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宇宙人と猫  作者: 宇宙人
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【第一節 ボーイ・ミーツ・ガール】

Y様へ


みかんちゃんをお届けします!

 その日僕は、とても不思議なものを見た。


 真昼の、太陽の高い時間でも日差しの暖かさより肌を貫く冷気の痛みが強いそんな冬の日。


 自宅近くの河川敷にかかる、黒の塗装が剥げかけた小さな鉄橋の傍を通りかかった時のこと。


 僕は、その鉄橋の端から真新しい縄が下に伸びているのを見かけた。


 誰がこんなものをと鉄橋に近づき、欄干にくくられた頑丈そうな編み縄の先に視線を落としていく。

 すると、そこには女子学生が宙吊りになって揺れていた。


 ふうむ。女学生の宙吊りね。


 これでもし彼女の紐で括られていた場所が首だったのなら大変なことだったろう。


 うら若き女子学生、世を儚んで――などと言った記事を書くために新聞記者あたりが鼻息荒く詰めかけるのではないか。

 この田舎の町には中々ないイベントだ。


 実際のところ、事態にそんな事件性はないようだった。


 橋の欄干から伸びた編み縄は少女の腹にしっかり丁寧に巻かれている。

 その縄は、吊るされた少女にとって眼下の川に落ちないための命綱としての役割を全うしていたようだ。


 少女は僕が見下ろしていることにはまだ気づいていない。


「おーい。出てこーい」


 少女は橋の下、ゆったり流れる川の上で気ままに揺れながら、川底に向けて声をかけているようだった。


 大きくはないが、張りのある良く通る声。


 もし彼女が演劇を志しているのであれば、不安や恐怖で身を竦ませるヒロインより、自分で物事を切り開いていく主人公が適役だろう。


「どこにいるんだー?」


 改めて、とても奇妙な光景だった。


 快晴の冬の日差しを映して輝く川は、声を張り上げる少女を気にも留めず、粛々と流れていく。


 鉄橋を渡る買い物帰りの主婦は思いがけず太古の巨大蝶に出くわしたような目で悠里と縄を交互に眺め、関わり合いにならぬよう歩を進める。


 橋の脇で取引先と電話をしていたスーツ姿の男は、非日常に惹かれて覗き込みたくなる気持ちと、耳元でやかましい日常のどちらに興味を向けるべきか決めかねているようだ。手の中のメモ帳と橋からぶら下がる少女の身体を順繰りに見返していた。


 無視している人間も、逆に目を向ける人間も、誰もかれも、その普通でない光景を意識する空間が出来上がっていた。


 僕はいったん橋を渡りきり、橋の上に残る少女の鞄といまだぶらぶらと揺れる少女の体を俯瞰した。


 立ち止まってじいっとそれを眺める。


 彼女が声をかけている先だとか、その行動の目的への疑問だとか、気になることは多かったのだけれど、ようは全部ひっくるめてその普通でない光景を自分で作り上げたはずの少女に興味を惹かれたのだと思う。


 人間の女の子相手への興味。

 言葉だけなら甘酸っぱく語られそうなそれはけれど、自分の性別である男としての興味というよりは、コーヒーで酔っ払った蜘蛛を見かけたときのようなものに近かったように思う。


 ――ああ、もしかしなくとも。

 ーーあれが夜星悠里か。


 そして、夜星悠里という、前々から耳にしていた変人の噂と目の前の少女とが頭の中で一致した。


 10階以上の高さの建物など数えるほどしかないこの狭い田舎町で、同じような特徴を持った少女が二人はいないだろう。


 ――やっぱりあの噂は本当なのかな。


 河川沿いの集合住宅の塀に背中を預けた僕は、水底や橋の裏に興味を示し続ける不思議な少女を見て、ふと独り言ちた。


 十数年前、この粟原町はUFOが落ちた町として日本中を騒がせた。

 虹色の光を放ちながら、夜の闇を切り裂いて落下する小さな飛行物体を、多くの人間が目撃したのだ。

 結局、墜落したとされるUFOは見つからなかったものの、町にはそれ以来、あるうわさが流れるようになった。


 曰く。この町には”宇宙人”が隠れているのだ、と。


 そして何の因果か、UFO墜落事件当時、ちょうど流行っていたSF作品があったそうだ。

 その作品は宇宙からやってきた宇宙人が地球人の赤ん坊に寄生したまま成長し、世界を揺るがす大宇宙戦争の引き金を引く――というもの。


 その作品のイメージと、未発見のUFOや乗り込んでいたかもしれない地球外生物がどこかに潜んでいるかもしれないという浪漫。はたまた、人の出入りの少なかったはずの粟原市に事件当時詰め掛けた町外からの異邦者エイリアン達が行った不法行為迷惑行為に対する恐怖心と反発心。

 それらが入交じって形成された粟原町宇宙人潜伏説は、僕が生まれるより前にできた珍説ながら、未だこの土地に根付き、消えずに残っているのだ。


 そして、今目の前で川底に向けて声を張り上げながらばっさばっさと腕を振り回している夜星悠里嬢は、その事件当日にこの町の病院で産声を上げた人間なのである。


 子供のころは利発で少しやんちゃの多いただの少女であったらしい。

 けれど、幼子がするような奇行を、町外の小学校に上がった後も、そして町に戻ってきて中学に上がった今も、懲りることなく繰り返す問題児としての悪名の方がいつのまにかすっかり有名になっていた。


 日の高い時間、学校の授業をサボってやってきた魚屋の前で水槽の蛸と睨めっこしていたり、ビルの配管を生身で登り棒のように降りてきて壁掃除の男たちを驚かせたㇼ、町の大時計を一晩でバラバラに分解してしまったり。


 自由人、というのを飛び越えて、とにかくエキセントリックという言葉が似合うんじゃなかろうか。


 そしてそんな彼女はその生年月日と奇行の事情から、めでたく"宇宙人"という二つ名を頂戴していた、というわけだ。


 あと、二つ名というのは少し違うけれど、あまりの縛られない行動を見て、彼女は猫の生まれ変わりなのではないかと囁く声も耳にしたろうか。


 なるほど、分からないでもない。


 彼女のその、好奇心を映し出す黒い瞳も、はしこく柔軟な体も、気ままな行動も、猫を連想させてくる。

 おまけに夜星悠里と思しき女の子が以前、実際に猫の集会に突撃したことも何度かある身であることを僕は知っていた。


 巨大な闖入者の出現で、多くの猫たちが慌てて逃げ出した集会場。気性の荒い一部の猫達に爪と牙と肉球の乱打を食らわされながら、彼女はじいっと猫達を観察していたという。


 まあ、とはいえ彼女は猫じゃあない。

 そうであってたまるものか。


 あの、世界で最も滑らかで高貴な外装たる猫の毛並み。

彼女はそれを持たない。

 コンパクトでありながら機能的という生物として至高そのもののあのしなやかな猫の体躯だって持っちゃいない。


 猫より寿命は長いだろうけど、多くの猫たちが抱く、満足して一生を全うする気持ちを彼女が持てるのかは分からない。


 そんな彼女を猫と形容するのは些かばかり猫達に失礼ではなかろうか。いや、失礼に違いない。誰か同意して欲しいものである。


 ……まあ、いいか。さてさて、ではそんな宇宙人こと夜星悠里さんは今日は何をしているのやら。


 川の底に沈んだ人形に自分から出てきてくれと呼び掛けているのか、それとも自分で卵から孵した虫が逃げたのを追っているのか。

 根拠もない妄想しかできないが、彼女が噂通りの少女ならばどれが正解でも驚かない。

 図り知るにはまだ材料が足らなそうだ。


 くああ、とあくびが出そうになり、口元を抑えたところで、ふと僕と悠里の目が合った。


 お腹を支点に逆さづりの状態でプラプラと揺れていた彼女の身体が、どうやらえっちらおっちら一回りしてこちらの方を向いたらしい。


 まあ、目が合ったところでどうということはないはず。


 川底か橋の構造だかに夢中であろう彼女からすれば、年代が近そうということ以外共通点のなさそうな僕のような存在に気を止めることはないだろうから。


 そう油断している僕をめがけて――唐突に、巨大なオレンジ色の球体が飛んできた。


 急な展開に背筋を凍らせつつ、慌てて屈んでそれを避ける。

 紙一重で顔めがけて飛んできたものを躱すと、それは僕の背後の塀に着弾して香しい柑橘の香りとともに爆散した。


 その投擲物の正体は、良く熟し、半分に剥かれた蜜柑のようだった。


 叩きつけられた柑橘の汁は派手にふりまかれ、本体みかんを躱した僕の一張羅にもオレンジの染みを作るほどに勢いよく周りに飛び散っている。


「良しそこ、動くなー!」


 ついいましがた、腰元から取り出したと思しき食べかけの蜜柑をいきなり僕に投げつけた犯人は理不尽な命令を叫ぶ。

 そして迅速な手捌きで片手だけで腰の縄を外したかと思うと、水しぶきをあげて冬の川に飛び込んだ。


 あっけに取られる僕の前で少女の頭が川面に浮き、その両目がこちらを捉えた。

 そのままざぶざぶと河童のように猛烈な勢いで水をかき分け、こちらに向かってくる。


 なにこれ、怖い。


「見つけた! お前が宇宙人だ!」


 全身を包むジャージをぐっしょりと冷水で湿らせ、笑顔の端から水を滴らせる怪異冷水女は、あまりの事態に動けず座り込んでいた僕を見下ろしながら、実に嬉しそうにそう叫んだ。


 というか見下ろすだけ飽き足らず、その右手で僕の頭を掴んで持ち上げようとまでしてきた。


 今すぐやめて欲しい。水が目に入るではないか。

 というか口にも入った。絶対に飲んではいけなさそうな生水のえぐみが喉を刺激し、思わず咳込む。


「よおし、お前が宇宙人なら、私の願いを叶えろ!」


 名乗りもせず。蛮行に対する謝罪もなく。いきなりこれである。


 普通、初対面の相手には名前を名乗ったり相手の事情を聞いたりするものではないのか。


 人間社会不変のルールを僕が間違って覚えているのでない限り、これは蛮行を超えた蛮行であるはずだ。


 ――いきなり何なんだ、というか願いって何なんだ。


 こほこほと、咳込みながら声にならぬ声を出した僕にぐっと顔を近づけ、夜星悠里は叫んだ。


「私を宇宙に連れていけ!」


 興奮して叫ぶ彼女の眼は、彼女の姓である夜の星を浮かべそうなほど大きく、そして雄大な黒さを湛えていた。

 その瞳の中には、ぽかんと口を開いた僕の貧相な姿が映りこんでいる。


 それが僕と彼女、夜星悠里の出会いだった。









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