。お父様は額の汗を手で拭った。
「教えて下さい。そうでないと、気になって眠れません」
「しかし……」
「お父様!」
わたしの剣幕にたじろいだのか、お父様は目を瞬せ、そして、ため息をついた。
「リディアと皇子殿下の婚約は破棄となった」
「え?」
「もともと病弱なリディアとの婚約を、先方は心配していた。しかも今回の病気で、リディアは……」
お父様はそこで言葉を切った。仕方なさそうに、医者が続きの言葉を引き取る。
医者の説明によれば、今回、わたしは生死の境をさまよったことで、身体に深刻なダメージを負った。
具体的には、子どもを産むことができなくなったらしい。
わたしは顔が青くなった。
12歳のわたしにとって、子どもを産む産まないなんて、遠い未来のことだ。
それでもショックだし、差し迫った問題もある。
わたしは公爵令嬢で、政略結婚の道具として公爵家に貢献することが期待されていた。そうである以上、子どもが産めないのは致命的だ。
皇子にせよ、他の貴族にせよ、子どもの産めない少女を婚約者として、妻として迎えようという人はいないだろう。
婚約破棄されるのも当然だ。
わたしは静かにお父様に問いかけた。
「わたしは……用済みということですね」
「そんなことはない。リディアはわたしの大事な娘だよ」
その言葉は……とても虚ろに響いた。きっと建前だ。お父様は目線を外し、そして、逃げるように部屋から去った。
あとに残されたのは、わたしと医者たちだけだった。
やがて彼らも診察を終え、一通りの処置をすると去っていく。若い看護婦一人だけが様子見のために部屋に残っていた。
わたしはまったく実感が湧かなかった。
でも、わたしの存在意義は失われたんだ。もう、わたしは皇子の婚約者ではないし、誰か別の貴族の妻となることもできない。
わたしは……みんなに迷惑をかけるだけの、ただの病気がちな子どもだ。
誰もわたしのことを本気で心配したりしていない。だって、もうわたしはいらない子だから。
そのとき、扉がノックされる。そして、勢い込んで一人の少年が入ってきた。
「リディアお嬢様!」
入ってきたのは、ソロンだった。その表情は……他の人達と違って、本当に心配そうで、今にも泣き出しそうだった。
「良かった。目を覚まされたのですね……」
感極まってソロンが言う。
そっか、ソロンは心配してくれていたんだ。
嬉しいけれど、少し照れくさい。
「ソロン……どこに行ってたの? わたしのそばにいてくれなかったんだ?」
照れ隠しのため、わたしはつい不機嫌そうにソロンを責めてしまう。
ソロンが申し訳無さそうな顔をして口を開きかけたが、その前に看護婦さんがくすっと笑って口をはさむ。
「ソロン君は、ずっとリディア様の看病の手伝いをしていたのよ。朝も夜もずっと」
「え?」
「さすがに身体を壊してしまうだろうし、それはリディアお嬢様の望みでもなかったでしょうから、今日は休んでてもらったの。あたしたちもいるし」
看護婦さんは微笑ましいものを見るように、わたしとソロンを見比べた。
ソロンは顔を赤くして、「ええと、そういうことです」とつぶやいている。
わたしは恥ずかしくなった。ソロンはわたしを心配してくれて、わたしのためにいろいろしてくれているのに、わたしはソロンにひどいことを言ってしまった。
「ごめんなさい、ソロン」
「お嬢様は何も謝ることはありませんよ。目を覚ましてくださったことが、俺にとっての一番の喜びです」
そういうソロンの表情は、嘘じゃなく嬉しそうだった。
そんなソロンにわたしは訊いてみる。
「あのね……ソロン。わたし、婚約を破棄されちゃったの」
「はい、知ってます」
ソロンは静かにうなずいた。
「わたしは……もう子どもも産めないし、いつも病気ばかりで……だから、皇子殿下は、わたしのことをいらないって。ううん、みんな、わたしのことなんていらないと思うの」
わたしが存在する価値なんて、もうなくなった。そもそも、今の身体では、大人になるまで生きていられるかもわからない。
わたしは公爵家にとっていらない存在だ。家族は誰も、家族らしい愛情をわたしには向けてくれない、病気のせいで、外に出られないわたしには、友達もいない。
そんなわたしのことなんて、誰も必要としてくれない。
わたしがそう言うと、ソロンは首を横に振った。
「お嬢様は俺の大事なご主人さまです。必要がないなんてことはありません」
「でも、わたしは……これからどうすればいいの?」
わたしに与えられていた未来は失われた。婚約は破棄され、今後も誰かの貴族の妻となることもありえない。
それなら、わたしは自分の未来をどう思い描いていければいいのだろう?
ソロンはためらい、そして、遠慮がちに言葉を紡いだ。
「差し出がましいかもしれませんが……一緒に道を探していきましょう。きっとお嬢様なら大丈夫。これは気休めなんかじゃありませんよ」
ソロンは真剣な眼差しでわたしを見つめていた。わたしと同じ茶色の瞳には、一点の曇りもなかった。
ああ……この人は……。
本当にわたしのことを思ってくれているんだ。
そう知った時、自然とわたしの瞳からは涙がこぼれていた。というより、泣きじゃくっていた。
「お、お嬢様……」
ソロンが慌てふためく。そのソロンにわたしはしがみつき、ますます激しく泣いた。
しばらくソロンはうろたていたけれど、やがて優しい表情になり、わたしの肩に手を回し、ぎゅっと抱きしめてくれた。
ソロンの体はとても温かくて……少年らしい柔らかい体は、でもわたしにはとても安心感があった。
「こんなわたしでも……病気ばっかりしていて、子どもだって産めない体で、性格もわがままなわたしでも……ずっとソロンはわたしの味方でいてくれる?」
「はい。俺はリディアお嬢様に仕える執事ですから」
わたしはソロンの胸に頬をうずめて「ありがとう」とつぶやいた。そして、ソロンもわたしの髪を、壊れやすい大事なもののように、そっと撫でてくれた。
☆
わたしがソロンのことを好きだと気づいたのは、そのときのことだった。
これまで、わたしには婚約者がいた。だから、自分が恋愛するなんて、考えもしなかった。
でも、婚約破棄の結果、よくも悪くもわたしは公爵家の事情から解放されてしまった。
自由になったとき、わたしには、自分のそばに、優しくかっこよく、わたしのことを大事に思ってくれる少年がいることに気づいたんだ。
もともと、わたしはソロンのことを好きだったのだと思う。ただ、その感情を自覚するには、わたしはあまりにも子どもだった。
今のわたしも、まだ12歳で子どもなのに変わりはない。でも、わたしは知ってしまった。ソロンに抱きしめられたときの、胸の温かさを。
わたしを大事にしてくれるたった一人の存在。それがソロンだ。ソロンがいなくなったら、と想像するとわたしは耐えられない。
わたしはソロンに必要とされるようになりたい。でも、どうすればいいんだろう?
いまのわたしとソロンは、ただの令嬢とその執事だ。
この関係を変えないといけない。
そんなとき、意地悪な従姉のエリスの言葉がわたしの啓示になった。
二つ年上の彼女は、公爵家の養女となり、わたしの代わりに皇子の婚約者となったという。エリスは、わたしが婚約破棄されたことと、わたしの体のことを揶揄した。
それ自体は腹が立ったけれど、その次の言葉がわたしには衝撃だった。「そんなに執事の子と仲がいいのなら、その子と結婚でもすればいいんじゃない?」と。
これは衝撃だった。最高家格の貴族の娘であるわたしと、平民のソロンのあいだには大きな身分差がある。
普通だったら、結婚するなんてありえない。
でも、今のわたしは公爵家の役には立たない。わたしは政略結婚の道具にはなれないから自由だ。
ソロンと結婚することも不可能じゃない。
当然だけど、ソロンと結婚すれば……ソロンとずっと一緒にいられる。
わたしはこの考えに夢中になった。
どうすれば、ソロンに好きになってもらえるだろう。
特に進展のないまま、二ヶ月が経ってしまった。皮肉なことに、あの発作の後から、わたしの体調は徐々に良くなっていった。
そんなある日、事件が起きた。
「お嬢様……パンケーキが焼き上がりましたよ」
わあ、とわたしは目を輝かせる。
いま、ソロンとわたしは、屋敷の厨房の一角にいた。
今は午後三時。料理人は出払っている時間なので、特別に厨房を借りている。
ソロンは上級使用人の子どもである上に、屋敷の他の使用人たちからも気に入られているようだ。料理人たちも心よく、自分たちの居場所を貸してくれる。
そんなソロンに、わたしはパンケーキを作ってもらっていた。
体調が良くて、おとなしくしていれば、ソロンがご褒美に作ってくれるのだけれど、最近はその回数が増えた。
わたしにとっては美味しいパンケーキが食べられるし、ソロンとも一緒にいられるし、いいこと尽くしだ。
パンケーキは、カッテージチーズをもとに作った特殊なもので、タルーサ地方特有のものだった。これにりんごジャムをたっぷりつけて食べるととても美味しい。
わたしはきょろきょろとあたりを見回した。わたしも紅茶ぐらい淹れようと思ったけど、わたしは淹れ方を知らないし、そもそも先にソロンが用意していたようだった。
黄金色の金属製湯沸かし器からソロンが紅茶をカップに注ぐ。
透明なオレンジ色の紅茶から、ふわりとした良い香りがする。
「ごめんなさい。何から何まで用意させちゃって」
「何言ってるんですか。俺はお嬢様の執事なんですから、当然のことです」
「でも、わたしは……」
もうソロンの主人だと胸を張って言えるような立場でもない。公爵家にとってもお荷物だ。
ソロンは、わたしのことをどう思っているんだろう? ソロンはわたしのことを大切な主人だと言ってくれた。
でも、それ以上の感情は……ソロンにはないと思う。
わたしは何も出来ない。紅茶の淹れ方だって知らない。
だから、これから頑張らないと。ソロンに結婚してほしいと言って、受け入れてもらえるようなわたしにならないといけない。
トラキア帝国では、紅茶にミルクは注がない。そのままか、ラム酒を入れて飲むことになる。
「一度、大人みたいにラム酒を入れて飲んでみたいな」
「俺もお嬢様も子どもなんですから、そういうわけにはいきませんよ」
ソロンはくすっと笑った。わたしは手をもじもじとさせ、ちらりとソロンを上目遣いに見る。
「16歳になれば、お酒も飲めるようになるよね?」
「帝国ではそういう決まりですね」
「そのときも、わたしはソロンと一緒にいられるかな」
四年後になれば、わたしは16歳、ソロンは17歳となっている。
順調にいけば、ソロンはこの先も公爵家の家臣の一人として、出世していくことになる。上級使用人の子どもで、頭の良いソロンは、みなに将来を期待されていた。
わたしは真逆だ。わたしは公爵の娘だけど、なにもない。わたしの処遇はまったくの白紙だし、公爵家の跡取りにわたしが選ばれることはない。
第一、わたしはそのときまで生きていられるかもわからない。
でも、わたしはソロンと一緒にいたい。
ソロンはにっこりと笑った。
「もちろんです。俺はリディアお嬢様の執事なんですから」
そんなふうにソロンが言ってくれることが、わたしには嬉しかった。たとえ四年後のことなんて、誰にも保証できないとしても、ソロンがそう言ってくれることが嬉しいんだ。
でも、ソロンはふっと顔を曇らせた。
「お嬢様……もし……」
ソロンはそこでためらい、言葉を切った。そして、首を横に振り、曖昧に微笑んだ。
わたしは不安になる。ソロンは何を言いかけたんだろう?
「どうしたの、ソロン?」
「なんでもありません。気にしないでください」
「教えて。何を言いかけたの?」
尋ねないほうがよいのかもしれない。わたしの直感はそう告げていた。
それでも、聞かないといけなかった。ソロンになにか心配事があるなら、わたしも知りたい。
ソロンはまだ迷っていた様子だったけど、やがて観念したようだった。
「実は、俺に……帝都の魔法学校に入学してはどうかという提案がありまして」
「帝都の……? 帝立魔法学校!?」
「はい」
ソロンは静かにうなずいた。
帝立魔法学校と言えば、帝国では士官学校と並ぶ名門中の名門校だ。多くの有力な貴族の子弟が通っているし、卒業すれば社会的成功が約束される。
まず入学するだけでもかなり難しいし、それが平民であれば、なおさらだ。
わたしは目を輝かせた。
「すごい! さすがソロンだね!」
「俺の力というよりは、公爵様の後押しがあってのものですが」
ソロンは遠慮がちに言う。そうだとしても、お父様がソロンにかなり目をかけているということだし、入学する現実性があるということだと思う。
もしソロンが魔法学校を卒業すれば、平民とはいえ、貴族に準じた扱いを受ける。その後の活躍によっては爵位を得て新貴族となることもあると思う。
そうなれば、わたしとの身分の釣り合いがとれるし、結婚できる可能性が高くなるかもしれない!
身内から魔法学校の卒業生が出るのは、公爵家にとってもプラスのはずだ。良い事づくめだと思う。
でも、ソロンは首を横に振った。
「この話はお断りしようと思っているんです」
「ど、どうして!? 折角の機会なのに! ソロンなら、絶対うまくやれる!」
「それは……その……」
ソロンは言いづらそうに目を泳がせた。
わたしは、はっとした。
「もしかして……わたしのため?」
ソロンは恥ずかしそうにこくりとうなずいた。
「魔法学校に行けば、五年は戻ってこれません」
「で、でも、その後は、公爵家に戻ってくるんでしょう?」
「それも、わからないんです。公爵様や父は、俺を帝都の役人か、大金を稼げる冒険者になってほしいようですから……」
考えてみれば、このお屋敷で執事をやるだけなら、魔法学校を卒業する必要はない。もちろん箔がつくし、公爵家の家臣としても、活躍できるだろう。
けれど、高度な魔法を学んだなら、もっとそれを活用する方法がある。当然だ。
そして、お父様も、ソロンのお父さんも、それを期待している。
帝都の役人になれば中央とのつながりができる。
冒険者も、この国では地位が高い。各地の地下遺跡を攻略することで、冒険者たちは多くの富と資源を帝国にもたらしている。英雄扱いされることもあるぐらいだ。
ソロンがそんなふうに偉くなることを、みんなは期待しているんだろう。
だけど……。
「そんなの……嫌だ」
わたしは独り言をつぶやき、ソロンはうなずいた。
その表情はどこまでも優しかった。
「わかっています。……すみません。余計なことを話してしまいました。心配なさらないでください。俺はこの屋敷を離れませんから」
わたしは口を開きかけ、そして、何も言葉が見つからなかった。
ソロンの未来を思えば、お父様の提案に従うのは最善だ。ソロンにはそれだけの才能がある。
そんなソロンの可能性を、わたし一人の都合でつぶすなんて許されるはずがない。以前ならともかく、わたしはもう、公爵家にとっても何の役にも立たない人間だ。
いつ死ぬかもわからない体調のわたしは、一緒に魔法学校へ行くのも非現実的だ。体が治らないかぎり、このお屋敷を離れることはできない。
だから、ソロンが魔法学校へ行く限り、わたしとソロンは離れ離れになる。
ソロンがわたしのそばにいることは、公爵家の利益の面でも、正しくないことだった。ソロンが魔法学校へ行った方が、公爵家のためになるのは間違いない。
でも……それでも……わたしはソロンにそばにいてほしい。可能なら、ずっと。
それがソロンを縛ることだとわかっていても、わたしはそう願ってしまう。
わたしが何も言わなくても、ソロンはそんなわたしの感情に気づいたのかもしれない。
ソロンは優しく、ぽんぽんとわたしの頭を撫でた。
「そんな顔をしないでください。俺はお嬢様のそばにいると約束しました」
ソロンはわたしのことを本当に大事にしてくれている。
なのに、わたしは何も言えなかった。
わたしは、ソロンが大事だ。ずっと一緒にいてほしいし、結婚したいとすら考えた。
でも、今のわたしに何があるんだろう?
わたしは、すべてを失って婚約破棄された。いつまで生きられるかもわからないし、子どもだって産むことのできない体だ。
無力でわがままなただの子どもなのに、そんなわたしとずっと一緒にいてほしいなんて、言えるわけがない。
だからといって、ソロンを帝都に送り出すのも嫌だ。帝都とタルーサはかなりの距離がある。
下手したら、そのままずっとソロンと会えないなんてこともありうる。
絶対に……それは嫌だ!
わたしにはソロンしかいないのに。ソロンだけがわたしに優しくしてくれるのに。
そのソロンを手放すことなんてできるはずがない。
そうだ……。
やっぱり、わがままを言えばいいんだ。わたしがソロンにずっとここにいてほしいと伝えれば、きっとソロンはわたしの願いを聞いてくれる。
お父様だって、なんとか説得してみせる。
自分の思いに素直になればいい、とわたしの心の中で誰かがささやく。
そうだ。
嘘をつく必要はない。だって、わたしの願いはソロンと一緒にいることだもの。
だから――。
「本当は少し安心したんです」
「え?」
ソロンが穏やかな笑顔で、そうつぶやいた。
安心? どういうことだろう?
ソロンは肩をすくめた。
「魔法学校は、貴族の子どもや天才みたいな魔術師の卵がたくさん集まる場所ですから。平凡な平民の俺は、ついていけるか不安だったんです。魔法学校に行くのが、俺は怖かったんですよ。だから、お嬢様に引き止めてほしいと思って、こんなことを話してしまったのかもしれません」
「そう……なの?」
「はい。だから、お嬢様はお気になさらないでください。もともと俺は魔法学校へ行くつもりなんてなかったんです。この話をお嬢様にしてしまったのは、引き止めてほしいっていう俺のわがままでした」
ソロンは、茶色の瞳を揺らし、少し頼りなさげに、そう言った。
わたしは目を見開いた。
そっか……。ソロンでも悩んだり、怖かったりすることがあるんだ。
ソロンはわたしより一つ年上だけど、それよりずっと大人びて見えていた。ソロンは、何でもできるように見えたし、怖いものなんてないと思っていた。
でも、違うんだ。
わたしと同じようにソロンにも悩みがあり、不安があり、弱さがある。
初めて、わたしはソロンが、同じ年頃の少年なんだと気づいた。
だから、ソロンも、いつも完全に正しい選択ができるわけでもない。
だったら、そんなソロンの力に、わたしもなるべきだ。たとえ非力でも、たとえ何もできなくても。
「ソロンは……魔法学校に行くべきよ」
「え?」
驚いた表情でソロンがまじまじとわたしを見つめる。わたしは恥ずかしくなって、ソロンから目をそらした。
やっぱり、わたしはソロンのことが好きだ。
でも、だからこそ、わたしはソロンに幸せになってほしい。
「ソロンが活躍できる折角のチャンスだもの。それを手放したらダメだよ」
「ですが……俺は……」
「わたしのそばにいてくれるって言ってくれて、嬉しかった。本当に嬉しかったの。でもね……わたしを理由に、本当にしたいことを諦めてほしくないの」
ソロンははっとした顔をした。ソロンは勉強熱心で優秀だ。そんなソロンが、自分の力を試してみたいと思わないはずがない。
ソロンが魔法学校でやっていけるか、不安なのは事実だと思う。でも、それ以上に、魔法学校に通って、高度な魔法を身に着けてみたいときっと思っている。
「ソロンは、どうしたいの?」
「俺は……」
ソロンはちらりとわたしを見て、そして、悲しそうな顔をした。
それが答えだと思う。
わたしは無理をして微笑んだ。
「教えて。わたしはソロンがやりたいことを知りたいし、応援したいの。だから、思ったとおりのことを教えてほしい」
「俺は……魔法学校へ行って、卒業後は冒険者になってみたいと思っているんです。冒険者になれば……自分の力で、人を救うことができるようになりますから」
そうして力を身につければ、公爵家にも恩返しできる、とソロンは付け加えた。あくまでソロンは公爵家のために行動するつもりのようだった。
公爵家の家臣で、公爵家の資金で魔法学校に行くのだから、ソロンにとってはそれが当然なんだろう。
でも、わたしはソロンが活躍する未来を思い描くこと自体が嬉しかった。
「そうなんだ。素敵だと思う。ソロンなら、きっと帝国で最強の冒険者にもなれるわ」
「ありがとうございます。でも、俺にはそんな自信はないですよ」
「大丈夫。わたしが保証するから。わたしの知ってるソロンは、とっても強い人だもの」
わたしがそっと手をソロンの頬に添えると、ソロンは驚いた顔をして、それから赤面した。
ソロンが恥ずかしがってくれることがわたしには嬉しかった。
できるなら、このまま、ずっとソロンと一緒にいたい。
でも、それは間違いだ。
これは、何もできないわたしが行う最初の選択だ。
わたしはソロンを引き止めることもできた。でも、わたしはそうしない。
ソロンが活躍する未来を、わたしは望んでいる。
「たまには手紙を書いてね? それに無理をしちゃダメだから。ソロンは頑張り屋さんだから」
「必ず手紙を書きます。体にも気をつけますし……早く一人前になって公爵家に恩返しできるようにします」
「うん」
わたしは満面の笑みを浮かべて、うなずいた。
その後、何を話したかは、あまり覚えていない。
でも、それは素敵な時間だった。ソロンは迷いが晴れたようで、いつもどおりわたしに優しくしてくれた。
「ソロンが冒険者になるなら、わたしも冒険者になろうかな」
わたしがつぶやくと、ソロンは驚いたように目を見開いた。わたしは慌てて「体が良くなったらだけど……」と付け加える。
でも、ソロンは嬉しそうにうなずいた。
「そのときは、俺とリディア様の二人で、遺跡を冒険できるといいですね」
「……うん!」
わたしは笑顔でうなずくと、ソロンはわたしの頭を優しく撫でてくれた。
魔法学校に入学するとなれば、試験の準備もあるし、わたしがソロンと一緒にいられる時間は減ってしまう。
そして、一年も経たずにソロンは帝都へと旅立ってしまう。
別れの日は遠くない。
やがて楽しい時間は終わり、わたしは自室に戻る。ドアをパタンと閉め、ベッドへと寝転がった。
珍しく一人だ。わたしは体調が急に悪化することも多いから、誰かがそばにいる必要がある。すぐにメイドの誰かがやってくると思う。
でも、今日は体調もいい。
ソロンと離れ離れになることになったのに、不思議と悲しい気持ちにならない。
実感が湧いていないのかもしれない。
きっと、わたしの選択は間違っていない。ソロンと結婚したいなんてもともと無理な話だったんだ。
だって、わたしはいらない子で……。
そのとき、扉がノックされた。
どうぞ、と返事すると、入ってきたのは予想外の人物だった。
メイドだろうと思ったら、そこにいたのは、お父様だった。
わたしは慌てて居住まいを正す。
お父様は、珍しく困ったような顔だった。
「あ、あの……どうされたんでしょうか?」
「少し話がしたくてね」
お父様は、所在なさげに椅子に腰掛けた。
そして、わたしを見つめる。
「ソロン君のことなんだが……話すのが遅れてすまない。本来だったら、真っ先にリディアに相談するべきことだった」
お父様が「すまない」なんて言うのは初めてだ。それに、わたしに相談なんて……。
忙しいお父様と、使用人に囲まれたわたしは、もともと疎遠だった。お父様は、わたしにとって、なんとなく怖い対象だった。
公爵という偉い立場のお父様は、いつもは、近寄りがたい雰囲気があった。
でも、今のお父様は、そんな怖い雰囲気はまったくない。
「ソロン君に、魔法学校に入学するように勧めたのは、私だ」
「はい。知っています」
「それは、リディアからソロン君を奪うことになる。だが……」
お父様が、何を言いに来たのか、わたしにもわかった。
謝りに来たんだ。お父様は何も悪くないのに、わたしからソロンを取り上げたと罪悪感を持っている。
わたしは、お父様がそういう繊細な感情を持っているとは知らなかったので、少し驚いた。
「ソロンが魔法学校に行くのは当然のことだと思います。それがソロンのためにも、公爵家のためにもなるんですから」
「リディア。君は賢く聡明な子だ。ずっと小さい頃から、重い病気を抱えても、じっと我慢してきた。それは立派なことだと思う。けれどね、一つぐらい、わがままを言っても良いと思うんだ」
お父様はうつむいて、つぶやいた。わたしはお父様の続きの言葉を想像できてしまった。
「私は、ソロン君がリディアにとって、大事な存在だということを知らなかった。私はリディアに何もしてやれなかったが、彼だけが君の心の支えだと知らなかったんだ」
「お父様……」
「私は娘の君のことを何も理解していない。メイドの一人から話を聞いてね。リディアがソロン君をどれだけ大事に思っていると知ってしまったんだよ」
お父様の目は優しかった。その瞳の色は……まるでソロンそっくりで、わたしは息を呑んだ。
「それでも、リディアはソロン君に魔法学校行きを勧めてくれたんだね」
「だって……それが正しいことだもの! わたしは正しい選択を……した……はず」
「本当にそれで良いのかい? もし君が強く望むなら、今からでもソロン君を引き止めることはできるはずだ」
「ど、どうして、そんなことを言うんですか? ソロンが魔法学校に行ったほうがみんな喜ぶでしょう? 公爵家の利益になるのだから」
「少なくとも、私は違う。もちろん、ソロン君が公爵家のために働いてくれることは、結構なことだ。でも、それより大事なことがある。たった一人の娘の幸せよりも大切なことはないんだよ」
お父様は静かに言って、わたしを見つめた。
そっか……。わたしは気づいていなかった。お父様がわたしのことを理解していなかったように、わたしもお父様のことを理解していなかった。
お父様はわたしを政略結婚の道具としてしか見ていないと思っていた。でも、違ったんだ。大事な娘というのは建前なんかじゃなかった。
「皇子との婚約も、リディアのためを思えばこそだった。だが、結果としてはリディアを傷つけてしまったね。だから、せめて、リディアの最大の願いを叶えてあげたいと思うんだ」
それはつまり、ソロンを引き止めるということだ。もともと、お父様の後押しあっての話だから、それを取り消すことは簡単だ。
お父様から言えば、ソロンもきっと納得するだろう。そうして、明日からも、わたしのそばにいてくれるかもしれない。
でも、わたしは首を横に振った。
「わたしは言ったんです。ソロンのことを応援してるって。だから、わたしはソロンに魔法学校に行ってほしいし、冒険者になって活躍してほしいんです。それがわたしの望み。だから……」
わたしはそこまで言って、続きの言葉を言えなくなった。引き返すなら、これが本当に最後の分かれ道だ。
いま、ここでわがままを言えば、ソロンはわたしのそばにいる。ソロンと結婚するという未来だって、手に入れられるかもしれない。
でも、わたしは決めたんだ。ソロンの力になりたいって。そして、今のわたしにできることは、ソロンを笑顔で送り出すことだけだった。
お父様の大きな手が、わたしの頭をそっと撫でた。
「リディアは、本当に偉い子だね」
気づくと、わたしは泣き出していた。さっきまでは感じられなかった悲しみが、あふれるように押し寄せてくる。
それはきっとお父様が、わたしの悲しみをわかってくれるからだ。
わたしは一人じゃない。遠くに離れても、ソロンがわたしと一緒にいてくれた日々が消えるわけじゃない。
そして、お父様はわたしの幸せを願ってくれている。
わたしはぎゅっとお父様にしがみつく。
「お父様、二つだけ、お願いがあります」
「何でも言ってごらん」
「もしわたしがすっかり健康になって、ソロンにふさわしい淑女になって、ソロンがわたしを受け入れてくれたら……ソロンと結婚する許可をください」
お父様は目を瞬かせ、静かにわたしを見つめた。
早口で、わたしは続ける。
「わかっています。わたしとソロンは身分も違います。でも、ソロンが魔法学校を卒業して活躍すれば、貴族待遇になるはずです。それに、わたしは、貴族の家には嫁げません」
そう。わたしは子どもが産めないという問題を抱えた。貴族女性として嫁ぐことはできない。
ソロンがそんなわたしを受け入れてくれるのかは、わからない。
いまのところ、きっとソロンはわたしに恋愛感情を持っていないし。だからこそ、わたしは努力しないといけない。
早く体を治して、そして、ソロンのそばにいる方法を探さないと。
ソロンは冒険者になると言った。わたしも冒険者になりたい。ソロンに言ったとおり、ソロンとともに戦える力を手に入れたい。
そうなることが、わたしにとっての救いになるはずだった。貴族出身の冒険者は少なくないし、そもそもわたしには普通の貴族として生きる道はない。
「なので、もう一つのお願いは、冒険者となることを認めてほしいんです」
お父様はまじまじとわたしを見つめた。ダメだ、と言われたらどうしよう?
けれど、お父様は微笑んだ。
「良いさ。リディアが望むなら。でも、そのためには……」
「絶対に、一日も早く体を治してみせます!」
わたしが張り切って言うと、お父様は慈しむように、わたしの肩を叩いた。
最近は体調も良いし、完全回復の方法だってあるかもしれない。
諦めちゃダメだ。たとえ、どれだけの障害があっても……わたしはソロンと、大事な幼なじみと結婚するんだ。
そう思えば、どれほどの困難があっても、わたしは強くなれる気がした。
窓の外から、日の光が差している。
わたしもソロンも、きっと白日の下で活躍できる日がくるはずだ。
☆
――十年後。
ソロンは魔法学校を卒業した後、同級生と冒険者パーティを結成した。
剣技と魔術の両方に優れた魔法剣士として、ソロンはパーティの中核になったという。帝国東方の遺跡を次々に攻略して称賛の的となっていた。
やがて、その冒険者パーティは帝国最強をうたわれ、「聖ソフィア騎士団」という称号をも手にすることになる。
ソロンが帝国最強の冒険者となる、というわたしの予想は当たったわけだ。わたしは新聞でソロンの活躍を見るたびに嬉しくなった。
学校にいる間も、冒険者になってからも、ソロンは欠かさずわたしに手紙を書いてくれた。長期休暇となれば、タルーサに帰ってきてくれて、そんなとき、わたしは幸せな時間を過ごすことができた。
でも、ソロンが冒険者として有名になるにつれて、忙しくなっていき、最近ではなかなか会えていない。
だけど、そろそろ、いい頃合いかもしれない。
わたしは椅子から立ち上がった。
ここは帝国西方の商都にある酒場。冒険者ギルドも兼ねている。
わたしはここに、冒険者として立っていた。
周囲の視線が気になるけれど、いつものことだ。公爵家の出身で、しかもわたしはそれなりに容姿も優れているので、周囲の注目を集めるらしい。
わたしは今ではすっかり健康になっていた。
子どもの頃特有の病だったようで、本当に良かったと思う。
体の調子がよくなった16歳の頃から、わたしは魔法の勉強に打ち込んだ。ソロンと同じように魔法学校に通うことは今更できなかったけど、幸い公爵家の力をもってすれば、良い家庭教師を集めることはいくらでもできた。
お父様も、わたしのためなら、と協力を惜しまないでくれたし。
そうして、わたしは魔法剣士になった。もちろん、ソロンに憧れてのことだけれど、ソロンには内緒にしていた。
恥ずかしいからだ。
でも、ようやく、ソロンとともに戦えるだけの実力を身につけることができたかもしれない。
わたしには魔法の才能もあったし、今や商都では五本の指に入る上位の冒険者だった。
ソロンに会っても、恥ずかしくない。やっとわたしはソロンに追いついたんだ。
それに……新聞では、ソロンが聖ソフィア騎士団から追放されたことが報じられていた。何が理由かはわからない。
創設者を追い出すなんて、ひどい話だと思う。
でも、こんなときだからこそ、わたしはソロンの力になれるかもしれない。
きっとソロンは落ち込んでいると思う。かつてわたしが婚約破棄されたとき、ソロンは慰めてくれた。
そのときと同じように、今度はわたしがソロンを助ける番だ。
そうしているうちに、もしかしたら、ソロンはわたしに好意を持ってくれるかもしれないし、そうなれば昔夢見たように、結婚することだってできるかも……。
わたしが頬が熱くなるのを感じ、慌てて首を横に振った。
ともかく、今考えるべきことはただ一つ。ソロンに会うことだ。
「待っててね、ソロン。わたしも帝都に行くから」
わたしは独り言をつぶやき、腰に下げた魔法剣の柄を、ぎゅっと握る。
今日、ここからわたしの物語は始まる。
願わくば、それがソロンの物語でもありますように。
身分差&幼馴染の恋愛短編でした。いかがでしたでしょうか。
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