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宇宙人と猫  作者: 宇宙人
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【第二節 夜星悠里】


 「お邪魔します」


 おお、夜星悠里も挨拶という文化を知っていたんだな、という事実を知ったのは、彼女との出会いから一週間ほど経ったある日の午後。


 何故だか僕のことを宇宙人と信じて止まず、逃げ回る僕を持ち前の機動力で追い詰めてくる夜星悠里に根負けし、とうとう我が家に招待する運びとなっていた。


 興味深げに我が家を見渡す彼女がお土産に携えてたのは彼女の一番の好物だというオレンジ色の球体の詰まったネットだった。先日僕の鼻先めがけて放られた砲丸であり、かつ冬の風物詩でもあるところの蜜柑の山が、僕が普段食事のテーブル代わりにしている箱の上にどんどん積まれていく。


 お土産とは言ってみたものの、それは専ら彼女が摘まむ用のおやつだ。


 僕にとって蜜柑は毒なのだ。以前蜜柑を食べたとき、体質が合わなかったのか腹を壊したことがあり、僕はその時からもう二度と食べるまいと誓っていた。


 というか彼女はもしやそれを分かって敢えてこの選択を行ったのではなかろうか。


 「あ、猫」


 遠慮なく来客用の席に着き、蜜柑をほおばり始めた悠里が、ふと何かに気を取られて背後を振り返っていた。


 何かの正体はすぐにわかった。僕の耳にも、鈴の音とともに聞きなれた地を蹴る足音が三つほど聞こえてきていたからだ。

 聞こえてきた三つの足音は、どれも僕の良く知る猫たちのものだ。

 いずれも近所の飼い猫たちだが、開けっ放しの僕の家が居心地良いのか、こうして良くお邪魔をしに来るのだ。


 猫達を見るやいなや獣もかくやという四足歩行で詰め寄っていった悠里を慌てて躱し、彼ら三匹は僕のところまで駆けてきた。


 三匹のうち、尻尾を小刻みに動かして緊張の感情を示している茶トラの男の子ソーヤは、未だ四足の悠里と威嚇合戦を続けている。


不安を覚える光景だけれど、夜星悠里が生き物を傷つけたという話は聞かない。大丈夫だろう。


 睨み合う一人と一匹を尻目に、残った二匹の猫の内、全身が黒い一匹が僕に目線を向け、そのままごろんと寝そべってお腹をこちらに向けてきた。

 それがいつもの催促であることを僕は知っていたので、すぐに準備を整える。


――待っててね


 ショコラと名付けられたこの黒猫の女の子は、近所の望月さんの飼い猫で、ブラシでの毛づくろいが大好きなのだ。


 「おお、器用だね」


 茶トラのソーヤと絶賛威嚇合戦中だった悠里は、僕の毛づくろいの手並みを素直に褒めた。

 抱えたブラシでショコラの柔らかな毛並みを一撫でするたびに、黒の毛並みに覆われた喉から、心地良さげな鳴き声が漏れる。


 こちとら物心ついた時から子猫の世話をしてきた身である。人間の気持ちより猫の気持ちの方が良くわかるという自負もある。特に褒められるようなものではない。


 そしてこれは猫たちのためだけという訳でもない。この柔らかな体毛に触れるとき、そして黒くぱっちり丸々とした瞳と見つめあうとき、或いは時折前足で踏み踏みとじゃれてくる彼らと戯れるときというのは、僕にとって至福の一時なのだ。


 とはいえ、今日はその至福の一時にすべてを委ねることができない状況でもあった。


 ――で、結局君の願いっていうのは要するに何なの?


 ソーヤとメンチを切りながらぐるぐると僕たちの周囲を駆け回る、野生の獣より存在のやかましい少女の気配。こんなものを感じながらではせっかくの幸福度も半減というものだった。

 本日何度目だろうため息とともに放った言葉は、以前聞いた「願い」がどうこうという話題についてだった。


「あ、そうか。今日は願いの話をしに来たんじゃん。んーとね……、んー。」


 ふと思い出したような顔で当初から僕に付きまとっていた理由を口にした悠里は、何やら神妙な顔になってかと思うとすっと居住まいをただす。

 出会ったときから傍若無人で世界は自分を中心に回っているとでも思っていそうだった少女が見せた躊躇うような気配を意外に感じ、僕は毛づくろいの手を止めていた。

 ショコラの猫足がぺしぺしと腕を叩くが、僕の注意は悠里の口元に向けられていた。


 わずかの間をあけて、悠里の口が開いた。


 「私が宇宙人になると大勢の人が助かるから、私を宇宙人にして欲しいんだ」


 出会ってから初めて聞くかもしれない真摯な声音で、彼女はそう言った。

 

 長い沈黙が落ちる。


 「……ねえ、普通って何だろね?」


 沈黙を切ったのは夜星悠里で、実に慣れた調子で首を傾げた。


「学校に通ったら勉強をするのが普通? とりあえず、テストは全部満点取れるように勉強したけど、それは普通じゃないって言われた。多少普通じゃない人でも、芸術家とか音楽家なら普通? 水彩画で総理大臣賞っていうのとったけど、それも普通じゃないんだって。14歳なら恋をするのが普通? みんなが一番恋してるっていう男の子を見たけど、全然良さがわかんなかった。親を手伝って楽にするのが普通? 料理も掃除も完璧だし、壊れたパソコンデータの修復も、見られなくなったメール履歴の確認も警察に捕まらない方法でできるようになったけど、お母さんは泣きながら家を出てっちゃった。」


 反応を返さない僕を見て何を思ったのか、彼女は次から次へと情報を垂れ流し始めた。


「―――昔はよく失敗もしたなあ。私の筆箱を壊した子がいたから、喧嘩したいんだな―て思って、でも普通に殴り合うのとかは嫌なのかなと思って水槽ぶちまけてやり返してあげたら、びいびい泣きだしちゃった。喧嘩もいつの間にかこっちの方が悪いことになってた。でもおかげで、ああいうのは喧嘩じゃなくって自分がやり返されない状況を楽しむ行為をやりたいんだなってことを理解したから、次には活かせたかな。数で囲めば何とかなると思ってる類のは、夜道で一人ひとり後ろからとんとんっとやるとね――」


 情報の洪水。あるいは感情の奔流なのだろうか。彼女の口からとめどなくあふれ始めたのは、彼女の半生の記録だった。

 初めて聞くその話は、僕の耳から怒涛の勢いで脳に侵入し、夜星悠里という少女の情報を決して忘れられないよう刻みこまれていく。

 一刻にも満たない時間の間で、僕の中に夜星悠里という人間が焼きつけられた。


 彼女は所謂天才という奴だったらしい。

 同時に、恐らくは人間として何かしら重大な欠損を抱えた存在でもあったらしい。


 ごくごく平凡な家庭に生まれた彼女は、その尋常でない才気と余りに常識と乖離しすぎた価値観とでその家庭を切り裂き、めちゃくちゃに壊してしまったのだ。


 町で一番の才女の卵。


 そう祭り上げられ、「宇宙人のような卓越した才能」ともてはやされた彼女の教育をどうすればよいか、どのように導いていけばよいのか。親族はおろか近隣の住民から町長に至るまでがくちばしを突っ込んでくる中、初めての子供を育てるという以上の苦難の中を進むことになった両親は、その彼女を抱えきることができなかった。


 そう。学校や、狭い町という箱庭の中で、彼女は本当に宇宙人そのものだった。あまりに異質で、あまりに理解ができない。


 普通の学校で生活するにはあまりにも不向きだった彼女のやらかし、或いは彼女に悪感情を抱いたほかのだれかの悪意により、たちまち彼女は問題児としての烙印を併せて抱えることになった。


 彼女の両親は、ことあるたびに学校、場合によっては他の家庭からやってくる呼び出しの連絡や抗議の電話、さらには「せっかくの才能を正しく導けていない」としてずかずか家に上がり込んできて説教を投げてくる肩書の長い年長の人間たちの感情の飛礫つぶてに振り回される一方だった。


 そして振り回され続けた彼女の家庭の歯車は段々と狂っていく。

 噛み合わなくなってしまった歯車を修正する機会は、どこかにはあったのかもしれない。

 事実、彼女の家庭の困難を知り、手を差し伸べようとしてくれていた者たちも数多くあったらしい。


 けれどその歯車が嚙み合わされることはなかった。

 彼女の家庭はある日限界を迎え、完全に崩壊した。


 父か、母か、或いはその両方だったのか。家庭の外に見出してしまった安らぎをよりにもよってその娘の手で白日の下に曝され、夜星家は修復不能なまでにすりつぶされてしまった。


 普通の家庭では起こりえない、普通の女の子であれば引き起こすことはなかったであろう事態は、普通でなかった彼女にとっても大きな出来事となっていた。


 「――でも、私が宇宙人ならそういうのも普通なんだって」


 普通という言葉を、彼女が本当には理解できないというその言葉を、夜星悠里は今の会話の中で何度口にしたただろうか。


 「宇宙人だから。地球人の感情も理解できないし、地球人のふりが上手くない。宇宙人だから地球人にできないことができて、地球人にできることができない。ねえ、凄くない?」


 悠里は、他人に関する話題には実に難しそうに語った。理解できないものを無理やり理解するため、自分に分かる言語に置き換えるための苦しみに満ちた唸りを上げながら。

 けれど、実は子供のような笑顔で実に嬉しそうに話すこともできるようだった。


 「私が宇宙人になったら、全部すっきりするんだよ」


 とても無邪気な表情で、悠里はそう言った。


 彼女は、他の人間が理解できるような感情を自分の言葉で理解することができなかったけれど、論理だけは理解できた。 自分の置かれた境遇も、自分が壊してしまった家庭への愛情も本当の意味では理解できないその一方で、人間社会という論理において自分が異物であることは認識できたし、どのようにすれば異物としての状態を改善できるのかは考えることができ、それをしたいと考えていた。

 それは、彼女が人間社会という論理構造そのものを愛していた、と言い換えられるのかもしれない。


 それは残酷な愛だった。


 人間社会に生きる誰か人間のためではない。けれど、目に見えない人間社会という論理が自分にとって気持ち悪くない状態になるよう考えた。その彼女の結論が、宇宙人になることだった。

 そういうことらしい。


 ――なんだろう。


 僕は何を聞かせられているのだろう。


 「あ! 返事が難しいならまた今度でいいよ! 準備があるならするし、君以外の宇宙人候補でまだ見つけられてない子もいるし!」


 悠里は最初から最後まで自分の理屈で動いた。 

 胸に抱えたものを好きなだけ語って満足したのか、それとも僕の反応がないので次の行動にスイッチを切り替えただけなのか。


――え、ちょっと……。ちょっと待っ


 警戒する猫達にひらりと手を振り、悠里はまた来るからー、と言い残して嵐のような勢いで我が家を飛び出していった。


 唐突に訪れた静けさは、固まってしまった僕の身体を動かす役には立たなかった。


 ふと、ナー、と手元から小さな鳴き声が聞こえた。


 ――あ、ごめん。手が止まってたね。君達も、ほら。


 惚けていた僕に抗議するように、ぺしぺしと膝を叩いてくるのは、僕の大好きな猫達。

 抗議をしてきたショコラのブラッシングを再開し、去っていった悠里たちを最後まで警戒していた二匹の猫達に部屋奥の遊び場を好きに使うよう視線で促す。


 僕は、どうすればよいのだろう。 


 半ば行きがかりとはいえ、聞いて、知ってしまった夜星悠里という少女の事情に対し、僕は何をするべきなのだろう。


 段ボールを出入りする茶トラのソーヤ。

 お気に入りの爪研ぎ木と格闘し、ご満悦の三毛猫、太郎。

 そして毎度ながらの幸せそうな表情で全身をこちらにゆだねて目を閉じているショコラ。


 この子達も今、僕と同じようにこの空間で夜星悠里の言葉を聞いていた。

 けれど、彼女の言葉を聞いて心を掴まれたのは、僕一人だった。


 いつもなら見ているだけで頭の中を幸福感で満たす猫たちの戯れを、僕はただただ揺れた心持で観測していた。



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