【第三節 宇宙人】
悠里襲来の二日後の夕暮れ、僕は悠里の暮らす家の近くを訪れていた。
彼女の家の場所は聞いていなかったし、情報を持っている知り合いもいなかったので、彼女の後をつけて場所を突き止めた。
彼女に存在を察知されたくなかったので隠密裏に追跡をしたし、今も悠里の家の窓が見下ろせる別の建物の欄干に腰掛け、その中を見通そうとしていた。
ああ、うん。ありていに言えば、僕はストーカー行為に及んでいた。
まあ、仮に今の僕が誰かに見つかってもストーカーだとは思われないようにしているし、警察に捕まることもおそらくないのだけれど、それでも基本的に人間社会の順法精神に満ちた僕にこのような行動をとらせるとは、悠里もなかなか罪な女である。うん。
それはさておき、僕がそんなことをしている理由は、 ひとえに悠里のことをもっと知りたかったからだ。
自分には関係ない、他人だからと突き放すにはあまりに大きすぎる事情を僕は知ってしまっていたし、彼女の告白を聞いた日から僕の中に生まれた心のもやもやを晴らすには、何かしらのアクションを起こさずにはいられなかった。
――すごいな。
窓から除いた悠里の部屋は、一言で表せば空白だった。
部屋の隅に机がある。机の上に自作と思しきコンピューターが載り、教科書が本棚に並んで隣には制服が掛かっている。部屋の一角、その空間だけが普通の女学生らしさを示しており、それ以外のものが室内には何もなかった。
置物もなく、本棚もなく、絨毯や私服も見当たらなかった。
服などはさすがにどこかにあるのだろうが、寒々しい何もない部屋に一人、機械のように高速で正確な手さばきでキーボードをたたく悠里の姿は異様なものがあった。
異様ではあったけれど、夜星悠里という少女が暮らす部屋としてはしっくりきた。
普通の人が欲しがるものを欲しいと思えず、けれど生活に必要なものは理解ができるから配置する。
既に今籍を置いている学校で学習すべきものは自学自習で修了しており、出席日数の確保のためだけに通学する日を除いて、「宇宙人探し」に明け暮れる。
その姿は少しだけ、
――僕に、似ているのかも
◇ ◇ ◇
僕の話をしようと思う。
とてもつまらない男の話で、聞いて欲しいという明確な相手がいるわけではないけれど。
それでも、僕は僕のことを整理するために、誰かに僕のことを話したかった。
それで初めて、僕がすべきことが見えてくると、そう思ったんだ。
だからどうか、聞いてはもらえないだろうか。
…僕は、生まれたときから周りより賢かった。
いや、賢かったというと語弊があるかもしれない。
なんというか、周りとはスペックが違った。
周りがボディランゲージや声に載せるニュアンスなんかで意思疎通をしている横で、僕は言葉を理解していた。
自分より遥か体の大きい大人の人間たちの言葉に耳を傾け、母の乳をもらうより、目の前の遊具で遊ぶより、頭の中で言葉と概念を組み立て、自分の思考という世界に浸る方に喜びを覚えていた。
それはきっと、周りから見れば異質なことだった。
もしかすると僕も悠里のように周りとの壁を感じて、或いは自分で壁を作って、社会から遠ざかる道を行っていたのかもしれない。
けれど僕はそうした違いを踏まえて尚、今の社会に身を置く道を選んだ。
いや、違うかな。いくら幼い頃から文字通り人一倍の思索ができたとはいえ、あの幼い僕に、未来を選ぶなんて高尚なことをできたはずもない。
だからきっと、僕が今も僕が生まれた社会に身を置いているのは―――――
――うん、そうだ。
僕はきっと寂しかったんだ。
そして、寂しいという気持ちは相手が好きである気持ちの裏返し。
僕が好きな彼らの中に迎え入れてもらいたくて、僕は今の道を歩んでいる。
ナー、とふとよく聞きなれた鳴き声が耳に届いた。
――ショコラ?
どこで僕のことを見かけたのか、あるいはこの場所が黒猫ショコラの散歩コースだったのか。
軽い身のこなしで僕の脇にやってきた黒猫の女の子は、僕の身体に顔を擦り付けてきた。
そのかわいらしい頭に、肉球付きの僕の右手を伸ばし、ゆっくりと撫でつけながら思う。
相手と多少違いがあったとしても、考えることが違っていても、その相手のことが好きであれば、やはりつながりたいと思うものだ。
そして僕が思うに、夜星悠里も好きなものがきちんとある普通の人間だ。
僕のように――、本物の宇宙人が住み着いた生き物という訳でもない。
しっとりと柔らかいショコラの毛皮に、僕の蜜柑色の一張羅を擦り合わせる。
舌を出し、首筋を舐めてやると、ショコラは心地良さげにこちらにもたれかかってきた。
僕と同じ身長のショコラと寄り添い、座り込んだ僕は、頭上に浮かぶ月を見上げて決意した。
とうとう目的の本物の宇宙人を見つけた夜星悠里に向けて、僕が届けるべきべきものを届けようと。